世界遺産と世界史7.文明の誕生
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の歴史」では世界史と関連の世界遺産の数々を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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1.古代編、2.中世編、3.近世編、4.近代編、5.世界大戦編
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<文明とは何か?>
■文化と文明
まず文化と文明の違いを認識しておきましょう。
デジタル大辞泉から一部を抜粋します。
○文化と文明(デジタル大辞泉より)
- 文化:人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた
- 文明:人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす
まとめると、「文化」は人間特有の生活様式を示す言葉で、芸術から社会・経済活動まで幅広く表現します。
だからネアンデルタール人の活動も文化といえます。
一方、「文明」は経済的・物資的な豊かさが指標になります。
一地域に人口が集約して都市が生まれるわけですが、世界史的にはそんな都市が密集した高度な文化圏が文明と呼ばれます。
ただ、最近は「文明」という言い方はあまりされなくなってきており、「文化」「文化群」などと呼ばれることが多くなっています。
■新石器革命
人類は遅くとも1万年前までにはアジア、アフリカ、アメリカ、オセアニア、ヨーロッパの5大陸の隅々にまで到達しました。
そして世界各地で人間特有の生活様式を示す「文化」を生み出し、住居を造り、石器を使い、埋葬を行い、火を利用し、芸術の楽しみ、命をつなぎました。
文化が発達していくうちに人は農耕と牧畜を発明します。
そしてそれまでの狩猟・採取を中心とした移住生活から定住生活へ移り、獲得経済から生産経済へと移行。
定住生活の中で生活品が洗練され、打製石器は磨製石器や土器へと進化し(新石器時代)、農業も略奪農業(水や養分の供給を自然に頼った農業)から灌漑農業(人工的に水や養分を供給する農業)へと発達しました。
食料の生産量が増すと人口が増加し、余剰作物が階級や職業を生み出しました。
やがて村が都市に発展し、都市が集中する文化群、すなわち文明が誕生します。
こうした人の生活の大きな変化は「新石器革命(紀元前2万~前7000年頃)」と呼ばれています。
ただ近年、農耕社会以前の定住地や大型記念物の発見が相次いでいます。
最たる例が北海道・北東北の縄文遺跡群①やトルコのギョベクリ・テペ②です。
前者は紀元前13000年、後者は紀元前9600年までさかのぼる狩猟採取民の定住跡です。
※①世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群(日本)」
②世界遺産「ギョベクリ・テペ(トルコ)」
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<メソポタミア文明>
古代オリエントの勢力の推移。Elam=エラム、Assyria=アッシリア、Babylonia=バビロニア、Larsa=ラルサ、Eshununna=エシュヌンナ、Egypt=エジプト、Hittite Empire=ヒッタイト、Mitanni=ミタンニ、Israel=イスラエル、Judah=ユダ、Median Empire=メディナ、Persian Empire=アケメネス朝、Ptolemaic Egypt=プトレマイオス朝、Alexander the Great=アレクサンドロス帝国、Seleucid Empire=セレウコス朝、Parthia=パルティア、Roman Empire=ローマ帝国
■都市国家の誕生
古代から近世まで、世界最先端は日が昇る所=オリエントにありました。
その中心がティグリス川、ユーフラテス川(両河川は上流と下流で合流しているためまとめてティグリス=ユーフラテス川とも呼ばれます)からシリア・レバノンといった地中海沿岸部に至る「肥沃な三日月地帯」とエジプトのナイル川流域です。
紀元前10000~前8000年、ティグリス=ユーフラテス川流域、「川の間」を意味するメソポタミアの地で農耕・牧畜がはじまります。
人工的に水を引く灌漑農業が発達すると、富の増大・集中によって多彩な文化が生まれ、人口が都市部に集中。紀元前3000年頃にはウル①、ウルク①、エリドゥ①、ラガシュをはじめとするシュメール人の都市国家群が誕生します。
