たびロジー6:人はなぜおいしいものを食べるのか?
海外でチェックインしたあとホテルのおやじによく尋ねた。
インドだとこう。
「おいしいターリー屋を教えてくれ」
エクアドルだとこうなる。
「おいしいセナを食べたいんだけどどこがいいかな?」
ターリーもセナも定食だ。おやじたちのすすめる定食屋はいつもおいしかった。
おいしいまずいは人それぞれだ。
よくこう言われる。
しかし。
世界のどこに行ってもおやじたちはおいしい店を紹介してくれた。
日本でもおいしいものを並んでまで食べようとする人がいる。
もし人ごとに全然違う味の基準を持っていたらマズイ店を紹介されることも多々あったはずだし、同じ店に並ぶこともないだろう。
そもそもシェフや板前に一流二流の区別が存在するのはおいしさについて統一した価値基準があるからだ。
おいしいってなんだろう?
科学はこう語る。
おいしさの基本は味だ。
味には5つの種類がある。
甘味、酸味、塩味、苦味、うま味。
これに辛味と渋味が合わさって味覚を構成し、さらに香りと温度・食感が加わって風味となる。
さらに色や形、音、味わう人の心の状態や環境が加わって、おいしさが決まる。
なぜ人はおいしさを感じるようになったのか?
進化論はこう答える。
栄養を安全に摂取するための食材選別の方法だ。
そしてその選別方法は遺伝子によって情報化された。
どうやっておいしさを感じるのだろう?
脳の科学はこう語る。
電気信号や化学信号が脳に伝わり、快楽を生み出すホルモンを射出して「おいしい」という感覚が作り出される。
1,000年前まではまったく違う説明がなされていた。
ルネサンス以前、すべては神によって説明がなされていた。
ではいまから1,000年後、おいしさに対していったいどのような説明がなされているのだろう?
パラダイム・シフトが起こり、いまとまったく違う説明がなされているかもしれない。
「科学はすべて仮説」(スティーブ・ホーキング)だ。
このように考えると物事がシンプルに説明できる、という解釈にすぎない。
にもかかわらず、人は当たり前のように「おいしさは遺伝子が決めている」とか「脳がおいしさを作り出している」などと語りたがる。
3,000年以上前の古代エジプトのヒエログラフにはおいしいワインやビールの製法が描かれている。
おいしい作物の製法には法則性があったが、それをもたらすのはうま味成分やホルモン物質ではなく、神だった。
少なくとも言えることは、それがうま味成分だろうが電気信号だろうが神だろうが、おいしいという感覚を現代人同様持っていた、ということだ。
1,000年前の人類も、現代人も、1,000年後の人類も、マズイものよりおいしいものを食べたいということだ。
仮にいまの科学がすべて間違いだったとしても、いまおいしいものを食べれば、いまこの瞬間はおいしい。
その感覚は共有できる。
同じように。痛みの原因がなんであれ、痛いものは痛い。
キレイな絵はキレイ。
美しい音楽は美しい。
この、人類に共通する感覚という存在。
これを説明するために考え出されたのが神であり脳だ。
人は、目で見、鼻で嗅ぎ、口で味わい、耳で聞き、肌で触れた感覚をもとに法則性を見出す。
目で見て物が下に落ちることを知り、足の上に落ちて物の固さを知る。
見て、触れて、測定し、物体がt秒後にはvt+(1/2)gt^2の位置にあることを知る。
遺伝子や脳がおいしさや美しさを生み出しているのではない。
順番が逆だ。
おいしさや美しさを説明するために、遺伝子や脳といった仮説が生み出されたのである。