世界遺産NEWS 20/03/29:ヴェネツィアのメヒタリスト修道院で約5,000年前の青銅剣を発見
「海の都」ヴェネツィアの潟に浮かぶサン・ラザロ・デッリ・アルメニ島のメヒタリスト修道院で紀元前3000年前後に作られたと見られる世界最古級の剣が発見されました。
剣は修道院の飾り棚に中世の剣として展示されていたものですが、偶然これを見掛けた大学院生が間違いに気付き、発見に至りました。
■5,000-year-old sword is discovered by an archaeology student at a Venetian monastery(CNN)
今回はこのニュースをお伝えします。
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ヴェネツィア湾は砂が堆積してできた長い砂州が湾内の潟湖(せきこ。ラグーン。湖のように閉じた浅い海岸)と湾外のアドリア海を隔てています。
湾内部分がイタリアの世界遺産「ヴェネツィアとその潟」に登録されており、ヴェネツィア本島だけでなく数多くの島々が含まれています。
一例がリド島です。
湾とアドリア海を隔てるバリア島のひとつなのですが、リド島は作家トーマス・マンの小説『ベニスに死す』、あるいはルキノ・ヴィスコンティの同名映画の舞台としてもよく知られています。
トーマス・マンはぼくが好きな作家のひとりで、それもあってリド島を訪ねたことを思い出します。
サン・ラザロ・デッリ・アルメニ島はリド島に隣接した200×180mほどの小さな島です。
島の名前は「アルメニアの聖ラザロ島」という意味なのですが、アルメニア・カトリック教会の修道院が築かれたことからこの名が付いています。
アルメニアはイエスの十二使徒にも数えられるタダイやバルトロマイが宣教を行った土地で、301年にはアルメニア王国が世界ではじめてキリスト教を公認したことで知られています。
キリスト教におけるアルメニアの貢献はとても大きく、たとえば教会堂について、ローマやペルシアの神殿を応用して建設されたドーム・バシリカ(バシリカは体育館のような四角形のホールで、ここにドームを組み合わせたもの)はアルメニア建築から広がり、教会堂の標準形になったといわれています。
7世紀以降、アルメニアやその周辺はウマイヤ朝やアッバース朝といったイスラム教国やササン朝のようなゾロアスター教国の支配を受けますが、アルメニアでは独自のキリスト教信仰が絶えることはありませんでした。
この流れを組むアルメニアの主流教派がアルメニア使徒教会で、ローマ・カトリックの教義を受け入れた教派がアルメニア・カトリック教会です。
サン・ラザロ・デッリ・アルメニ島は中世にベネディクト会の修道院があったのですが、12世紀頃にハンセン病の隔離病棟として使用されるようになりました。
18世紀はじめ、イスラム教国であるオスマン帝国の圧力を受けてこの島にアルメニア・カトリックの修道士たちが移り住み、もともとあったサン・ラザロ教会を改修してメヒタリスト修道院を整備しました。
特筆すべきはアルメニア周辺から持ち運ばれた品物を収める図書館・博物館・美術館です。
図書館には8世紀までさかのぼる貴重な写本の数々が収められており、アルメニア写本の10%がここに集中しているといわれます。
また、博物館や美術館にはメソポタミア文明の遺物や古代エジプトのミイラなども展示されています。
そして今回のニュースです。
この修道院を訪れたヴェネツィア・カフォスカリ大学博士課程の学生ヴィットリア・ダラメリーナさんは「中世の剣」として展示されていた青銅剣を見て瞬時に「おかしい」と感じたそうです。
彼女の専門は古代オリエント史で、特に剣の起源と発展を研究していたのですが、トルコ中部や東部で出土した青銅剣と非常によく似ていることに気が付きました。
報告を受けたダラメリーナさんの指導教官であるエレナ・ロヴァ教授は「信じられない」と驚いたといいます。
彼女は何度もその修道院を訪れていましたが、青銅剣には気が付きませんでした。
ダラメリーナさんはパドヴァ大学とともに青銅剣の化学組成分析を実施。
剣が銅とヒ素の合金であるヒ素青銅であることが明らかになり、東アナトリア地方のアルスラーンテペ遺跡やスィヴァス地方で発見された青銅剣に酷似していることが明らかになりました。
