音楽&ダンス2:音と力とダンスとサルサ
音楽。
ぼくにとって音楽とは、好きとか嫌いとかいうものじゃない。
どこにでもあるもの。
ぼくを構成するもののひとつ。
音楽は曲に限定されるものではなくて、川の流れやおいしい料理や数学の公式や人生の悩みにさえ見つけられるもの。
リズムとかメロディーとかそういったものの総体というか……うーん、面倒。
やっぱり音楽は音楽。
ではぼくにとってダンスとは?
答えのひとつは音楽。
答えのひとつは力。
音楽。
音のつながり。
体が音楽になること。
音楽が人になること。
力。
力のやりとり。
力を動きに変換すること。
動きを力に変換すること。
音楽と力。
このふたつがあわさること。
これがぼくにとってのダンス。
ペア・ダンスとは、力のやりとりをふたりで行うこと。
知ってる?
音も力も古代から謎の存在なんだよ。
たとえば音色。
ケーニャという楽器の音色。
これをどうやってあなたに伝えるか?
正確に伝えたければ実際に聞かせるしかない。
楽器の形や音のメカニズムをいくら詳細に教えても、本当の音色は伝わらない。
たとえば重力。
なぜ物は落ちるのか?
ニュートンの答えは「互いに質量を持つ」からだ。
ところが「互いに質量を持つとなぜ物質は引き合うのか?」はまったく説明されていない。
観測できるのは物質の動きだけで、力そのものではない。
人が観察できるのはいつだって物質だけ。
ところが。
人は音も力も簡単に感じることができる。
耳をすませばいろんな音色を感じる。
腕を上げればいつだって重力を感じる。
ダンスをやるとね、音も力もいつも以上によく見えてくる。
特にペア・ダンスだとね、相手の力がとてもよく伝わる。
うまくいくとね、相手がどのように動こうとしているのか、どのように動きたいのか、手にとるようによくわかる。
会話する以上に。
音や力はいっさい観測できないけれど、いつだって感じることができる。
そんな、とてつもなく不思議で偉大なもの。
そんな音と力のやりとり。
それこそがダンスだと、ぼくは感じている。
すごくない?
感じることを共有しているんだよ!
体の奥底で、いや、体よりもずっとずっと深くで起こっていることをやりとりしてるんだぜ!
なんというエロス!!
そしてMAXの瞬間、ぼくと音の境が消えて、ぼくと相手との境が消えて、「自」と「他」が混ざり合った「真」の世界が姿を現す。
まぁそれはあらゆる芸術に共通するものなのだけれども。
それにアクセスするとても楽しくて効率的な方法のひとつがサルサだと、いつも感じている。
いままたサルサがマイ・ブームでね、そういう感じで踊りまくってるわけなのです。
なんてことを何万語費やしても意味ないやね。
というわけで。
踊ろうよ!