世界遺産NEWS 21/07/13:UNESCO調査団、軍艦島の朝鮮人労働者に関し日本の措置を不十分と指摘
2015年に世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」。
韓国は推薦前から登録に反対しており、2020年6月には世界遺産リストからの抹消をUNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)事務局長に要請しています。
その最大の理由が端島(はしま)、通称・軍艦島で、朝鮮人をはじめとする強制動員や強制労働に関する説明をインフォメーション・センターなどを開設して行うという登録時の約束を守っていない、と主張しています。
韓国の要請を受けてUNESCOの世界遺産センターと諮問機関であるICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は共同調査団を組織し、現地調査を含む実態調査を行いました。
その結論は、約束は守られておらず、措置は不十分である、というものでした。
■朝鮮人労働者めぐる軍艦島展示に「遺憾」決議へ ユネスコ(産経新聞)
本件については7月16~31日にオンラインで開催される第44回世界遺産委員会で審議される予定です。
今回はこのニュースをお伝えします。
なお、「明治日本の産業革命遺産」と韓国を巡る問題はたびたび記事にしていますので、これまでの過程の詳細は最後にリンクを張った過去記事を参照してください。
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世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は2015年の第39回世界遺産委員会で世界遺産リストへの搭載が決まりました。
構成資産は8エリア8県11市にまたがる23件で、これらが主体となって江戸時代末期から明治時代後期に当たる1850年代~1910年にかけて、欧米以外で初となる産業革命をわずか50年で成し遂げました。
この世界遺産のひとつの特徴は内閣が主導した点にあります。
通常、世界遺産リストへの搭載を目指す文化遺産候補地は県や市などの自治体が立候補を行い、文化庁がそれを認定して主導する形を採ります。
しかし、この物件については政府の内閣官房が中心となって推薦活動を行いました。
ひとつの理由が「稼働中の工場」の存在で、文化財ではないため文化庁の管轄外であったためです。
そして韓国は当時からこの物件の世界遺産登録に反対してきました。
理由は、端島や長崎造船所をはじめ7件の構成資産は朝鮮半島から57,900人が強制動員された悲しみの場所であり、世界遺産条約の基本精神に反するという主張です。
特に端島を「監獄島」と呼び、約800人が奴隷状態にあり、122人が死亡したとしています。
これに対して日本は、徴用は第2次世界大戦時の話であり、1850年代~1910年の産業革命期とは関係がないという主張を展開しました。
真っ向から反論して対立するのではなく、産業革命の遺産なので「関係がない」という論理展開です。
これが日本の登録戦略でした。
登録反対のロビー活動を行う韓国に対し、2015年6月に日韓外相会談を開いて合意が得られたと思われましたが、韓国は世界遺産委員会の開催中にも反対のロビー活動を進めました。
対応を迫られた日本は結局、「自らの意思に反して連れてこられ、厳しい条件で労働を強いられた」ことを認め、インフォメーション・センターなどを開設して説明することを約束し、討議をいっさい行わないという前代未聞の形で登録が実現しました。
世界遺産リストに登録はされましたが、登録直後から日韓の意見の相違が明らかになりました。
国民徴用令の下で勤労動員が行われたのは事実ですが、労働内容の認識について韓国側は "forced labor"(強制労働)という表現を用い、奴隷状態にあったとしています。
日本はこれに反発し、先述した外相会談でこの用語を使用せず "forced to work"(働かされた)とすることで合意しました。
しかし世界遺産登録後、韓国は「日本が強制労働を認めた」とし、村山談話や小泉談話、河野談話などに続いて日本の凄惨な植民地支配を認めるものというアナウンスを行いました。
そしてここで起きた悲劇の表記を繰り返し日本に求めました。
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インフォメーション・センターの設置や悲劇の表記はこうして公約となりました。
そして2020年3月31日、東京新宿区の総務省第二庁舎別館(最寄駅:都営大江戸線、若松河田駅)に産業遺産情報センターが開所しました。
展示内容を資料から抜粋しましょう。
<産業遺産情報センターの主な展示内容>