この種の青銅剣は紀元前4000年後半~前3000年はじめに作られており、今回の青銅剣は紀元前3000年頃の制作と推定されています。
当時は武器として、あるいは王の権威の象徴として青銅剣が制作されていました。
なんらかの碑文や印が刻印されていることがあるのですが、この青銅剣は保存状態が悪く、その種の装飾は発見できませんでした。
同修道院でも青銅剣の起源を巡って古い文献や書簡の調査が行われました。
その結果、1886年にオスマン帝国の土木技師から修道院に贈られたものであることが明らかになりました。
修道院はその技師がアルメニア・カトリック教会の神学校の出身だったのではないかと推測しています。
彼がどのような過程で青銅剣を手に入れたのかは不明ですが、トルコでの建築プロジェクトで出土した可能性を指摘しています。
ダラメリーナさんとロヴァ教授は儀式用あるいは貴族の副葬品だったのではないかと考えているようです。
今後、さらに金属組成を研究することで金属が出土した地域を特定できるのではないかと期待されています。
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寺院や神殿で貴重な考古学的遺物が発見されることは珍しくありません。
一例がキリスト教の教会堂に収められている「聖遺物」です。
イエスや聖母マリア、使徒や聖人の遺骸や遺物の一部が保管されているわけですが、たとえばアルメニアの世界遺産「エチミアツィンの大聖堂と教会群及びズヴァルトノツ考古遺跡」のエチミアツィン大聖堂には聖槍が伝わっています。
一説ではイエスの死を確認するために脇腹を刺したというロンギヌスの槍ではないかといわれています。
これ以外にも、イエスの遺体を包んだ布とされるトリノの聖ヨハネ大聖堂の聖骸布や、イエスを十字架に貼り付けた際の釘から作られたといわれるモンツァ大聖堂のロンバルディアの鉄王冠など数多くの聖遺物が知られています。
こうした聖遺物が本物であるか否かはさまざまな議論がありますが、修道院や教会堂にさまざまな遺物が収められているのは間違いのない事実です。
何気ない展示物がとんでもない歴史を持つ物だった……こんな報告はこれからも出てきそうです。
一方で、こんなニュースもありました。
アメリカ・ワシントンD.C.の聖書博物館が所蔵する死海文書がすべて偽物だったというものです。
■'Dead Sea Scrolls' at the Museum of the Bible are all forgeries(National Geographic)
死海文書はクムラン洞窟をはじめ死海の畔のさまざまな洞窟群から発見された『旧約聖書』などの写本群です。
1946~47年に当地の羊飼いが洞窟で巻物が入った壺を発見し、古物商に売ったことから知られるようになりました。
イスラエルのヘブライ大学の教授が一部を鑑定に出した結果、紀元前1世紀という結果が出たことから世界に衝撃を与えました。
なにせそれまで知られていた写本より1,000年以上も古いものだったのですから。
これを受けて数多くの偽物が出回ることになりました。
最初は非常に粗末なものだったようですが、やがて本物の古代の羊皮紙に古代語で書き付けた精巧な偽物まで現れるようになりました。
聖書博物館は2019年に死海文書の断片16点について調査会社に鑑定を依頼しました。
その結果、非常に古い皮革の上に近年書かれたものであることが判明しました。
詳細は記事を参照していただきたいのですが、16点の出所はすべて同一と見られるということです。
実は聖遺物にもこうしたことがよくあって、たとえばトリノの聖ヨハネ大聖堂の聖骸布について、1988年の放射性炭素年代測定の結果、13~14世紀の布であるという結果が出ています。
しかしその後の調査の結果、中世に修復された際の布であり、本来の布ははるかに古いという結果も出ています。
真贋鑑定も簡単ではないようです。
新しい遺物や遺構の発見は心震えるものですが、ずっと展示されていたものが実はとんでもなく貴重なものだったというニュースも非常におもしろいものですね。
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