世界遺産と世界史16.中南米の古代
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の歴史」では世界史と関連の世界遺産の数々を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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1.古代編、2.中世編、3.近世編、4.近代編、5.世界大戦編
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<人類のアメリカ大陸到達>
人類のアメリカ大陸進出の様子
■ベーリング地峡横断
最終氷期(7万~1万年前)のピーク時、多くの水が氷として陸地に収まっていたため海水面は現在より100m以上も低かったようです。
人類は陸続きでかつ氷に閉ざされていない一瞬の隙を突いてシベリア-アラスカ間のベーリング地峡(現在のベーリング海峡)を渡り、北アメリカ大陸へ到達したと考えられています。
いつ渡ったのかについては諸説あり、従来は15,000年ほど前といわれていました。
しかし、近年ではカナダのブルーフィッシュ洞窟群などでそれよりはるかに古い時代の遺物が発掘されており、30,000~25,000年ほど前との測定結果も発表されています。
ただ、人骨など直接的な証拠ではないため議論があります。
ただ、北アメリカでは13,000~8,000年前ほどにはクローヴィス人たちが石器を用いて狩猟採取生活を行っており、クローヴィス文化を築き上げていました。
遅くとも1万年前までには南アメリカ大陸の南端近くに到達していたようです。
○南北アメリカ大陸の先史時代の世界遺産の例
- ポバティ・ポイントの記念碑的土構造物群(アメリカ)
- サンフランシスコ山地の岩絵群(メキシコ)
- オアハカ中部渓谷ヤグルとミトラの先史時代洞窟(メキシコ)
- リオ・アビセオ国立公園(ペルー)
- リオ・ピントゥラスのクエバ・デ・ラス・マノス(アルゼンチン)
- セラ・ダ・カピバラ国立公園(ブラジル)
アメリカ大陸は文化的にアジアやヨーロッパから隔絶されていました。
おかげで大航海時代、15~16世紀にヨーロッパ人が襲来するまで独自で多彩な文化を発達させることができました。
■定住生活のはじまり
中央アメリカの低地は緑広がる豊かな熱帯雨林・照葉樹林ですが、中央部分は標高が高く、乾燥していました。
先史時代、人々は主にこのメキシコ高原で農業を行っていたようです。
メキシコ高原で主に栽培されていたのはトウモロコシやイモ類です。
農耕によって生産性を高めた人々は、メキシコからコスタリカにかけて多彩な文化を生み、数百とも数千ともいわれるピラミッドを建造します。
こうした中央アメリカの文化地帯を「メソ・アメリカ」と呼びます。
メソ・アメリカ最初期の農耕の証拠はギラ・ナキツ洞窟※で発見されています。
洞窟内からは1万年前までさかのぼるウリやマメ類の種子が見つかっており、さらにトウモロコシの穂軸は紀元前4,200年のもので、アメリカ大陸における農業の最古の証拠と考えられています。
※世界遺産「オアハカ中部渓谷ヤグルとミトラの先史時代洞窟(メキシコ)」
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<北アメリカの諸文明・文化>
■サポテカ文明、ミトラ文明、ミステカ文明
サポテカは紀元前1000年頃~1521年、ミステカは11世紀頃~1521年頃の文化です。
サポテカはメソ・アメリカ最古の文字を使う文化で、中心は紀元前500年ほどから建設がはじまったモンテ・アルバン①。
この遺跡では、テオティワカンに見られるタルー=タブレロ型ピラミッドや、マヤで見られる天文台や球戯場、暦の原型等が確認できます。
サポテカ人は11世紀前後にモンテ・アルバンを放棄し、50kmほど北に移動してミトラ②(11世紀頃~1521年)を建てます。
ここはミステコ人の遺跡ヤグル②がある場所で、1万年以上前の先史時代の遺跡が残っています。
11世紀前後、サポテカに代わってモンテ・アルバンを征服したのがミステカです。
ミステカはモンテ・アルバン①を再興して栄えましたが、スペインの侵略に対して徹底的に戦い、虐殺されました。
スペイン侵略後に建設されたオアハカの歴史地区①や、ミステカが支配していたプエブラの街③も世界遺産となっています。
※①世界遺産「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡(メキシコ)」