- ゾーン1:導入展示「明治日本の産業革命遺産への誘い」
導入的位置づけの展示ゾーンとして、「明治日本の産業革命遺産」の概要、世界遺産として登録されるまでの経緯をパネルで展示。体感型マルチディスプレーにより、明治日本の産業革命遺産の各構成資産や日本各地の産業遺産について写真や動画を活用しながら解説。ガイダンスシアターでは、世界遺産に登録されるまでの道のりや「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産価値を解説する映像を放映。
- ゾーン2:メイン展示「産業国家への軌跡」
①揺籃の時代、②造船、③製鉄・製鋼、④石炭産業、⑤産業国家への5つのコーナーで構成。幕末から明治にかけて僅か半世紀で産業国家へと成長してゆくプロセスを分かりやすく解説。パネルによる解説のほか、海外の産業遺産に関する専門家のインタビューや構成資産の歴史的価値を映像により紹介。ゾーン中央の情報検索テーブルでは、構成資産のビジュアルイメージをプロジェクターで投影するとともに、資産に関するより詳細な情報についてタブレット端末を使用して検索が可能。
- ゾーン3:資料室
閲覧スペースやレファレンスカウンターのほか、書架や各種デジタル機器(モニター、検索装置、体感型マルチディスプレー等)を設置し、産業労働を含む多様な情報にアクセスが可能。
このように、産業遺産情報センターの役割は1850年代~1910年の産業革命遺産としての顕著な普遍的価値を解説するものとなっています。
端島については元島民36人の証言を動画で紹介したり、在日韓国人2世の男性が生前に語った差別やいじめはなかったとする証言などを公開しています。
また、長崎造船所の名簿や台湾人元徴用工の給与袋などを展示し、朝鮮半島や台湾出身者にも賃金が支払われていた事実を示しています。
韓国はこの内容に激しく反発しました。
特に、産業遺産情報センターが端島からはるかに遠く、いずれの構成資産とも関係がない東京に設置され、しかも強制労働に触れるどころかそれを否定する証言や証拠のみを集めている点を問題視し、日本が約束を守らず、歴史の隠蔽や歪曲を行っていると非難しました。
第44回世界遺産委員会は2020年6月29日~7月9日に中国・福州で開催される予定でしたが、その直前の6月22日、当時の康京和(カン・ギョンファ)外相はUNESCOのオードレ・アズレ事務局長に書簡を送り、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産リストからの抹消を要請しました。
また、UNESCO韓国代表部の金東起(キム・ドンギ)大使は世界遺産委員会の21委員国に対し、日本の公約違反を知らせて世界遺産委員会で糾弾すると発表しました。
結局、第44回世界遺産委員会は新型コロナ感染症の影響で1年間延期され、今年7月16~31日にオンラインで開催されることになりました。
[関連サイト]
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韓国からの抗議を受け、UNESCOの世界遺産センターとICOMOSは共同調査団を立ち上げて、UNESCOがふたり、ICOMOSがひとりの専門家を選出しました。
その中のひとりが6月7~9日に産業遺産情報センターを訪れるなど、現地調査や韓国側からの聞き取りなどを含む調査を行い、世界遺産委員会で審議するための勧告書を作成し、世界遺産センターに提出しました。
このように、なんらかの脅威が報告された世界遺産については独自の調査が行われることがあります。
これをリアクティブ・モニタリングといいます。
60ページに及ぶ勧告書の内容ですが、産業遺産情報センターや端島における展示は不十分であり、約束は守られていない、と明確に書かれています。
ただ、徴用や労働状態について調査したものではなく、合意内容の履行に関して不十分であるとするものです。
ここでいう合意とは、自らの意思に反して連れてこられ、過酷な労働に従事した徴用工の実態をインフォメーション・センターなどで発信するというものです。
1850年代~1910年の産業革命に関する展示は非常に高く評価していますが、1910年以降の日本の政治的あるいは軍事的歴史への言及がほとんどなく、第2次世界大戦時の徴用に関する展示はわずかで、そのうえ強制的に働かされた事実や過酷な労働、差別の実態を示す証拠はなく、むしろ否定する内容になっています。
調査員が産業遺産情報センターで行ったヒアリングでは、労働者は出身地に関係なく家族のように一体で、過酷な労働といっても一般的な労働と比較して炭鉱労働が過酷であるという意味であると説明を受けたそうです。
差別やいじめは存在せず、給料も十分に支払われており、奴隷状態ではありませんでした。
しかし、こうしたデータは日本側のものに限られており、韓国側のデータや証言は含まれておらず、見学者が自身で判断できるような多様な展示になっていないとしています。
