哲学的探究11.思考実験1 ~世界5分前仮説、ヤング・アース仮説~
この世界には矛盾の袋小路が立ちふさがっているのではないか?
空間と時間、あるいは空間の占め方である物質と時間は細部を観察しても全体を観察しても矛盾する。
物質や時間を深く考えていくと、その過程でこうした矛盾が亡霊のように何度も何度も立ち上がってきてしまう。
前回検討したこうした矛盾をより詳細に観察するために、いくつかの思考実験を行ってみたい。
まずは「世界5分前仮説」だ。
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■世界5分前仮説
「世界5分前仮説」はおおよそ以下のようなものだ。
- この世界は神が5分前に創造したものである――
バートランド・ラッセルの講義を収録した『心の分析』に登場する仮説だが、実は『心の分析』の該当部分には「神」という表記は登場しないし、そもそも記憶や知覚に関する言及であって世界の在り方について述べたものでもない。
でも、上の形の方がわかりやすいのでこれで進めてみたい。
この仮説は証明も反証もできないと言われる。
しかし、「5分前に世界が誕生した」ことを反証(間違いであることの証明)するのは簡単そうに思える。
たとえば。
ぼくには10分前にPCを立ち上げた記憶があり、10年前に新宿区に住んでいた記憶がある。
このPCは去年製造されたものだし、近所の博物館には1億年前のアンモナイトの化石も並んでいる。
以上の事実からこの仮説は反証された――
きわめて常識的な判断だろう。
しかし。
もし、神が5分前に「10分前にPCを立ち上げた記憶」や「10年前に新宿に住んでいた記憶」を創ったとしたら?
もし神が5分前に「去年製造されたPC」や「1億年前のアンモナイトの化石」を創造したとしたら?
この場合、過去を利用して証明することはできない。
過去の実在性を証明するために、過去に実在したものの存在で証明することはできない。
証明すべき結論を先に置いてから証明しようとする循環論法に陥っている(論点先取の虚偽)。
こう考えてもよい。
過去はすでに存在しないからその実在性を証明することはできない――
過去はすでに存在しないため、「10分前のPCの状態」や「1億年前に生きていたアンモナイト」を物理的に確かめる方法はない。
仮に「10分前にPCを撮影した写真」が出てきてもなんの証明にもならない。
それは今現在、存在している写真でしかないからだ。
この仮説は、「今存在しているすべてものは5分前に創られた」と主張している。
そのため「今存在しているもの」では過去の存在を証明することはできない。
「10分前にPCを撮影した写真」という今の存在が、5分前に神によって創造されたものである可能性を否定することはできないのだ。
これは、過去というものが本質的に推論上の存在でしかないことを示している。
意識的にせよ無意識的にせよ、人は「今」から過去や未来を推論し、実在であると仮定して生きている。
過去や未来は存在ではなく、「今」のひとつの性格なのだ。
「距離=速さ×時間」や "S=1/2gt^2" という式の正当性は、物を落としはじめた過去の瞬間と物が下に落ちた現在の瞬間を観察することで実証され、同条件で再現できることで担保される。
このように科学は過去の実在性を認めたうえで成立している。
科学理論の正当性を裏付ける実証性も再現性も過去を認めなければ成立しない。
しかし、過去自身には実証性や再現性を適用することができない。
過去は存在しないのだから、実証・再現どころか観察することさえできないからだ。
そして。
「5分前」は「10年前」や「10分間」「1秒前」等々、過去のどの時点にも置き換え可能だ。
過去のどの時点であれ、存在しないことに変わりはないからだ。
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■世界5分前仮説の無意味性
世界5分前仮説は反証することはできないが、当然証明することもできない。
理由は同じで、5分前などすでに存在しないからだ。
5分前のすべてのものは存在しない。
当然、ないものを物理的に証明する方法はない。
したがって、5分前の「有」も「無」も証明できない。
しかも、5分前に世界が創造された可能性を考えるなら、1秒前に創造された可能性や10分前に創造された可能性、100年前に創造された可能性等々、無数の可能性を検証しなければならない。
証明も反証もできず、しかも無数の可能性をはらむ仮説はただ複雑であるだけで意味がない。
それならこれまでに述べてきたように観測事実と合致するもっともシンプルなルールを「正しい」ものと判断するべきだ。
これが科学的態度であり合理性だ。
だから、人の認識が示すとおり過去を実際に存在したものとして扱うのだ。
「10分前にPCを立ち上げた記憶」や「10年前に新宿に住んでいた記憶」があるのであれば、それを反証するデータが出てこない限り事実として話を進めるべきだ。
また、PCが去年製造されたことやアンモナイトの化石が1億年前のものであるというデータがあるのであれば、よりシンプルで妥当な仮説が見つかるまで事実として承認するべきだろう。
それがもっともシンプルで、もっとも役に立つ、つまり現実を変える力のある方法だ。
そして現実はまさに「今この瞬間」のことであるから、今に影響力を持つこうした科学的手法こそが活用されることになる。
さらに、だ。
より根源的な問題は、ないものの中で何かが生まれるなどという仮定自体が意味をなしていないことだ。
「過去は存在しない」というのであれば、存在しない過去でものが誕生することもない。
存在する現在は、過去を含んだ形で今、ここにある。
過去とは存在するものでも、かつて存在したものでもなく、今この瞬間が含む「現在」の性格だ。
現在を認識できる人は過去を認識し、未来を認識する。
歴史は人の認識の形式なのだ。
この辺りは「哲学的探究5~10」で展開した空間と時間に関する考察だ。
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■ヤング・アース仮説
参考までに、ユダヤ教やキリスト教・イスラム教の創造論者の一部で信奉されている「ヤング・アース仮説」を紹介しておこう。
『旧約聖書』の「創世記」には、神が自分に似せて最初の男・アダムを創ってエデンの園に置き、アダムの肋骨から最初の女・イヴを創ったことが記されている。
これを信じるなら人間が原始的な生物から進化し、やがて猿になり人になったという進化論は否定され、さらに138億年という宇宙の年齢や46億年という地球の歴史はいささか長すぎるということになる。
このため一部の創造論者の間では、地球は数千年から数万年の歴史しか持っていないというヤング・アース仮説が提唱されている。
科学的には、進化論は化石やDNA解析などによって否定しがたく、地球や宇宙に億単位の歴史があることは化石や鉱物・宇宙から届く光等々からほぼ実証されている。
しかし、ヤング・アース仮説に対するこれらの反論も、世界5分前仮説と同様に主張された場合、やはり証明も反証もできないことになる。
神が1万年前に「1億年前のアンモナイトの化石」や「100億光年先から届く光」を創造した可能性を否定する論理的根拠はないからだ。
これはつまり、神を論理的に否定する方法がないことをも物語っている。
もっともこのような主張をする場合、今度は神がなぜそんなややこしいことをするのか、その解答に頭を悩ませることになる。
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世界5分前仮説から得られる結論は、結局前回と同じものになる。
この世界に存在する数々の矛盾は、自己と世界を規定しつつ、自己と世界の内部にとどまらざるをえない存在が必然的に背負う業なのだろう。
次回は、「今、ぼくが見ているこの世界は、水槽の中で培養されているぼくの脳が創り出している幻想である」という「水槽脳仮説」を紹介する。