②世界遺産「オアハカ中部渓谷ヤグルとミトラの先史時代洞窟(メキシコ)」
③世界遺産「プエブラ歴史地区(メキシコ)」
■テオティワカン文明
紀元前2~後8世紀の文明で、最盛期は4~5世紀となっています。
テオティワカン※には太陽のピラミッド、月のピラミッド、ケツァルコアトル神殿を中心に壮大な都市遺跡が残されています。
13世紀頃からこの地を征服したアステカ人たちは、これが人間によって造られたものとは信じられず、神が集う場所=テオティワカンと命名しました。
人口は最大で15万~20万人で、中心には幅40m、未発掘部分も含めて全長5kmに及ぶ「死者の道」が通っています。
周囲には数々のピラミッドが立ち並んでいますが、中でも太陽のピラミッドは底辺225m×222m・高さ74m、月のピラミッドは150m×140m・高さ46mという巨大なものになっています。
ピラミッドは傾斜壁(タルー)と垂直壁(タブレロ)を組み合わせた階段状のタルー=タブレロ様式で、メソ・アメリカ全域に影響を与えました。
※世界遺産「古代都市テオティワカン(メキシコ)」
[関連サイト]
■マヤ文明
紀元前1000年以前~後16世紀の文明で、ユカタン半島を中心にメキシコ中部からコスタリカまで広範囲で繁栄しました(マヤ文明のはじまりを紀元前2000年やそのはるか以前とする説もあります)。
ユカタン半島は石灰岩を中心としたカルスト地形で川がなく、雨が降っても水は大地にすばやく吸い込まれて地底湖や地下河川を形成します。
石灰岩は水に溶けやすいため大地は不安定で陥没を起こすこともしばしばで、マヤ人たちはこうしてできる天然の陥没井戸=セノーテを利用して水を確保しました。
都市国家は紀元前から造られていましたが、巨大な建造物が建てられるようになるのは4世紀以降の古典期からで、それ以前を先古典期、900年以降を後古典期(マヤ・トルテカ文明)といいます。
先古典期のマヤ遺跡ではグアテマラのエル・ミラドール①、タカリク・アバフ②、エルサルバドルのチャルチュアパ③等が知られています。
近年先古典期の遺跡でも近年、巨大なピラミッドが発見されており、エル・ミラドールのラ・ダンタなどは高さ72mに達します。
古典期前期の代表的な遺跡が、5~7世紀に繁栄したカラクルム④と、3~9世紀に栄えたティカル⑤です。
どちらも巨大なピラミッド群が特徴で、王が強大な力をもって数々の衛星都市を従えていました。
マヤ全盛期といわれるのが7~9世紀の古典期後期です。
この時期には60~80もの都市が繁栄し、世界遺産に登録されているものだけでもパレンケ⑥やコパン⑦、キリグア⑧、ホヤ・デ・セレン⑨などが挙げられます。
古典期と後古典期の間、900年前後(9~10世紀)に多くの都市が滅亡します。
理由は定かではありませんが気候変動があったようで、降水量が極端に減り、農業生産がままならなかったようです。
その危機を乗り越え、古典期から後古典期にかけて繁栄したのがユカタン半島北部のウシュマル⑪やチチェン・イッツァ⑫です。
両都市はティカル等の文明をさらに発展させて美しいピラミッドやプウク様式の神殿を生み出しました。
しかし、マヤ文明は12~13世紀以降衰退し、16世紀にスペインが侵略したときにはすでに大きな都市国家は消滅していました。
※①③各国の世界遺産暫定リスト記載
②世界遺産「タカリク・アバフ国立考古公園(グアテマラ)」
④世界遺産「カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林(メキシコ)」
⑤世界遺産「ティカル国立公園(グアテマラ)」
⑥世界遺産「古代都市パレンケと国立公園(メキシコ)」
⑦世界遺産「コパンのマヤ遺跡(ホンジュラス)」
⑧世界遺産「キリグアの考古公園と遺跡群(グアテマラ)」
⑨世界遺産「ホヤ・デ・セレンの考古遺跡(エルサルバドル)」
⑩世界遺産「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの考古地域群(イタリア)」
⑪世界遺産「古代都市ウシュマル(メキシコ)」
⑫世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ(メキシコ)」
[関連サイト]
■トトナカ文明、ワステカ文明
7~12世紀に栄えた文明です。
ウシュマル、チチェン・イッツァと同時期に繁栄した都市にエル・タヒン※があります。
こちらはマヤ人ではなくトトナカ人、あるいはワステカ人が造ったといわれていますが、マヤの影響が強く見られます。
