世界遺産NEWS 19/09/11:世界遺産の推薦前に諮問機関の事前評価を導入へ
世界遺産の登録プロセスについて、時事通信は8月下旬、推薦前に「事前評価(プレリミナリー・アセスメント)」が導入される予定である旨を報じました。
■世界遺産「事前評価」へ=諮問機関の書面審査導入-審査費用の負担制度も(時事ドットコム)
これは近年、世界遺産委員会の場で専門家集団である諮問機関の評価や勧告を無視した決議が相次いでいることに対する方策です。
推薦を行う前に諮問機関と推薦国の対話を促すことで(アップストリーム・プロセス)、世界遺産の価値とブランドを守ることを目的としています。
今回はこのニュースをお伝えします。
※プレリミナリー・アセスメントやアップストリーム・プロセスについては下記で概要を解説しています
■世界遺産NEWS 23/02/02:導入迫る世界遺産のプレリミナリー・アセスメントとアップストリーム・プロセスの概要
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まず、世界遺産の登録プロセスを簡単に紹介しておきましょう。
おおまかに以下のようになっています。
○世界遺産の登録プロセス
- 登録を目指す物件を各国の世界遺産暫定リストに記載して世界遺産センターに提出
- 準備が整った物件の登録推薦書を世界遺産センターに提出
- 推薦された物件について、ICOMOSやIUCNといった諮問機関が現地調査を含む調査を実施
- 諮問機関が推薦物件の評価報告書と勧告を世界遺産センターに提出
- 評価報告書を元に、世界遺産委員会が登録の可否を決定
ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)とIUCN(国際自然保護連合)は世界遺産委員会の諮問機関で、前者は文化遺産、後者は自然遺産の専門調査や状況監視・援助要請の審査等を行っています。
たとえば今年の世界遺産委員会で日本の「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産リストに登録されましたが、前年2018年9月、ICOMOSからフィリピンのアジア史専門家が大阪を訪れて1週間にわたって現地調査を行っています。
こうした専門的な調査結果に基づいてICOMOSとIUCNは世界遺産委員会の6週間前までに評価報告書を作成し、4段階の勧告を下します。
世界遺産委員会はこの評価報告書と勧告を参考に、世界遺産リストへの登録の可否を決定します。
○4段階の勧告
- 登録:世界遺産リストへの登録にふさわしい
- 情報照会:追加情報の提供を要請。3年以内に提出すれば再審査が可能
- 登録延期:物件の構成やコンセプトを再考して登録推薦書の提出からやり直し
- 不登録:登録には不適で、確定した場合は再推薦も不可
最終決定する世界遺産委員会はというと、任期6年(実質4年)の21委員国からなる委員会です。
各国の代表なので文化や自然の専門家ではなく、多くは外交関係の代表者となっています。
近年問題になっているのが諮問機関の評価と世界遺産委員会の評価の乖離です。
諮問機関が情報照会・登録延期・不登録といった勧告を出しているにもかかわらず世界遺産委員会が登録を決定してしまう逆転登録の事例です(評価が下がることは特殊な事例を除いてほぼありません)。
実際にここ3年の逆転登録のデータを出してみましょう。
複合遺産については文化遺産・自然遺産両面の勧告を加算しています。
○2017年の逆転登録
- 情報照会勧告2→逆転登録2
- 登録延期勧告9→逆転登録6
- 不登録勧告7(不勧告含)→逆転登録1
○2018年の逆転登録
- 情報照会勧告5→逆転登録5
- 登録延期勧告6→逆転登録2
- 不登録勧告7(不勧告含)→逆転登録2
○2019年の逆転登録
- 情報照会勧告4→逆転登録4
- 登録延期勧告5→逆転登録2
- 不登録勧告4→逆転登録1
情報照会勧告を受けた物件は100%、登録延期勧告でも50%が登録されています。
専門家が「世界遺産の価値がない」と断じた不登録勧告(あるいは不勧告)の物件でさえ4件も登録されています。
もちろん専門家といっても大ざっぱな範囲で専門家であって、その自然や文化に特化した専門家というわけではありません。
「百舌鳥・古市古墳群」の例だと、アジア史の専門家といっても日本の古墳の専門家であるわけではありません。
ですから各国は世界遺産委員会の場で諮問機関の評価を覆そうとアピールを行って逆転を目指します。
しかし、世界遺産委員会の場でより専門的な審議が行われているかと言えばそんなことはなく、諮問機関の評価に比べれば漠然としたものになっています。
