旅日記2:京都へ 後編
東京的なもの。
一分の隙もない思想。
京都的なもの。
隙のための思想。
思想とは記号で構成された信仰のこと。
根底にあるのは宗教だ。
人はこう生きなければならない。
私はこう生きたい。
そんな宗教的なもの。
それが思想だ。
そして思想は記号から構成されている。
東京の街で優勢なのは一分の隙もない記号だ。
ほんのわずかな隙間があれば記号はどんなに狭い場所にも入り込み、記号同士結びついて思想で満たされる。
古い思想や敵対的な思想は咀嚼されてバラバラになり、分解された記号は編み直されてまたひとつの思想として甦る。
この永遠の再生産。
でも、京都で優勢なのは隙であり間(ま)だ。
京都の思想は思想のための思想ではなくて、記号化できない隙や間といったものを取り囲むための思想だ。
それはちょうど木や花や池や岩や空を人工的に配することで人の言葉で語ることのできない「美」を際立たせるように、記号を配してそれらでは語れないものを語るという庭園の思想だ。
京都の庭園では記号や思想は輪をなして、火の周りで跳ね踊る民族儀式のように、美という記号化不可能なものを囲んで踊り狂う。
記号が美を分解せんと侵食を繰り返すが、しかし京都は美の普遍性を掲げて腐食を免れる。
この永遠の美化。
東京の思想に生きる者にとって東京はこれ以上なく合理的な街だ。
でも、世界に腐食せぬものを見てしまう者にはこれ以上なく空虚な街だ。
かと言って、京都に非記号的なもの・腐食せぬものを見る者が京都で幸せに暮らせるかと言えば、そうも思えない。
悲しみを背負った人間にしか庭園などという自然の濾過物・模倣物が造り出せないように、それを見てしまう者には悲しみが貼り付いているからだ。
だから京都でも隙や間は解釈による咀嚼を受ける。
「京都へいらした方は、竜安寺の石庭を必ずや御覧になった筈でありますが、あの庭は決して難問ではない、ただの美であります。人を黙らせる庭であります。ところが滑稽なことに、御庭拝見にまかり出る近代人は黙るだけで満足しない。何か一言なかるべからずというので、俳句をひねり出すようなしかめ面になる。美が饒舌を強要するようになった。美の前へ出ると、何か大いそぎで感想をのべる義務を感じるようになった。美をいそいで換価する必要を感じるようになった。換価しなければ危険である。美は爆発物のように、所有の困難なものになった。というよりは、沈黙を以て美を所有する能力、この捨身を要する崇高な能力が失われたのであります」
(三島由紀夫『禁色』新潮文庫より)
そして沈黙する者は悲しみのうちに美を崇拝し、普遍たる美と同化しようと悲しみを繰り返す。
「私は自分の生のみすぼらしさ、つたなさがあわれでならなかった。夜通しの仕事の机にも小さい美術品をおいて自分を支えた。支えると思ったのに過ぎないのかもしれない。それはロダンの女の手であったり、河内の喝食の面であったり、長治郎の赤楽の茶碗であったり、織部の手鉢であったり、藤原か鎌倉かの女神像であったりした。自分のものばかりでなく、借りものもあった。古いものほど新しい力があった。私は時を超えた美を感じる一方時代の宿命を感じた」
(川端康成『天授の子』新潮文庫収録、「天授の子」より)
美を排除して画一化することの儚さ・脆さ。
美を身近に置いて生きることの儚さ・弱さ。
もちろん、東京にも京都があり京都にも東京がある。
この世界は東京的なものと京都的なものに満ちている。
そのどちらもが人間。
そのどちらもが世界。