建築11 ルネサンス建築 - ART+LOGIC=TRAVEL [旅を考えるweb]

世界遺産と建築11 ルネサンス建築(ルネッサンス建築)

シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。

なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。

 

■電子書籍『世界遺産で学ぶ世界の建築 ~海外旅行から世界遺産学習まで~』

 1.古代、ギリシア・ローマ、中世編  2.近世、近代、現代編

 3.イスラム教、ヒンドゥー教編    4.仏教、中国、日本編

 

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第11回はルネサンス建築の基礎知識を紹介します。

ルネサンス建築の最大の特徴の一例は以下です。

  • 円と正方形、シンメトリー(対称)や等間隔といった数学的均衡を重視している
  • ギリシア・ローマ風のオーダーを持ち、ドームを冠している
  • 腰高の意匠を持つ

また、後半ではマニエリスム様式やパッラーディオ様式、ルネサンス理想都市なども紹介しています。

 

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<ルネサンス建築>

■ルネサンス=再生

ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」1485年頃、ウフィツィ美術館
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」1485年頃、ウフィツィ美術館。中世の禁欲的な思想からは考えられない自由な絵になっています
世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」、サント・スピリト聖堂
サント・スピリト聖堂。シンプルながらルネサンスらしい均整のとれた美しい教会で、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ベルニーニらが絶賛したといいます。世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」構成資産 (C) Lucarelli
イタリアの世界遺産「ピエンツァ市街の歴史地区」、ピウス2世広場のピエンツァ大聖堂とパラッツォ・ピッコローミニ
イタリアの世界遺産「ピエンツァ市街の歴史地区」、ピウス2世広場のピエンツァ大聖堂(左)とパラッツォ・ピッコローミニ(右)。この地出身の教皇ピウス2世が建築家ロッセリーノにルネサンスの理想的な都市を目指して設計させたものです (C) Oschirmer

ヨーロッパで人類の知性と感性が最初に爆発したのはギリシア・ローマの時代です。

しかし、ローマ帝国の滅亡と民族大移動による混乱、開拓時代の貧困の中で華やかな文化は廃れ、代わってキリスト教が浸透していきます。

 

人々の生活の中心を宗教が占め、「この世」は「あの世」のための修行の場と化し、個人の思想・感情・感覚は制限・管理されるようになりました。

やがてギリシア・ローマ時代の自由奔放な芸術や自然を究明する科学は失われ、その成果は千数百年のあいだ封印されることになります。

 

イスラム諸国ではそれらを盛んに研究していました。

11世紀にはじまる十字軍の遠征以降、東方貿易(レヴァント貿易)によって西アジアや北アフリカとヨーロッパの貿易が活発化するとこうした研究成果が逆輸入され、ヨーロッパの言語に翻訳されます(大翻訳時代)。

そして地中海貿易や北方貿易を通してヨーロッパが豊かになると(商業ルネサンス)、各地に大学が建設されて文芸の復興が進められました(12世紀ルネサンス)。

 

これらの集大成がイタリアではじまった「ルネサンス」です。

イタリアは小アジア(アナトリア高原)や中東に近く、ピサ①やジェノヴァ②、アマルフィ③、ヴェネツィア④といった海洋都市国家を通じて東方からすぐれた文化を輸入しました。

そして東方貿易で得た富を背景に、イタリア諸都市は競うように哲学・科学・芸術を奨励し、再生しました。

 

「あの世」ではなく「この世」で生きる者としての人間の「再生」。

これがルネサンスのテーマでした。

※①世界遺産「ピサのドゥオモ広場(イタリア)」

 ②世界遺産「ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度(イタリア)」

 ③世界遺産「アマルフィ海岸(イタリア)」

 ④世界遺産「ヴェネツィアとその潟(イタリア)」

 

[関連記事]

世界遺産と世界史33.ルネサンス

 

■ルネサンス様式

ルネサンス時代のラテン十字形・平面プランの例
ルネサンス時代のラテン十字形・平面プランの例。十字の交差部分の円がドーム、濃い青が身廊、その上下が側廊、短軸の飛び出し部分が翼廊(袖廊)、濃い緑が内陣、右のピンクの半円部分が放射状祭室を備えたアプス、左の黄緑部分が西ファサードのウェストワーク
上空から見下ろした世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
上空から見下ろしたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。右の八角形の建物はサン・ジョヴァンニ洗礼堂、その上の塔はジョットの鐘楼。世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」構成資産 (C) Michael Fritz
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のファサード
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のファサード(正面)。円・三角形・正方形・長方形を組み合わせた幾何学的均衡や、ファサード全体が正方形の中に入るような腰高のデザインがルネサンス建築の特徴です。ただ、ドームはありません。世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」構成資産
世界遺産「フェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」、サン・フランチェスコ教会
世界遺産「フェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」、建築家ビアジオ・ロセッティ設計によるサン・フランチェスコ教会 (C) Veronica Balboni

ルネサンスのひとつのテーマは神の視点から自由になることであり、自然をありのままに受け入れることでした。

神の創造した自然をそのまま理想と捉え、自然の分析・導入手段として科学が奨励されました。

ゴシック建築のような神に近づこうとする不自然な造形は否定され、真円や正方形・水平志向・シンメトリー(対称)・整数比といった数学的均衡が重視されました。

 

