世界遺産NEWS 17/04/18:「慶州歴史地域」の修復と世界遺産の真正性
韓国・慶州市は「屋根のない博物館」と称されるほど多彩な文化財が集中していることで知られます。
特に前4~後10世紀ほどに新羅の首都・金城として繁栄し、新羅時代の首都と寺院に関する遺跡は「慶州歴史地域」、吐含山中に位置するふたつの建物は「石窟庵と仏国寺」として世界遺産リストに登録されています。
その「慶州歴史地域」に関して過剰な修復・再建を懸念する声が高まっているようです。
■巨額投じられた新羅王京復元作業は順調だが…世界文化遺産抹消を憂慮する声も(中央日報)
少々長くなりますが、今回はこのことに絡めて世界遺産の重要な概念である「真正性」について考えてみたいと思います。
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<「慶州歴史地域」を巡る修復・復元事業>
2000年に世界遺産リストに登録された「慶州歴史地域」は新羅時代に栄えた金城の首都遺跡で、王宮跡である月城地区、王墓が集中する大陵苑地区、国家の寺院だった皇龍寺地区、石仏が並ぶ南山地区、防衛拠点だった山城地区で構成されています。
韓国政府は慶州を歴史文化都市として整備する計画を立案し、2005年に20~30年をかけて金城を修復・復元する整備事業を立ち上げました。
現在、その一環として慶州市が中心となって新羅王京核心遺跡復元・整備事業を進めており、発掘や修復・復元が行われています。
しかしながら、専門家を中心に過度な発掘・修復・再建・復元に対して懸念が表明されています。
一例が月浄橋です。
この橋は月城の王宮内に建設された木造橋ですが、橋自体は焼失して橋脚だけが残されていました。
橋脚付近から発見された瓦と木材から楼閣を備えた楼橋だったとされ、これらを元に復元が進んで年内にも完成する見込みです。
しかし、この復元がどこまで正確なものであるのか議論の余地があるようです。
金城は新羅の都ですが、935年に新羅が高麗に滅ぼされたあとも東京、あるいは慶州といった名前で主要都市としてありつづけました。
1,000年を超える歴史の中で新羅時代の建物の多くが消失し、土台を残すのみの遺跡、あるいは『三国史記』や『三国遺事』にわずかに記録が残るのみとなっています。
先に紹介した中央日報の記事は東国大学のハン・ジョンホ教授の言葉を引用し、「新羅王京の以前の姿は誰もその原形を正確に知らない状況だ。復元事業を推進しているというものの、今の状態は『再建』に近い」「ユネスコ世界文化遺産から抹消されかねない」と書いています。
そういえば日本でも姫路城が2015年に平成の大修理を終えましたし、世界遺産NEWSでも先日「17/03/23:日光東照宮陽明門&二条城東大手門がリニューアル」なんていう記事を書いています。
これらが世界遺産リストから抹消される可能性もあるのでしょうか?
なお、月浄橋については以下の記事で少し続報に触れています。
[関連記事]
世界遺産NEWS 19/03/30:百済歴史地域・弥勒寺西塔の復元に多くの批判
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<世界遺産の「真正性」とは何か?>
世界遺産リストに登録された文化遺産はほぼ例外なく修復あるいは再建を行っています。
文化遺産は時間的な劣化と無縁ではありえないからです。
しかし、世の中にはいい加減に修復・再建されてしまって、本来の姿とかけ離れたものになってしまった歴史的建造物や遺跡があります。
世界遺産の活動では本当に価値ある遺産を残すために、すべての文化遺産に「真正性(authenticity)」を求めています(追記すると、文化遺産には真正性と完全性、自然遺産には完全性を求めています)。
真正性の元になったのが1964年に採択されたベネチア憲章(記念建造物および遺跡の保全と修復のための国際憲章)です。
ベネチア憲章では修復の目的を「美的価値と歴史的価値を保存し、明示すること」としており、修復する建物の設計・装飾・材料等は確実な資料に基づくことを求め、「推測による修復を行ってはならない」と定めています。
また、世界遺産条約の真正性は「世界遺産条約履行のための作業指針」に定められていますが、こちらでも文化遺産の「芸術的側面、歴史的側面、社会的側面、科学的側面」を詳細に検討し、意匠・材質・機能・位置等が「真実かつ信用性を有すること」を求めています。
