世界遺産と建築23 仏教建築3:上座部仏教編(スリランカ、東南アジア)
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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第23回はスリランカ、ミャンマー、タイ、ラオスの上座部仏教建築を紹介します。
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<スリランカの仏教建築:セイロン様式>
■スリランカの仏教建築:ヴィハーラ、パンサラ、ダゴバ
インドや中央アジアで最初に仏教を広めたのはマウリヤ朝のアショーカ王で、当時は上座部仏教が奉じられていました。
続いてインドから中央アジア、中国国境まで大国を築いたクシャーナ朝は大乗仏教を広めました。
また、インドで密教化した大乗仏教はチベット仏教となり、ヒマラヤを越えてやはり中国に到達しました。
これらをまとめて「北伝仏教(北方仏教)」といいます。
これに対し、インドの南からスリランカを経由して東南アジアに伝えられた仏教(上座部仏教)を「南伝仏教(南方仏教)」と呼びます。
紀元前3世紀、マウリヤ朝のアショーカ王の弟あるいは息子と伝えられるマヒンダがセイロン(スリランカ)のシンハラ王国を訪れて上座部仏教を伝えます。
当時の王はこれを受け入れて仏教に改宗し、首都アヌラーダプラ①にイスルムニヤ精舎やトゥーパーラーマ塔を建立し、ダンブッラ②などに石窟寺院を築きました。
以来、シンハラ王国は11世紀まで繁栄し、仏教がスリランカに根付いていきます。
スリランカに伝わった段階では仏像も仏殿も存在せず、僧たちは僧院で学問や瞑想といった修行を行いました。
インドの石窟寺院には僧院であるヴィハーラ窟と瞑想や修行の場であるチャイティヤ窟がありましたが、スリランカでは僧院はそのまま「ヴィハーラ」といわれ、寺院は「パンサラ」、ストゥーパは「ダゴバ(ダーガバ)」と呼ばれます。
なお、ヨーロッパ言語でストゥーパの意味で使われる「パゴダ」はダゴバに由来するといわれます(異説あり)。
ヴィハーラは石造で簡素に築かれたのに対し、著しく発達したのがダゴバです。
基本はサーンチーのストゥーパ③と同様で、基壇の上に半球ドームの覆鉢(ふくばち。伏鉢)を築き、その上に箱形の平頭 (へいとう/ひょうず) 、頂部に相輪を載せ、周囲を欄順(らんじゅん。柵や垣)で囲っています。
形はサーンチーのストゥーパに似ていますが、高さは100mを超えるものもあり、サーンチー最大のグレート・ストゥーパでさえ高さ約17mですから、大きさ的にははるかに凌駕したものとなっています。
※①世界遺産「聖地アヌラーダプラ(スリランカ)」
②世界遺産「ランギリ・ダンブッラ石窟寺院(スリランカ)」
③世界遺産「サーンチーの仏教建造物群(インド)」
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<ミャンマーの仏教建築:ビルマ様式>
■ミャンマーの仏教建築1.パヤー、ゼティ
ビルマ(現・ミャンマー)には古くからインドの大乗仏教やヒンドゥー教が伝わっており、さまざまな寺院が建てられました。
紀元前から紀元後9世紀ほどにかけてエーヤワディー川中流で大きな勢力を誇ったピュー王朝の都ハリン①やベイタノー①、シュリクシェトラ①といった城郭都市では、大乗仏教の僧院やセイロン様式のストゥーパ、ヒンドゥー教の寺院や民間信仰であるナッ信仰の寺院が発見されており、さまざま宗教が併存していたようです。
目立つのはストゥーパで、ビルマではストゥーパ本体は「ゼティ」、施設全体は「パヤー」と呼ばれています。
シュリクシェトラのボーボージー・パヤーのように、当時のパヤーはインドのストゥーパ同様、基壇の上に半球形や円筒形の覆鉢を載せ、相輪を頂いていました。
11世紀にビルマ族が南下してバガン朝を建国すると、上座部仏教に帰依して雑多な宗教を整備しました。
スリランカのシンハラ王国にしばしば留学生や僧を派遣して仏教を学ばせ、首都バガン②におびただしい数のパヤーを建設しました。
