世界遺産NEWS 22/11/26:キーウ・ペチェールスカヤ大修道院をウクライナ保安局が捜査
SBU(ウクライナ保安局)は11月22日、首都キーウにあるキーウ・ペチェールスカヤ大修道院を諜報活動の容疑で捜査しました。
同修道院は世界遺産「キーウ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キーウ・ペチェールスカヤ大修道院」の構成資産のひとつでもあります。
■UOC-MP claims prayers for Russia in Kyiv Pechersk Lavra are a "provocation"(Ukrainska Pravda)
今回はこのニュースをお伝えします。
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ウクライナは現在、発電施設を狙ったロシアのドローン攻撃に苦しめられています。
首都キーウをはじめ多くの都市で停電が続いていますが、氷点下に落ち込む夜も多く、真冬には-20~-30度に達する地方もあるため、ゼレンスキー大統領は「冬を大量破壊兵器として利用している」とロシアを非難しています。
政府は4,000か所以上の「無敵センター」と呼ばれる施設を設置し、電気や水・暖房・医薬品・ネット回線・携帯回線などを無償で提供しています。
これらに加えて人々の心のよりどころとなっているのが教会です。
現在でも日曜日になると人々は教会堂を訪れて祈りを捧げています。
そしてキーウの中心的な教会施設のひとつが世界遺産にも登録されているキーウ・ペチェールスカヤ大修道院です。
11月22日、SBUは警察とともにキーウ・ペチェールスカヤ大修道院の強制捜査を実施しました。
理由はロシアの諜報活動や扇動活動に対する防諜措置で、ロシアのスパイや反ウクライナ組織をかくまったり武器を隠しているといった容疑に対する捜査です。
これは市民からの通報により、礼拝中にロシアを賛美する歌を歌っている様子や、系列の聖職者がロシアの侵攻を正当化するチラシを配布していた事実が確認されたためです。
これに対してロシア正教会やロシア政府は信者への脅迫であるとして強く非難しています。
なぜ、ロシア正教会が出てくるのでしょうか?
9世紀後半から13世紀半ばまで、現在のウクライナ-ベラルーシ-ロシア西部をキエフ大公国(キエフ・ルーシ)と呼ばれるスラヴ人国家が支配していました。
当初、この国はヨーロッパの1国とは認められておらず、東の果ての未開国にすぎませんでした。
988年にキエフ大公ウラジーミル1世がクリミア半島の聖ウラジーミル大聖堂(世界遺産「古代都市タウリカ・ヘルソネソスとそのホーラ」構成資産)で洗礼を受けてキリスト教に改宗すると、キリスト教を国教化し、正教会のトップであるコンスタンティノープル総主教の下に入ってキエフ府主教を中心に正教会の組織を整備しました。
そしてビザンツ皇帝バシレイオス2世の妹アンナと結婚し、ビザンツ文化を受け入れて急速にヨーロッパ化していきました。
ウラジーミル1世が1011年頃に創設した教会堂がキーウの聖ソフィア大聖堂で、11世紀後半に創設された修道院がキーウ・ペチェールスカヤ大修道院です。
いずれも世界遺産「キーウ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キーウ・ペチェールスカヤ大修道院」の構成資産です。
総主教について、古代のキリスト教世界には5大総主教座と呼ばれる総本山があり、ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアの長は総主教と呼ばれて指導者的な立場にありました。
ローマとコンスタンティノープル以外は7世紀にイスラム世界に取り込まれ、ローマはローマ・カトリック、コンスタンティノープルは正教会の中心として発展します。
前者のトップがもともとローマ総主教といわれていた教皇(法王)であり、後者のトップがコンスタンティノープル総主教です。
こうしてキエフ大公国はヨーロッパの1国として認められ、スラヴ人の文化的祖国となりました。
キエフ・ルーシの「ルーシ」はロシアやベラルーシという国名の由来でもあります。