ニネヴェ②、アッシュール③、アルビル(エルビル)④、ディルムン⑤⑥をはじめ都市国家はその後も次々と誕生しますが、こうした都市の文明群をまとめてメソポタミア文明といいます。
※①世界遺産「南イラクのアフワール:生物の避難所と古代メソポタミア都市景観の残影(イラク)」
②イラクの世界遺産暫定リスト記載
③世界遺産「アッシュール[カラット・シェルカット](イラク)」
④世界遺産「アルビル城塞(イラク)」
⑤世界遺産「カラット・アル-バーレーン-古代の港とディルムンの首都(バーレーン)」
⑥世界遺産「ディルムン古墳群(バーレーン)」
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■領域国家の誕生
紀元前2300年頃、アッカド人のサルゴン1世が都市国家群をまとめてメソポタミア初の領域国家アッカドを建国します。
もっとも領域国家とはいっても都市を束ねている程度の意味しかありません。
紀元前1800年頃、アムル人のハンムラビ王がシュメールの都市国家を侵略してはじめてメソポタミアを統一し、バビロン①を首都とする古バビロニアが成立します。
スーサ②で発見されたハンムラビ法典の復讐法(目には目を、歯には歯を)はあまりに有名です。
紀元前17世紀、小アジア(現在トルコのあるアナトリア半島)にヒッタイトが成立。
鉄器と戦車を駆使して古バビロニアを滅ぼし、エジプトにまで侵攻しました。
特に古代エジプトのラムセス2世と戦った「カデシュの戦い」は有名で、ヒッタイトの首都ハットゥシャ③の遺跡から出土した粘土板によると戦いはヒッタイトの勝利に終わり、2国は世界初となる平和条約=カデシュ条約を締結したといいます。
ラムセス2世は勝利したものとエジプト国内に伝えており、首都テーベのカルナック神殿④やアブ・シンベル大神殿⑤の壁画に勝利のレリーフを刻んでいます。
紀元前1200年頃、謎の民族「海の民」が地中海沿岸部を席巻(紀元前1200年のカタストロフ)。
ヒッタイト、ミケーネを滅ぼし、エジプト新王国を衰退させると、この機に乗じて新たな国家が勢力を伸ばします。
※①世界遺産「バビロン(イラク)」
②世界遺産「スーサ(イラン)」
③世界遺産「ハットゥシャ:ヒッタイトの首都(トルコ)」
④世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡(エジプト)」
⑤世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(エジプト)」
[関連サイト]
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<フェニキア、ヘブライ人、ペルシア人の活躍>
■フェニキア人の活躍
フェニキアの勢力圏の推移
「海の民」の侵入後、中東の勢力図は大きく変わります。
まず、地中海の海洋貿易を支配したフェニキア人です。
拠点は現在のレバノンにあたる場所で、シドン①、バールベック②、ティルス③、ビブロス④などの都市を築き、レバノンスギでガレー船を造って地中海に進出しました。
その勢力は地中海全域に広がり、カルタゴ⑤、ケルクアン⑥、レプティス・マグナ⑦、サブラータ⑧、ティパサ⑨、スース⑩、イビサ⑪、エルチェ⑫をはじめとする植民都市を築いて支配を固めました。
彼らが使っていたフェニキア文字はアルファベットとなり、ヨーロッパ言語のベースになっています。
軽く腐りにくく加工しやすい特産品レバノンスギは「神木」と呼ばれ、フェニキアの主要交易品として取引されました。
たとえばエジプトのピラミッド⑬周辺で発見された太陽の船やファラオの棺もレバノンスギで作られています。
※①レバノンの世界遺産暫定リスト記載
②世界遺産「バールベック(レバノン)」
③世界遺産「ティルス(レバノン)」
④世界遺産「ビブロス(レバノン)」
⑤世界遺産「カルタゴの考古遺跡(チュニジア)」
⑥世界遺産「ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡(チュニジア)」
⑦世界遺産「レプティス・マグナの考古遺跡(リビア)」
⑧世界遺産「サブラータの考古遺跡(リビア)」
⑨世界遺産「ティパサ(アルジェリア)」
⑩世界遺産「スースのメディナ(チュニジア)」
⑪世界遺産「イビサ、生物多様性と文化(スペイン)」
⑫世界遺産「エルチェの椰子園(スペイン)」
⑬世界遺産「メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(エジプト)」