もともとストゥーパは仏舎利(ブッダの遺灰)を収める供養塔でしたが、ビルマではブッダの象徴となって神格化されました。
在家信者にとってパヤーを建設することは最大の功徳とされ、一族で財産を集めてはパヤーが建立されました。
バガンに林立する数千のパヤーはこうして築かれたものです。
※①世界遺産「ピュー古代都市群(ミャンマー)」
②世界遺産「バガン(ミャンマー)」
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■ミャンマーの仏教建築2.パトー、キャウン
ビルマでは12世紀頃になるとストゥーパよりも仏像が重視されるようになり、バガン①でも仏殿「パトー」が増えていきます。
アーナンダ・パトーは正方形の周壁に囲われた点対称のマンダラ風伽藍で、本堂は方形の四面堂(四方が同じ構造を持つ堂宇)ですが、四面に前殿を設けておおよそ「+」形のギリシア十字形をしています。
頂部のストゥーパはインド・ブッダガヤの大菩薩寺=マハーボディのシカラ(塔身)を模した金剛宝座式で、本堂の東西南北には黄金の釈迦如来立像が安置されています。
ダマヤンジー・パトーもほぼ同様の造りで、本堂は6層の階段ピラミッド、内部は四方に釈迦如来坐像を安置しています。
頂部の覆鉢はインド・サーンチーのストゥーパ②を思わせる半球形ですが小さく、ストゥーパはすでに崇拝対象になっていません。
同時代のマハーボディ・パトーはインドのヒンドゥー教建築の北方型・ナーガラ様式で、その名の通り同様式のインド・ブッダガヤの大菩薩寺=マハーボディ③をかたどっています。
造りはそのままヒンドゥー教寺院で、奥に至聖所ガルバグリハ、手前に礼拝室マンダパを持ち、上部にはシカラを頂いています。
パヤーやパトーは基本的に在家信者が寄進し、一般の信者が祈りを捧げる場所です。
上座部仏教では出家して僧となり修行することを重視していますが、そうした僧のための修行施設が僧院「キャウン」です。
キャウンは基本的にシンプル質素な木造の高床建築で、腐りやすいこともあって17世紀以前のものは残っておらず、古いものでも18世紀のコンバウン朝期のキャウンとなっています。
※①世界遺産「バガン(ミャンマー)」
②世界遺産「サーンチーの仏教建造物群(インド)」
③世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺(インド)」
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<タイとラオスの仏教建築>
■タイの仏教建築1.スコータイ様式、クメール様式、ラーンナー様式
バガン朝の僧たちはビルマだけでなく、インドシナ半島全域で布教活動を行いました。
タイ族がタイ北部に築いたスコータイ朝の第3代国王ラームカムヘーン王が上座部仏教に帰依すると、代々の王たちは首都スコータイ※に数々の寺院を築いて仏教の聖地として整備しました。
14世紀のリタイ王が一時的に出家して「タンマラーチャー(仏法王)」を名乗ると、これ以降、タイの国王は仏教の守護者にして寺院の統括者であるという立場を確立し、現在に引き継がれていきます。
タイでは寺院を「ワット」と呼びますが、これはアンコール・ワット②からもわかるようにカンボジアのクメール語の影響です。
ミャンマーでは先述したようにパヤーやパトーとキャウンは別に築かれることが多かったのですが、タイでは基本的にワットの中に設置されました。
スコータイ最古といわれる寺院が13世紀創建のワット・マハタートです。
マハタートは「偉大なる仏舎利(ぶっしゃり。ブッダの遺灰)」といった意味で、タイでは多くの町にこの名の寺院があります。
全体は方形のマンダラ風伽藍で、「チェディ」と呼ばれる200近いストゥーパと18の祠堂「モンドップ」が立ち並んでいます。
中心となっているのは中央の大チェディと、仏像を安置する仏殿であり講堂でもある「ヴィハーン」で、スコータイ様式では「チェディ-ヴィハーン」、あるいは「チェディ-ヴィハーン-礼拝堂マンダパ」が直線上に並ぶスタイルが多く、周辺に本堂「ウボソット」や経蔵「ホー・トライ」などが配されました。