世界遺産登録当時、日本はインフォメーション・センターの設立目的を「犠牲者を記憶に留めるための適切な手段を提供する」ためとし、「犠牲者」とは「意思に反して連れこられて過酷な条件下で働くことを余儀なくされた朝鮮人やその他の人々」を示唆していると指摘しています。
要するに「言ってることが違う」ということで、日本の矛盾が明らかにされています。
文化遺産の調査・評価を担当しているICOMOSはその憲章の中で、文化遺産の評価はその遺産が活動した時代のみを対象とするのではなく、歴史的および文化的重要性に貢献したすべての時代を考慮すべきである、としています。
価値の主体がその一部にあるとしても、全体の歴史の中で考察すべきであり、他の時代を無視してはならないという内容です。
この点についても日本の主張の矛盾が突かれている印象です。
先述したように、「明治日本の産業革命遺産」の顕著な普遍的価値は1850年代~1910年の産業革命期の遺産であるという点にあります。
端島において、これに該当するのは炭鉱の坑道跡や石積みといった部分に限られています。
ところが端島のほぼ全域が世界遺産の資産として登録されており、推薦書では1910年代に建設がはじまった日本初となる鉄筋コンクリート(RC)造の高層住宅群などにも焦点を当て、ICOMOSもこれを評価しています。
今回の世界遺産委員会での定期報告のために日本も報告書をまとめていますが、高層住宅群にもかなりの分量が割かれています。
明らかに、1910年以降の部分についても価値を認める内容になっています。
最終的に調査団は、「多くの朝鮮人やその他の人々が意思に反して過酷な条件下で働くことを余儀なくされたことを理解できるようにするための措置」は行われておらず、これらの「措置は現状、不十分である」と結論づけています。
ただ、"forced labor" などといった表現は使用されておらず、強制連行や強制労働を断定したものにはなっていません。
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7月13日、茂木敏充外相は記者会見で、「わが国はこれまでの委員会の決議・勧告を真摯に受け止め、約束した措置を含めて誠実に履行してきている」とし、「わが国のこうした立場を踏まえ、適切に対応していきたい」と述べています。
7月16~31日の第44回世界遺産委員会では「明治日本の産業革命遺産」の定期報告が行われ、この問題についても審議される予定です。
産業遺産情報センターの展示内容について、改善すべきであるという内容が盛り込まれる可能性が高いものと思われます。
一方で、韓国が要求した世界遺産リストからの抹消はまずないと考えられます。
そもそも登録抹消の条件は「世界遺産リストへの登録を決定づけた資産の特徴が失われるほど資産の状態が悪化している場合」と「世界遺産資産の本来の特質が、登録推薦の時点で既に人間の行為により脅かされており、かつ、その時点で締約国によりまとめられた必要な改善措置が、予定された期間内に実施されなかった場合」に限られているので要件を満たしていません。
共同調査団も「明治日本の産業革命遺産」の顕著な普遍的価値を高く評価しています。
徴用工や慰安婦の問題について、これまでの外交戦略の転換点に立たされているようです。
日本はなるべく問題を騒ぎ立てない方針で進めてきましたが、談話にしても今回の問題にしても日本の微妙な態度が国際的には承認と捉えられてしまうことが多々見受けられます。
それが日本について歴史修正主義的な印象を与えているのかもしれません。
特に「明治日本の産業革命遺産」については内閣が主導した物件ですから、こうした戦略の是非は精査されるべきでしょう。
世界遺産委員会で日本はどのような主張を行うのか?
そして今後の方針をどのように打ち出すのか?
難しい舵取りを迫られています。
※7月24日追記
第44回世界遺産委員会において日本は反論をせず、勧告のまま措置が不十分であるとの決議がなされました。そして2023年の世界遺産委員会で改善状況を報告することになりました。
これに対して政府は、「わが国政府は約束した措置を含め、誠実に履行してきた」と述べ、適切に対応するとの立場を明らかにしています。
「明治日本の産業革命遺産」の公式サイトで加藤康子専務理事は、産業遺産情報センターの役割は正確で証拠価値の高い一次史料を提供することであるとし、解釈は個々の研究者に委ねるべきとしています。決議を真摯に受け止め、異なった見解を持つ方とも対話を進めつつ、この方針を誠実に履行するとの立場を表明しています(下にリンクあり)。
[関連サイト&記事]
※各記事に、さらに過去の関連記事にリンクあり
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