また、ギリシア・ローマ時代のすぐれた建築技術の再興が行われました。

一例が「オーダー」です(オーダーについては「世界遺産と建築06 ギリシア建築」参照)。

たとえば上の写真にあるフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂※のファサード(正面)では「柱-エンタブラチュア-ペディメント」というコリント式のオーダーが見られます。

 

ただ、ファサードはルネサンス様式が強いものの、教会のズングリとした全体はロマネスク様式で、中央のバラ窓と下部の尖頭アーチ、ティンパヌムはゴシック様式、幾何学文様やポリクロミア(ストライプ)はイスラム建築の影響です。

イタリア・ルネサンスはこのように多様な様式を混在させています。

※世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」 

 

■二重殻ドーム、クーポラ

サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のテンピエット。盛期ルネサンス様式の最高傑作とされ、サン・ピエトロ大聖堂をはじめ多くの建築に影響を与えました。世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン共通)」資産内 (C) Quinok
サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のテンピエット。盛期ルネサンス様式の最高傑作とされ、サン・ピエトロ大聖堂をはじめ多くの建築に影響を与えました。世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン共通)」資産内 (C) Quinok
世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ
ジョットの鐘楼から眺めたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ(ドーム)とフィレンツェの美しい街並み。世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」構成資産

ルネサンス建築の大きな特徴が「ドーム(クーポラ)」です。

直径約43mを誇るローマ時代のパンテオン①のドームは「奇跡」「再現不可能」といわれていましたが、建築家ブルネレスキはパンテオンを徹底的に研究し、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂②で最大径45.5mのドームを完成させて見せました(ただし、このドームの内径が最大約45.5m・最小約41.5mであるため、パンテオンの方が大きいとする説もあります)。

 

といってもこのドームはローマ時代のような純粋なアーチ構造をとってはいません。

内外ふたつのドームからなる二重殻構造で、互いを補助剤で支え合わせ、さらに鉄と木材のリングでドームを引き締めてスラスト(広がって崩れようとする水平力)を解消し、内側のドームはリブで支えられています。

こうした複雑な構造によってドームは自立しており、バットレス(控え壁)などの外部の支えを不要とし、ゴシック建築に見られるトゲトゲした意匠を解消しました。 

※①世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン共通)」

 ②世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」

 ③世界遺産「バチカン市国(バチカン)」

 

■イタリア式庭園/イタリア・ルネサンス庭園

世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘(イタリア)」
世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘(イタリア)」、上段がオルガンの泉、下段がネプチューンの泉。丘の斜面に合わせて庭園をデザインし、その落差を利用して噴水や滝を演出しています
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群(イタリア)」、ヴィッラ・メディチ・デ・フィエーゾレ
ヴィッラ・メディチ・デ・フィエーゾレ。15世紀に建設されたルネサンス様式のヴィッラとイタリア式庭園で、庭園は20世紀にネオ・ルネサンス様式で改装されています。世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群(イタリア)」構成資産 (C) sailko

ルネサンスの意匠はパラッツォ(イタリアの宮殿)やヴィッラ(イタリアの邸宅・別荘・離宮)にも採用されましたが、教会堂と異なり、パラッツォやヴィッラには庭園が隣接していました。

そこで、こうした庭園にも数学的均衡が適用され、幾何学的に土地を区切って装飾する「幾何学式庭園」が誕生します。

ルネサンス期に生まれたイタリアの幾何学式庭園を「イタリア式庭園」といいますが、丘を利用していることから「テラス式(露段式)」あるいは「イタリア・ルネサンス庭園」とも呼ばれています。

 

イタリア式庭園の特徴は泉水で、中央に階段状のテラスを設けて噴水や池泉、カスケード(階段滝)を設け、この左右にシンメトリーに区画を区切り、区切ったそれぞれのエリアにボスコ(樹林)や花壇、迷園(立体迷路)を置き、所々にグロッタ(人工洞窟)や庭園劇場、セグレト(隠れ庭)、彫刻などが配されました。

   

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<後期ルネサンス、北方ルネサンス>

■マニエリスム様式

世界遺産「マントヴァとサッビオネータ(イタリア)」、テ宮殿
マントヴァのテ宮殿、東ファサードの名誉のロッジア。ルネサンスの腰高と異なり横に平たく、柱は2本一組、ペディメントも下に下がっています。世界遺産「マントヴァとサッビオネータ(イタリア)」構成資産 (C) Marcok
世界遺産「マントヴァとサッビオネータ(イタリア)」、マントヴァ大聖堂
マントヴァ大聖堂。ファサードには4本の巨大な柱が見えますが、壁と一体化した四角柱のピラスター(付柱)で、2階まで貫くジャイアント・オーダーです。世界遺産「マントヴァとサッビオネータ(イタリア)」構成資産 (C) Davide Papalini

ルネサンス様式では数学的均衡を重んじていましたが、次第に均衡を崩した様式が模索されはじめます。

ルネサンスとバロックの過渡期にあたるこれらの様式を「マニエリスム」と呼びます。

 