※世界遺産「古代都市エル・タヒン(メキシコ)」
■アステカ文明
テノチティトランを再現したCGアニメーション
13世紀~1521年の文明で、アステカ人はテスココ湖の島に首都テノチティトラン※を築きました。
水上都市ながら湖畔部と合わせて人口は30万以上に達し、メソ・アメリカ史上でも最大の都市として繁栄しました。
郊外のソチミルコ※では浮島に湖底の泥や都市から出た排泄物を混ぜて農場としたチナンパと呼ばれる浮島農業を行って大人口を支えました。
しかし1521年、スペインのコンキスタドール(征服者)、エルナン・コルテスがアステカを滅ぼし、テノチティトランを徹底的に破壊してしまいます。
その場所に新たに造られた都市が現在のメキシコの首都メキシコシティ※です。
※世界遺産「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(メキシコ)」
■アナサジ文化、プエブロ文化
アナサジ文化は紀元前~18世紀、プエブロ文化は8~18世紀で、アナサジ族はプエブロ族の祖先と考えられています。
アナサジ文化はメキシコ-アメリカ国境近くのネイティブ・アメリカンによる文化で、トウモロコシの栽培を行っていました。
アナサジ族の代表的な遺跡にメサ・ヴェルデ①があり、1世紀頃から断崖を利用して生活していたようで、やがて定住生活を勝ち取りました。
プエブロ文化はアナサジ族の後継にあたる文化で、灌漑農業を行ってトウモロコシやカボチャ・マメ類などを生産し、独特の織物や彩色土器などでも知られています。
代表的な集落跡に13世紀頃から建設がはじまった日干しレンガの集落跡プエブロ・デ・タオス②があります。
また、メキシコ北部のパキメの遺跡③はプエブロとメソ・アメリカ双方の影響を受けており、日干しレンガで築かれた集落にマヤ遺跡で見られるような球技場や羽毛を持つヘビの神のレリーフなども発見されています。
※①世界遺産「メサ・ヴェルデ国立公園(アメリカ)」
②世界遺産「プエブロ・デ・タオス(アメリカ)」
③世界遺産「パキメの考古地区、カサス・グランデス(メキシコ)」
■ウッドランド文化、アデナ文化、ミシシッピ文化
北アメリカ中央部には巨大な草原やステップ(亜熱帯高圧帯下の半砂漠・草原地帯)が広がっており、プレーリーと呼ばれています。
その中央を世界3大河川のひとつであるミシシッピ川が流れており、トウモロコシを中心とする穀倉地帯を形成していました。
紀元前10~後9世紀頃のこの地の文化を総称してウッドランド文化といいます。
支流のオハイオ川流域では紀元前1000年頃からトウモロコシ栽培が行われており、アデナ文化(紀元前10~後1世紀)が栄えました。
ピラミッド状のマウンド(墳丘)群やサーペント・マウンド①のような特殊なマウンド群のほか、農地や住居跡・石器・土器などの遺物・遺構が発見されています。
同様の遺跡は近郊のホープウェル②を中心としたホープウェル文化(紀元前5~後5世紀)や、ミシシッピ文化(9~16世紀)でも見られます。
ミシシッピ文化のカホキア②には約20もの巨大なマウンドが立ち並んでおり、モンクス・マウンドに至ってはエジプトの3大ピラミッドを超えるほどの規模を誇ります。
ただ、プエブロやメソ・アメリカの文化群と異なり、レンガや切石は使用されていません。
※①アメリカの世界遺産暫定リスト記載
②世界遺産「ホープウェルの儀礼用土塁群(アメリカ)」
③世界遺産「カホキア墳丘群州立史跡(アメリカ)」
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<南アメリカの諸文明・文化>
■南アメリカ大陸への人類の到達
南アメリカにも、遅くとも2万~1万年前に人類が到達し、数々の遺跡を残しています。
ブラジルのセラ・ダ・カピバラ国立公園①は最古の証拠といわれており、洞窟の火の痕跡は6万~5万年前にさかのぼるとされ、「南アメリカの古代史を書き換えた」といわれたこともありました。
しかし、人類によるものか否かで議論があり、また年代測定法に疑問を呈す学者もいるうえ、南アメリカで他に2万年以前にさかのぼる証拠が発見されていないことなどから定説にはなっていません。
ただ、チリのモンテ・ヴェルデ遺跡②をはじめペルーやチリでは近年1万5000~1万年ほど前の証拠が発見されていることから、少なくとも1万年前には南アメリカ南部まで到達していたと考えられています。
南アメリカで農業によって定住がはじまったのは紀元前3000年頃とされています。
大陸の中央~東部はほとんどが熱帯雨林や照葉樹林・湿地帯ですが、西岸に縦に伸びるアンデス山脈の西側には乾燥地帯が広がっています。