■ヘブライ人の活躍
映画『十戒』の1シーン、海を割る預言者モーセ。紅海の海底を歩いてシナイ半島に渡り、出エジプトを果たします
『旧約聖書』の「出エジプト記」によると、エジプトの奴隷として働いていたヘブライ人たちは預言者モーセに導かれてエジプトを脱出。
聖なるシナイ山①で神から「十戒」を授かり、契約の地カナンを探し求める旅に出ます。
そして現在のイスラエルの地でヘブライ王国を建国。
第2代国王ダビデがエルサレム②③を征服して首都に定め、第3代国王ソロモンがエルサレム神殿を建設します。
ソロモン王の死後、国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂。
前者はアッシリア、後者は新バビロニアによって滅亡します。
新バビロニアのネブカトザル2世はヘブライ人を首都バビロン④に移住させますが(バビロン捕囚)、アケメネス朝ペルシアによって国に帰ることを認められ、エルサレム神殿を再建します。
この頃確立されたのが唯一神ヤハウェを掲げるユダヤ教で、いつしかユダヤ教を信じるヘブライ人はユダヤ人と呼ばれるようになったようです。
なお、『旧約聖書』に登場するイスラエルやパレスチナの古都としては他にアッコ⑤や⑥ベエル・シェバ、エリコ⑦、 ベツレヘム⑧、ヘブロン⑨などが挙げられます。
※①世界遺産「聖カタリナ修道院地域(エジプト)」
②世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請)」
③世界遺産「パレスチナ:オリーブとワインの地-エルサレム南部バティールの文化的景観(パレスチナ)」
④世界遺産「バビロン(イラク)」
⑤世界遺産「アッコ旧市街(イスラエル)」
⑥世界遺産「聖書時代の遺丘群-メギド、ハツォール、ベエル・シェバ(イスラエル)」
⑦世界遺産「古代エリコ/テル・エッ=スルタン(パレスチナ)」
⑧世界遺産「イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路(パレスチナ)」
⑨世界遺産「ヘブロン/アル=ハリール旧市街(パレスチナ)」
[関連サイト]
■アケメネス朝ペルシア
アケメネス朝ペルシアの版図の推移。Lydia=リディア、Babylonian Empire=新バビロニア、Median Empire=メディア、Egypt=エジプト、Achaemenid Empire=アケメネス朝
紀元前700年頃。史上はじめてエジプトとメソポタミアのほぼ全域=オリエントをアッシリア(首都アッシュール①、ニネヴェ②)が統一します。
ヒッタイトから鉄器と戦車を受け継ぎ、騎馬戦術を駆使してこれまでにない大帝国を完成させますが、統制しきれず紀元前612年には崩壊してしまいます。
アッシリアが滅ぶと、現在のエジプトの地をエジプト、トルコの地をリディア、メソポタミアを新バビロニア、イラクからイラン・パキスタンにかけてメディアが支配。
メディアは中央アジアから下がってきた遊牧民族の国で、馬の扱いに長けており、その下にやはり遊牧民族のペルシア人がいました。
紀元前550年。ペルシア人を率いたキュロス2世はメディアを滅ぼし、首都パルサカダエ③を中心にアケメネス朝を建国。
続いてリディア、新バビロニアを滅ぼしてペルシア帝国(アケメネス朝ペルシア)を成立させます。
ちなみに、「○○朝」というのは「○○家の王朝」を意味し、フランス王国のヴァロワ朝といったらヴァロワ家、フランス王国のブルボン朝といったらブルボン家から王が出ていることを示します。
キュロス2世の息子カンビュセス2世はエジプトを滅ぼし、アッシリアに続いてオリエントを再統一。
最大版図を築いたダレイオス1世は首都スーサ④、聖都ペルセポリス⑤を造り、インダス川、つまり現在のインド西部からギリシア東部、エジプト、スーダンにまたがる大帝国を構築します。
各地の王はアケメネス朝の王を「諸王の王=シャーハンシャー」と呼び、ペルセポリスに巡礼さて貢ぎ物を捧げました。
ダレイオス1世は自らが王位に就いた理由や戦いの様子をビソトゥーン⑥のレリーフと碑文に残しています。
※①世界遺産「アッシュール[カラット・シェルカット](イラク)」
②イラクの世界遺産暫定リスト記載
③世界遺産「パサルガダエ(イラン)」
④世界遺産「スーサ(イラン)」
⑤世界遺産「ペルセポリス(イラン)」
⑥世界遺産「ビソトゥーン(イラン)」
[関連サイト]
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次回はエジプト文明を紹介します。