先述したとおり世界遺産委員会は各国の代表の集まりですから、「そんなに厳しく審査しなくてもいいだろう」「とりあえず登録でいいんじゃないか?」といった狙いが透けています。
今年登録されたアゼルバイジャンの「ハーンの宮殿のあるシェキ歴史地区」などは典型的と思える例で、ICOMOSは2017年、2019年と立て続けに不登録を勧告していましたが、アゼルバイジャンが今年の第43回世界遺産委員会の開催国であることも影響したのか逆転登録を勝ち取っています。
このように多くの勧告が無視されている状況は、世界遺産のブランドや価値の維持という点から明らかに問題です。
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登録の可否は最終的に世界遺産委員会が決定するものです。
これは世界遺産条約に明記されていますから簡単に変更すべきものではありません。
この枠組みを活かしたうえでの対策として議論が進められているのが「アップストリーム・プロセス "Upstream Processes"」です。
世界遺産活動を円滑に進めるために「世界遺産条約履行のための作業指針 "Operational Guidelines for the Implementation of the World Heritage Convention"」というものがあるのですが、ここでアップストリーム・プロセスについて概説されているので書き出しておきましょう。
○アップストリーム・プロセス
世界遺産リストへの登録候補地に関して、「アップストリーム・プロセス」は評価プロセスにおける重大な問題の発生を抑えるために、推薦書の提出前に行われる助言・相談・分析を含む。アップストリーム・プロセスの基本原則は、諮問機関と事務局(世界遺産センター)が世界遺産の登録プロセス全体を通じて世界遺産条約の締約国に直接支援を行うことを可能にする点にある。アップストリーム・プロセスが有効であるために、推薦過程のできるだけ早い段階、暫定リストの準備や改訂の段階から採用されることが望ましい。
最初に世界遺産の登録プロセスを示しましたが、これまで諮問機関が登場するのは推薦が行われたあとで調査を行う段階でした。
しかし、アップストリーム・プロセスはより上流、推薦を行う以前、場合によっては暫定リストを作成する段階で諮問機関が関与していこうというものです。
推薦前に諮問機関の事前評価が入ることによって、各国は諮問機関のアドバイスに沿った推薦準備を行うものと思われます。
これによって世界遺産登録の健全化を実現しようという施策で、同時にこうした評価やアドバイスに対して各国に費用負担を求めるということです。
書類審査になるようですが具体的な方法は決まっておらず、今後も世界遺産委員会等で議論が行われる見込みです。
これ以外にも登録プロセスの全面で諮問機関の関与を増やそうという試みが行われています。
2016年に導入された「中間報告」がそのひとつで、正式な勧告の前に諮問機関が推薦国に中間報告を行うものです。
日本の「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」はこの中間報告でよい結果が得られなかったためいったん推薦を取り下げています。
また、推薦を取り下げた物件や情報照会勧告・登録延期勧告を受けた物件はICOMOSと「アドバイザー契約」を結ぶことで専門的な助言を受けられるようになりました。
先の「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は推薦を取り下げたあとでICOMOSとこの契約を結び、テーマを潜伏キリシタンに絞り、集落景観を前面に押し出し、名称を「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に変更することで登録を勝ち取っています。
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諮問機関と世界遺産委員会の評価の乖離はずっと以前から指摘されていた問題です。
それを是正するための対策が本格化しはじめています。
一方で、アップストリーム・プロセスのどの点においても諮問機関の関与が任意である点はおそらく変わらないと思われます。
各国が諮問機関のアドバイスを無視することはできるわけで、抜本的な解決につながるか否かは未知数です。
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