キエフ大公国は12世紀にウラジーミル・スーズダリ大公国、13世紀にモンゴル帝国の侵攻を受けて弱体化し、1240年に分裂・滅亡しました。
その後継国のひとつがモスクワ大公国で、後にロシア帝国へと発展します。
また、14世紀にキエフ府主教がモスクワに遷り、15世紀にはコンスタンティノープル総主教庁から離れて正教会の独立教会となりました。
1453年にビザンツ帝国が滅び、コンスタンティノープルがイスラム教勢力であるオスマン帝国の支配下に入ったことでコンスタンティノープル総主教庁の権威は著しく低下しました。
その影響もあって16世紀にモスクワ総主教に格上げされるとロシア正教会の独立性が確認され、正教会の中で大きな勢力を誇るようになりました。
16世紀以降、ウクライナの地をリトアニア大公国やポーランド=リトアニア連合王国が支配するとローマ・カトリックが広がりました。
これによりローマ・カトリックでありながら正教会の方式で典礼を行うウクライナ東方カトリック教会(ウクライナ東方典礼カトリック教会/ウクライナ・ギリシア・カトリック教会)が誕生しました。
ロシア帝国時代にはロシア正教会の下に戻りましたが、ウクライナではその権威を認めずコンスタンティノープル総主教庁を支持する信者も多く、さまざまな教会組織が誕生しました。
ソ連時代には宗教そのものが禁じられています。
1991年にウクライナがソ連から独立すると多くの正教会の組織が活動を開始しました。
こうした歴史がウクライナの宗教を複雑にしています。
ウクライナの主な教派は以下のようになっています。
報道によると、ウクライナ人の約34%がOCU、14%がUOC、5%前後がウクライナ東方カトリック教会に属しており、他は不明・その他であるようです。
- モスクワ総主教庁ウクライナ正教会(UOCあるいはUOC-MP):モスクワ総主教庁、つまりロシア正教会傘下のウクライナ正教会
- ウクライナ正教会(OCU):ロシア正教会からの離脱を目指して1920年代から活動を続けるウクライナ独立正教会(UAOC)や、2014年のロシアによるクリミア併合に反対して独立したキエフ総主教庁(UOC-KP)等が集まって2018年に独立を宣言し、翌年コンスタンティノープル総主教庁の承認を得た独立教会(これによりモスクワ総主教庁はコンスタンティノープル総主教庁と断交しています)
- ウクライナ東方カトリック教会:正教会の方式で典礼を行うローマ・カトリック教派
2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻しました。
プーチン大統領の熱烈な支持者であるモスクワ総主教キリル1世はこれを肯定し、「聖戦」「神はロシアとともにある」などと発言したことでロシア正教会に対する世界的な反発が起こりました。
UOCは2014年のクリミア併合時から独立を模索していましたが、5月27日にモスクワ総主教からの独立を宣言しました。
ただ、キエフ府主教はロシア正教会からの離脱を宣言したものではないとも語っており、ロシア正教会の中の独立教会という立場を目指しているものと思われます。
そして今回の捜査です。
モスクワ総主教キリル1世はソ連の諜報活動の中心を担ったKGB(ソ連国家保安委員会)の出身であり、ロシア正教会の戦争への関与も指摘されています。
UOCはこれを否定していますが、キーウ・ペチェールスカヤ大修道院内でロシアを礼賛する歌や言葉が聞かれるという噂は数多く出ており、SNSで関係の動画がアップされたこともありました。
そのためSBUはロシアの工作員が入り込んでいる疑いを持っており、11月22日の捜査に至ったようです。
ウクライナではUOCから離脱する教会が相次いでいる一方で、ロシア正教会を支持する教会もあり、SBUは地方の教会でも捜査を行っています。
一方、ロシアの支配地域ではロシア正教会への改宗を求めており、宗教闘争も活発化しています。
キーウの聖ソフィア大聖堂やキーウ・ペチェールスカヤ大修道院はクリミア半島の聖ウラジーミル大聖堂とともにロシア正教会のはじまりの地といえます。
ロシア正教会としてはなんとしても影響力を残したい聖地であるのです。
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