絵&写真4:生きているモネ ~睡蓮の間より~
オランジェリー美術館にある「睡蓮の間」。
まるでUFOの内部といったようなミニマルで明るい空間に、クロード・モネの連作「睡蓮」8点がグルリ取り囲むように展示されている。
モネは絵をフランス政府に寄付する際、いくつかの条件をつけたという。
部屋を円形に造り、周囲を囲むように絵を飾ること。
部屋には「睡蓮」だけを展示すること。
絵は自然光の下で見るようにすること。
内装は白で統一していっさいの色をつけないこと。
見る者と絵を遮るいっさいのものを置かないこと。
そして、展示は死後行うこと。
モネの遺志は長らく日の目を見なかったが、2006年5月、ついに2室からなるオランジェリー美術館 睡蓮の間として実現する。
モネは庭園を愛した。
ジベルニーの自宅に庭を造り、池に睡蓮を浮かべ、花を生け、これらを愛で暮らした。
友人を招待しては「最高傑作だ」と指差したという。
その庭をモチーフに、モネは晩年、睡蓮を描き続ける。
睡蓮が関係した作品の数、200超。
やがて白内障を患うが、ただ「睡蓮」を完成させるためだけに目の手術を受けたという。
オランジェリー美術館の空間に身を置き、絵と一体化すると、その理由がよくわかる。
そんな物語からモネの心が伝わってくるから?
違う。
仮に上の伝説がすべて嘘だったとする。
実際伝聞だから、どこまで本当なのかわかったものではない。
モネの心だの気持ちだのなんて、実際のところは少しもわからない。
でも、絵の価値が変わろうはずがない。
絵の価値はその意味にない。
アートの価値は解釈にない。
意味に価値があるのなら、モネは睡蓮を描くのではなく睡蓮を観察していただろう。
意味=論理だから、モネは表現したかったものを文章に書き残していただろう。
学者として生き、絵ではなく池を永続的に存続させる方法を考え出しただろう。
しかし、モネがこだわったのは睡蓮の「絵」。
絵の説明などいっさいすることなく、ただ、自然光の下で見ることや、邪魔な色彩を置かないこと、ガラスなどを通さず直接自分自身の目で絵に触れられること、つまり純粋に「絵を見ること」だけを厳しく条件づけた。
なぜって、それが「絵」であるから。
それでしか伝えることができないから。
それによってすべてが伝えられるはずだから。
連作「睡蓮」にはモネの感じたすべてがある。
モネの全世界がそこにある。
だから、モネが感じたものを完全に再現すれば、そこにモネが生まれる。
だって、いまこの部屋にいていろいろなものを感じているぼくのこの感覚。
これを完全に再現できたとしたら、それはまさにぼくであるように。
「ある作者の生涯は、何も教えてくれないのは事実である。しかし同時にその読み方を知っていれば、すべてを見出すことができるのも事実である」
(モーリス・メルロ=ポンティ著 中山元訳『メルロ=ポンティ コレクション』ちくま学芸文庫より)
しかももしそれが伝わったとしたら?
それを純化するために、モネは死後にこだわった。
だからこう言える。
すぐれたアートは心を超えて、作者以上に作者だ。
「睡蓮」はモネ以上にモネだ。
オランジェリー美術館 睡蓮の間には、いまもモネが生きている。
※
2008年4~5月、ドイツからフランスにかけてを旅した。
この旅の中でもっとも感動したのがオランジェリー美術館の睡蓮の間だった。
それまでモネに感動することはなかったが、あの場から動けなかった。
何分いたのかもわからなかった。
ただ残念なのは、オランジェリー美術館の多くの部屋の壁面には色がついていた。
睡蓮の間にあれだけこだわっているのに、なぜ他の部屋に邪魔な色がついてしまったのだろう?
<関連サイト>
オランジェリー美術館(公式サイト。日本語あり)