世界遺産NEWS 16/10/19:イスラエル、UNESCOとの協力関係を停止
前回、日本のUNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)分担金の支払い留保について書きましたが、今度はイスラエルです。
まずは10月13日、保護・保全が進まないエルサレム旧市街の現状に対して改善を呼び掛けると同時に、進展を妨げている原因としてイスラエルを名指しで非難する決議案をUNESCOの下部組織が承認しました。
これに対してイスラエルは15日、UNESCOとの協力関係を停止することを宣言し、アメリカもその政治的プロセスを非難しました。
そして18日、こうした抵抗にも関わらず決議案はUNESCOの執行委員会によって賛成多数で採択されました。
イスラエルは2011年から分担金の支払いを停止していますが、さらなる手段に出る可能性が出てきました。
今回はこのニュースについて解説します。
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まず、エルサレムについて簡単に復習です。
イスラエルは周囲のアラブ諸国の反対を押し切る形で1948年に独立しましたが、エルサレムは独立前に国連によって東と西に分割され、旧市街を含む東エルサレムはヨルダン管理とされました。
ところが1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領して以来、イスラエルの占領下に置かれています。
そしてヨルダンが世界遺産リストに推薦して1981年に登録されましたが、ヨルダンは1994年に領有権を放棄したため、世界遺産リストには「エルサレム(ヨルダン申請遺産)"Jerusalem (Site proposed by Jordan)"」と国名を記さず、便宜的に都市名を入れる形で保有国を表記しています。
政治的な緊張感や意思統一された保護機関がないこと、またイスラエル主導の都市開発などの懸念から1982年に危機遺産リストに掲載されました。
実はUNESCOはさまざまな形、たとえばジュネーブ条約(1949年)、1954年ハーグ条約(1954年)、文化財不法輸出入等禁止条約(1970年)、世界遺産条約(1972年)等々の立場から旧市街の保護・保全や対話を呼び掛けてきましたが、イスラエルが積極的な回答をすることはありませんでした。
そのためもう34年も危機遺産リストに掲載されたままとなっています。
イスラエルは他のすべての土地と引き替えにしても旧市街だけは諦めることはないと言われています。
というのは、旧市街の神殿の丘こそ神が世界を創造する際に中心とした場所であり、ダヴィデ王が神から授かった「十戒」を収めた場所であり、ソロモン王がエルサレム神殿を建てた場所であるからです。
ユダヤ教にはエルサレム神殿以外に神殿は存在せず、そのエルサレム神殿は66~70年のユダヤ戦争でローマ帝国に破壊されてしまっていますから、この再建を悲願としているわけです。
ただ、その場所には現在、岩のドームやアル=アクサー・モスクが立っており、イスラム教においてもきわめて重要な聖地となっています。
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さて、話は21世紀に移ります。
イスラエルとパレスチナはエルサレムにおいてさまざまな問題を抱えていますが、今世紀に入って大問題となっているのが「ムグラビ橋」です。
ここにはもともと盛土で造られたムグラビ坂があって、神殿の丘にあるアル=アクサー・モスクのムグラビ門に続いていました。
2004年にこの坂の一部が壊れたため、イスラエルは暫定的に木製の橋=ムグラビ橋を建設すると、盛土の撤去を開始し、橋を渡るイスラム教徒の入場規制をはじめました。
さらに、橋を恒久的なものにするために鉄橋の建設を計画し、ムグラビ坂の発掘を進めました。
パレスチナ人やイスラム教徒はこれを「破壊行為」「侵略」と断じ、神殿の丘を占領するための布石であると強く非難。
一部の人々が暴動に走ったり、火炎瓶などで抵抗すると、イスラエル軍が神殿の丘に侵入して対応するといった騒動が起こったりもしています。
世界遺産委員会でもたびたびこの問題に触れており、イスラエル側に発掘の即時停止や架橋計画の中止、モニタリングの実施、神殿の丘への入域制限の廃止、パレスチナ側との協議の実施などが決議されています。
UNESCOも同様で、たとえば2015年9月のアル=アクサー・モスクへのイスラエル軍の攻撃に対して非難決議を採択しています。
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今回のエルサレムに関する決議案もこうした動きの延長線上にあるものです。
ただ、提出したのがアルジェリア、エジプト、オマーン、カタール、スーダン、モロッコ、レバノンの7か国で、いずれもイスラム教徒が多い国であるためか、かなり強い表現になっています。
タイトルからして "OCCUPIED PALESTINE"(占領下にあるパレスチナ)です。
そして神殿の丘は "Temple mount" ではなく "al-Haram al-Sharif"(ハラム・アッシャリフ)と表記され、イスラエルの立場やユダヤ教の見解にはまったく触れられていません。
そしてイスラエルの不法な発掘、軍による攻撃、イスラム教徒に対する入域制限や弾圧、ユダヤ過激派の破壊行為などに対して、"Deeply regrets"(深い失望)や "Deeply deplores"(深い遺憾)、"Strongly condemns"(強い非難)、"Expresses its deep concern"(深い懸念の表明)といった表現を用いて批判しています。
13日の採決では24か国が賛成に回り、26か国が棄権、6か国(アメリカ、イギリス、オランダ、ドイツ、リトアニア、エストニア)が反対し、賛成多数で承認されました。
これに対してイスラエルのネタニヤフ首相は「愚かだ」と述べ、イスラエルと神殿の丘の結び付きに言及しないことは「ピーナッツバターとジャム、バットマンとロビン、ロック&ロールの関係を否定するようなものだ」とし、「UNESCOにわずかに残された正当性は失われた」と非難しました。
同国のハコネン大使は「イスラエルもユダヤ人ももはやUNESCOを必要としていない」と述べ、ベネット教育相はUNESCOとの関係断絶を示唆しました。
アメリカもイスラエルと同じ立場で決議を非難している一方、パレスチナはこれを歓迎しています。
UNESCOのイリーナ・ボゴバ事務局長はこうした一方的な決議に懸念を表明し、あくまで対話による平和的解決を求め、「イスラエルにとっても、もっとも神聖な場所である」とその立場と権利を認めるコメントを発表しています。
こうした抵抗に遭いながらも18日、UNESCO執行委員会はこの決議書を賛成多数で採択しました。
これによりイスラエルのさらなる反発が予想されます。
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海外での報道をいくつか読みましたが、日本の分担金停止問題に触れている記事も見かけられました。
UNESCOの政治性が問われているという論調です。
UNESCOは教育・科学・文化を促進して国際平和と人類の福祉に貢献することを目的としています。
しかしながら各国代表によって意思決定される政府間機関であるわけですから、当然外交闘争の場にもなるわけです。
そしてUNESCOには国連の安全保障理事会と違って拒否権がないため、「数」がそのまま大きな力になってきます。
パレスチナの国連加盟に対してアメリカは拒否権の発動を示唆していますが、2011年のパレスチナのUNESCO加盟を阻止することはできませんでした。
パレスチナは明らかにこうした立場を利用して政治力を伸ばそうとしています。
アメリカやイギリスは早くからこうしたUNESCOの政治性を警戒し、非難してきました。
アメリカは1984年、イギリスは1985年に脱退さえしています(アメリカは2003年、イギリスは1997年に復帰)。
UNESCOは国際平和の実現どころか対立の場にさえなりそうな気配です。
非常に難しい舵取りを迫られています。
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