ここで人々はイモ類の栽培をはじめ、リャマやアルパカといった家畜の放牧を開始しました。
スペイン人が襲来する直前、13~15世紀にインカ帝国がアンデス山脈一帯を統一しますが、帝国以前の時代を「プレ・インカ」と呼びます。
以下ではプレ・インカのさまざまな文化を箇条書きで紹介します。
※①世界遺産「セラ・ダ・カピバラ国立公園(ブラジル)」
②チリの世界遺産暫定リスト記載
■カラル文化
紀元前3000~前1000年頃の文化。
人々はペルーのスーペ川流域で定住生活をはじめ、住居や神殿・劇場等が一体となった都市遺跡を残しました。
中心をなすカラル遺跡※には高さ20mに及ぶピラミッドがそびえており、紀元前2500年以前にさかのぼると考えられています。
ペルーでは2013年2月にもリマ近くのエル・パライソ遺跡で紀元前3000年の建造と見られる神殿が発見されており、こうした遺跡の調査が進めば南アメリカの歴史が書き換えられるかもしれません。
※世界遺産「聖地カラル-スーぺ(ペルー)」
■チャビン文化
紀元前1500~前300年頃、ワスカラン①の山腹で栄えた文化。
中心となる遺跡チャビン・デ・ワンタル②からは新旧の神殿や、ジャガーやワシをかたどった神像が発掘されています。
これらはアンデス諸文化に多大な影響を与えており、アンデス文明のひとつのルーツと考えられています。
※①世界遺産「ワスカラン国立公園(ペルー)」
②世界遺産「チャビン[古代遺跡](ペルー)」
■ティワナク文化
紀元前3~後11世紀頃、チチカカ湖①から約20km、標高約3,900mという高地に生まれた文化。
ティワナク②からはピラミッド形の神殿や高度な石造遺跡が発掘されており、太陽の門をはじめ太陽信仰が見られます。
インカ文明に引き継がれたと見られる遺構・遺物・伝説も多く、またインカには太陽神インティが息子マンコ・カパックを地上に派遣した際にチチカカ湖に舞い降りてクスコ③に向かったという伝説があることから、インカの源流とも考えられています。
インカ帝国が首都クスコを原点に全国に張り巡らせたインカ道=カパック・ニャン④の要衝でもあり、周囲からはインカ時代の遺跡も多数発見されています。
※①ペルーの世界遺産暫定リスト記載
②世界遺産「ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地(ボリビア)」
③世界遺産「クスコ市街(ペルー)」
④世界遺産「カパック・ニャン アンデスの道(アルゼンチン/エクアドル/コロンビア/チリ/ペルー/ボリビア共通)」
■パラカス文化、トパラ文化、ナスカ文化
パラカス文化は紀元前9~前1世紀頃、ナスカ文化は紀元前後~後8世紀頃、トパラ文化はその間をつなぐものと考えられています。
いずれも色彩豊かな土器や織物・地上絵で知られる文化で、パラカス文化の地上絵は「パルパの地上絵※」として知られています。
これが発展したのがナスカとフマナ平原の地上絵※で、人間や動植物のもので70以上、幾何学図形は700以上、直線に至っては数千に及びます。
地上絵の目的はわかっていませんが、すべて一筆書きで描かれていることから儀式でこの上を歩いたのではないかといわれています。
※世界遺産「ナスカとパルパの地上絵(ペルー)」
[関連サイト]
■チムー王国
10~15世紀の王国で、これ以前にワリ、シカン、カハマルカ①といった文化がありましたが、シカンを滅ぼし、もっとも大きな国を築いたのがチムーです。
泥と藁とアドベで造られた王国の首都チャンチャン②はその繁栄の名残です。
最盛期はペルー北部の海岸沿い1,000kmを支配しましたが、15世紀半ばにインカ帝国に滅ぼされました。
※①ペルーの世界遺産暫定リスト記載
②世界遺産「チャンチャン考古地区(ペルー)」
■インカ帝国
13世紀にインカ人の国が誕生してプレ・インカの国々を統一しました。
首都クスコ①を中心に、総延長40,000kmに及ぶインカ道(カパック・ニャン)②でアンデス周辺を結んでインカ帝国を築き上げました。
マチュピチュ③もその頃の遺跡ですが、インカ帝国については大航海時代の章で紹介します。
※①世界遺産「クスコ市街(ペルー)」
②世界遺産「アンデス道路網、カパック・ニャン(アルゼンチン/エクアドル/コロンビア/チリ/ペルー/ボリビア共通)」
③世界遺産「マチュピチュの歴史保護区(ペルー)」
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次回は共和政ローマを紹介します。