ざっとまとめると、科学的な検証を行ったのち、デザインや材質・工法・環境・用途・機能などが当時と同じで、芸術的な価値や歴史的な価値を正しく伝えられている限りにおいて、つまり真正性が維持されている限り、修復や再建を認めるということです。
そして真正性が失われたとき、世界遺産リストから抹消されることになります。
いまのところ無秩序な再建を理由として抹消された物件はありませんが、抹消がほぼ決定している物件はあったりします。
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<華城、ワルシャワ、バグラティ大聖堂の再建を巡る問題>
韓国には大幅に修復・再建された世界遺産があります。
ソウルからほど近い水原の「華城」です。
華城は全長5.7kmほどの城壁に囲われた都城で、18~19世紀にかけて朝鮮王朝第22代国王・正祖が建設した理想都市なのですが、第二次世界大戦や朝鮮戦争を経て一部が破壊されてしまいました。
不幸中の幸いだったのは「華城城役儀軌」という築城の詳細な記録が残されていたことです。
これをもとに1975~1979年にかけて41の建造物が記録に忠実に修復・再建され、現在見られる華城になりました。
1997年にはその真正性が認められて世界遺産リストに登録されています。
ヨーロッパにおいて、第二世界大戦で徹底的に破壊された町がワルシャワです。
ワルシャワは1939年以来、ナチス・ドイツの侵攻を受けていましたが、1944年にソ連軍が迫ると市民がワルシャワ蜂起を起こして抵抗しました。
これに対してナチスは徹底的な報復を行い、町の9割近くが破壊され、約85万人が殺害されたと言われます。
戦後、市民は建物の設計図や写真・絵などから「壁のひびまで忠実に」をスローガンに再建を開始。
中世のさまざまな建築様式が混ざり合う美しい街並みが再現されました。
その修復・再建の手法は手本として各地に影響を与えましたが、世界遺産に推薦された際には歴史地区の多くを再建したこの物件の真正性を認めるか否かでさまざまな議論を呼びました。
結局登録は認められましたが、同時に都市全体を再建した物件の登録は今後認めないことが決められました。
世界遺産リストからの抹消がほぼ決定している物件がジョージアの「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」のバグラティ大聖堂です。
ここ数年、世界遺産委員会の場でこの大聖堂を外し、ゲラティ修道院の単独登録に切り替える審議が進められています。
この世界遺産は1994年に登録されていますが、21世紀に入って再建計画が持ち上がったのですが、その計画を知ったICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は真正性が維持できないとして重大な懸念を表明し、2010年には危機遺産リストに掲載されました。
しかしジョージア政府は再建を強行して2013年に完成。
中世の設計にはなかった金属を用い、推測に基づいて再建されたことなどから真正性が失われたと判断され、世界遺産委員会はバグラティ大聖堂を構成資産から外し、ゲラティ修道院の単独登録とするよう範囲の変更を要求しました。
政府もこれを受け入れて縮小の申請書を提出しており、承認されるのも時間の問題です(詳細はリンクを参照)。
※2017/07/16追記
2017年7月に開催された第41回世界遺産委員会で「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」の構成資産からバグラティ大聖堂を解除する決定がなされ、世界遺産名が「ゲラティ修道院」に変更されました。
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<「慶州歴史地域」の今後>
上に挙げた例を見ると真正性が真剣に論じられていることがわかりますね。
「慶州歴史地域」について、慶州市は9層の木造塔をはじめ数々の建物を復元する予定であるようです。
しかし『三国史記』や『三国遺事』を見ても建物の細部の記録はなく、科学的な考証が不十分であるという指摘に対する合理的な説明はいまのところないようです。
1,000億円弱に及ぶという予算が投入されるようですが、当然この莫大な投資は観光収入を見込んだものでしょう。
しかし、世界遺産リストから外されてしまっては本末転倒です。
こうした批判を受けて韓国政府や慶州市がどう反応するのか、ICOMOSや世界遺産委員会がどのように対応するのか、注目です。
[関連サイト]
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