アメリカやエジプトを中心とした国際研究チームは5月16日、ギザからリシュトに至るナイル川西岸で埋もれていた支流の跡を発見したことを学術誌 "Communications Earth & Environment" で発表しました。
「アフラマト支流」と名付けられたこの川沿いに31基のピラミッドが立っており、ピラミッド建設に深く関わっていたものと考えられます。
■Newly mapped lost branch of the Nile could help solve long-standing pyramid mystery(CNN)
今回はこのニュースをお伝えします。
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学術誌 "Communications Earth & Environment" における5月16日の発表によると、アメリカのノースカロライナ大学を中心とした国際研究チームは衛星レーダー画像を用いたマッピング技術をベースに、地中探知レーダーや電磁気トモグラフィーなどを駆使して地表を調査した結果、砂などの堆積物に埋もれたナイル川のかつての支流を発見しました。
そしてアラビア語で「ピラミッド」を意味する「アフラマト」と命名しました。
現在のナイル川から3kmほど西に位置しており、確認された全長はギザからリシュトまでの約64kmですが、南北の調査範囲外については未確認となっています。
川幅は200〜700mほど、水深は25m以上で、現在のナイル川の規模と同程度です。
アフラマト支流とピラミッド群のおおよその位置
現在エジプトではマスタバ(ピラミッドの元になったレンガや切石による方形の墓)やピラミッドが300基以上発見されていますが、その多くは古王国時代(紀元前2700~前2200年頃)に首都メンフィス郊外に築かれており、すべてがナイル川西岸に位置しています。
これはナイル川の西が死者の町=ネクロポリスと考えられていたからで、中王国時代(紀元前2100~前1800年頃)の有力者の墓が集まった「王家の谷」や「王妃の谷」などもやはり西岸に位置しています。
そしてアフラマト支流に沿って31基のピラミッドが確認されていますが、これらもすべて支流の西に位置します。
川に隣接した場所もあり、ピラミッド建設に際して石などの資財を川から引き上げていたとの仮説を後押しするものと見られます。
川沿いには神殿や運河のような遺構も発見されており、港の一部だった可能性が指摘されています。
研究チームによると、紀元前2000年頃から支流は東へ移動を開始し、一帯は徐々に浅くなり、やがて湿地から砂漠へと変化したようです。
中王国時代のピラミッドは古王国時代のピラミッドより規模が小さく、より東に築かれているのですが、これはアフラマト支流の変化に合わせたものとも考えられます。
むしろピラミッドの建設がアフラマト支流の消滅に関与した可能性もあるようです。
今後はより精密な現地調査や、今回範囲外となっている南北のエリアの調査などを行っていく予定です。
支流周辺には数多くの未発見の遺跡が眠っていると考えられることから、新たな発見が期待されています。
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