絵&写真3:自然とアート ~ガレとジャポニズム展~
昔々、アール・ヌーヴォーはそんなに好きではなかった。
好きなアーティストもいるけれど、当たり外れが大きいというか。
たとえば知床や屋久島みたいな大自然を柵で囲って庭にして、「この庭、芸術だろ!」と言われても、それはアートではなく、あくまで「自然」だ。
カメラマンなら屋久杉の幹の一部をアップで撮影して屋久島の空気を伝えてしまうかもしれない。
シェフなら知床の春の草花で一皿の料理を作って他の何よりも知床を表現してしまうかもしれない。
自然から美を抽出するこのような活動こそアートだ。
自然には無数のアート的要素が入り混じっていて、アーティストたちはこれを丁寧に丁寧に解きほぐして作品を仕上げていく。
たとえば下の絵。
現実(自然)の中から美の成分だけを抽出して抽出して、ミロは世界をここまで削り、磨き上げた。
現実の中の真理、超現実を探る活動=シュールレアリスムと言われるけれど、もともとアートというのはそのような活動でしかありえない。
だから自然をあまり濾過しないアール・ヌーヴォーの作品群は、美しいのだけれど「あまり」と思っていた。
商業的要素が強い作品も多いし、実際「あまり」な作品も多い気がする。
でも、エミール・ガレやルネ・ラリックの作品を見ると、アール・ヌーヴォーもやはりすごいということがよくわかる。
本当に美しい。
自分はより単純、よりミニマルな作品を見に行くことの方が多くて、庭園や建築よりも彫刻、彫刻よりも絵画、具象画よりも抽象画に接する機会が多い。
たとえば3次元を2次元に投影した絵画は、立体をそのまま彫刻にするよりも、より美がピュアに抽出されているからアートな作品が多い。
そう思うからだ。
でも、ガレの器が見せる美は明らかにガレの器でしか表現できない。
ガラスに載った絵付の色はどうやっても絵にはならないだろう。
どうしてもこれでなくてはならない――この必然性。
だから彼はひたすら彼の感じる美にこだわる。
ガレの作品には、彼が何をどう感じたのか、その過程がすべて描き出されている。
彼の感覚がそこに閉じ込められている。
彼に関する様々な逸話が伝わっているけれど、すべては伝聞で、実際彼がどういう人物だったかはわからない。
しかし、彼の作品を見れば彼がどう感じたかは手に取るようによくわかる。
「感じている」人間がそのまま閉じ込められているという意味で、アートはとてつもなくエロティックなものだ。
特にあの曲線なんて――
* * *
サントリー美術館で開催されている「ガレとジャポニズム展」、そんなわけでとてもよかった。
ここ最近見た展覧会の中でももっとも充実していたかもしれない。
また、葛飾北斎の数々の作品が並べられているのも魅力的だ。
北斎は北斎で大好きだから。
やはりいいなー、展覧会は。
もちろん絵を見た後はおいしい料理とお酒が必須。
色と形に刺激を受けて高ぶった五官をやさしく洗い流さねば。
そしてバーへ。
お酒で気持ちよくなってくると、今度は触覚と聴覚も刺激したくなってくる。
そしてクラブへ。
六本木――
なんて刺激的な街なんだ。
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