近くにあるワット・シーサワーイの3連チェディの塔身はクメール様式の塔堂「プラサート」の影響で、タイでは「プラーン」と呼ばれます。
プラーンは一般的に方形やロータス形の基壇に砲弾形の塔身を載せており、基壇の四面に祠堂を設けて仏像を収めています。
※世界遺産「歴史都市スコータイと周辺の古代都市群(タイ)」
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■タイの仏教建築2.アユタヤ様式、バンコク様式
14世紀には同じタイ族が現在のバンコクの北にアユタヤ朝を建て、15世紀にスコータイ朝を吸収します。
首都アユタヤ①には多くの寺院や宮殿が建設されますが、これらはスコータイ朝の建築様式を洗練させたものとなりました。
アユタヤのワット・プラ・マハタートは二重の周壁に囲われた回字状のマンダラ風伽藍で、中央に大プラーンを置き、その東西に左右対称にヴィハーンが設置され、周辺には数多くのプラーンやチェディが立ち並んでいました。
ワット・ラーチャブーラナやワット・プラ・ラームなどもほぼ同様の造りで、「チェディ-ヴィハーン」が並ぶスコータイ様式と比べて正面性は薄れ、点対称でマンダラ風の造りが強調されています。
チェディは円錐形のセイロン・ビルマ様式のものからロータス形のプラーンまで多種多様です。
タイのバンコクではこれらを進化・集大成させた寺院や王宮を見ることができます。
その最高峰が18世紀建立の王室寺院コンプレックス、ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)です。
黄金のプラ・シー・ラッタナー・チェディは釣鐘形で小祠堂を持つアユタヤ様式のチェディで、周辺にはロータス形の黄金チェディも見られます。
王族の霊廟であるプラサート・プラ・テップ・ビドンはクメール様式のプラーンと十字形の木造堂宇が融合しています。
この寺でもっとも大きいのは本尊のエメラルド仏を収める極彩色の本堂ウボソットで、長方形の周柱式、寄棟屋根に切妻の多層屋根を重ねています。
こうした幾重にも重なる多層屋根や屋根飾りチョーファーはタイ北部のラーンナー様式の影響が表れています。
※①世界遺産「歴史都市アユタヤ(タイ)」
②世界遺産「歴史都市スコータイと周辺の古代都市群(タイ)」
③世界遺産「アンコール(カンボジア)」
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■ラオスの仏教建築:ルアンパバン様式
ラオスは北タイと隣接しており、民族的にも文化的にも近く、ラーンサーン王国の木造建築様式「ルアンパバン様式」はラーンナー様式とよく似たものとなっています。
ただ、ラオスの仏教建築では巨大なストゥーパ(ラオスでは「タート」と呼ばれます)が見られません(小さなストゥーパはたくさんあります)。
したがって「チェディ-ヴィハーン」の並びも見られず、本堂が寺院の中心となっています。
ルアンパバンのワット・ウィスンナラート、ビエンチャンのタート・ルアン①やタート・ダムなどの例外はあるものの、ラオスやカンボジア、ベトナムでは円錐形の巨大なストゥーパはあまり築かれませんでした。
ラーンサーン王国の首都シエントーン(後にルアンパバンに改名)②は王都であると同時に仏教寺院が立ち並ぶ仏教の聖地として整備されました。
ルアンパバン様式の本堂はラーンナー様式のヴィハーンやウボソットとほぼ同様ですが、屋根が湾曲した反り屋根で、軒は基壇に達するほど深く、破風飾りやチョーファーはより豪華に発展しています。
木造の柱梁構造または石壁の組積造で、周囲に柱が連なる周柱式であることもあります。
また、エントランスに列柱廊玄関を備えていることが多く、玄関と内部が区切られて、美しい装飾で飾られています。
※①ラオスの世界遺産暫定リスト記載
②世界遺産「ルアンパバンの町(ラオス)」
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