一例がゴンザガ家のパラッツォであるテ宮殿※やマントヴァ大聖堂(サン・ピエトロ・アポストロ大聖堂)※です。

テ宮殿の東ファサードである名誉のロッジアは横に長く平たい造りで、ポルティコ(列柱廊玄関)を大きく取る半面、梁を極端に狭くしており、柱を2本並べてひと組とするなど独特のリズムを刻んでいます。

一方、マントヴァ大聖堂は縦に長い造りで、コリント式の柱が2階まで貫き、エンタブラチュアを省略したようなジャイアント・オーダーとなっています(ジャイアント・オーダーは次回バロック建築の章で解説します)。

※世界遺産「マントヴァとサッビオネータ(イタリア)」

 

■パッラーディオ様式

世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群(イタリア)」、ラ・ロトンダ(ヴィッラ・アルメリコ・カプラ)
ヴィチェンツァのラ・ロトンダ(ヴィッラ・アルメリコ・カプラ)。オーダーやドームをヴィッラに持ち込んだパッラーディオ様式の傑作です。世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群(イタリア)」構成資産 (C) Quinok
世界遺産「ヴェネツィアとその潟(イタリア)」、レデントーレ教会
パッラーディオ様式の到達点といわれるレデントーレ教会。世界遺産「ヴェネツィアとその潟(イタリア)」資産内 (C) Luca Aless

ルネサンスの主流はやがてフィレンツェやミラノからローマへ移り、次第にマニエリスムやバロックへと移行していきます。

そんな中で、ヴェローナやヴィチェンツァ、ヴェネツィアといった北イタリアでルネサンス様式は最後の輝きを見せます。

 

アンドレア・パッラーディオが巻き起こした後期ルネサンスの一大潮流が「パッラーディオ様式」です。

ギリシア・ローマ建築のオーダーを大胆に取り入れてドームと組み合わせた均整の取れたデザインで、教会堂のみならずパラッツォやヴィッラなどにも取り入れられました。

 

■北方ルネサンス、ルネサンス理想都市

世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス)」、シャンボール城
「フランス・ルネサンスの父」フランス王フランソワ1世が狩猟館として建設したシャンボール城。ルネサンス的な均衡とともにピナクル(ゴシック様式の小尖頭)などにゴシック建築の影響が見て取れます。世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス)」構成資産
世界遺産「ザモシチ旧市街(ポーランド)」
ルネサンス都市・ザモシチ。広い広場やカラフルな住宅、整然とした街並みがルネサンス都市のひとつの特徴です。世界遺産「ザモシチ旧市街(ポーランド)」構成資産
世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ(イタリア/クロアチア/モンテネグロ共通)」、パルマノヴァ
ルネサンス理想都市・パルマノヴァ。9基の稜堡が突き出す近代の城郭都市で、中世のような高い市壁はもはや見られません。世界遺産「16~17世紀ヴェネツィア共和国の軍事防衛施設群:スタート・ダ・テッラ-西部スタート・ダ・マーレ(イタリア/クロアチア/モンテネグロ共通)」構成資産 (C) Alberto Davide Lorenzi

イタリアで起こったルネサンスは15~16世紀にヨーロッパに広く普及していきますが、イタリアより北の国々で起こったものは「北方ルネサンス」と呼ばれます。

ロマネスクやゴシック、各地の文化を巻き込んで多彩な展開が見られる一方で、イタリア・ルネサンスとはかなり隔たりのあるものも少なくありません。

 

たとえばフランスでは百年戦争(1337〜1453年)後にルネサンス文化が持ち込まれましたが、ゴシック様式が流行していて教会建築に採用されることはほとんどありませんでした。

百年戦争から16世紀末までフランスの首都は事実上、ロワール渓谷※のトゥールに置かれていたのですが、多くの貴族がこの地に居住し、シャンボール城をはじめルネサンス様式のシャトー(宮殿・城館)を建設しました。

こうしてフランス・ルネサンスはパリよりもロワール渓谷で開花しました。

 

北方ルネサンスの特徴のひとつが都市設計で、ルネサンス様式の建物を単独で建設するだけでなく、街並みとしての幾何学的均衡も重視され、直線的な道路で区切って建物の高さを統一し、それぞれを淡い色で塗り分けるなど、清潔で過ごしやすく美しい都市が目指されました。

 

こうした新しい都市は軍事的な要請でもありました。

ルネサンス期に火薬が普及して大砲が登場すると、市壁や城壁は容易に破壊されるようになりました。

これに対して15世紀のイタリアでは、市壁や城壁は衝撃を吸収するために切石ではなく土やレンガを使用して低く厚く築かれるようになり、高く美しい市壁や城壁は次第に姿を消していきました。

 

また、この時代に鉄砲(火縄銃)が発明されたのですが、塔に鉄砲を配備しても円形の市壁や城壁では死角ができて塔や壁の下に張り付いた敵を射撃することができませんでした。

このため多角形のデザインを採用し(多角形城郭・多角形要塞)、角から稜堡(りょうほ)を突き出させることで死角を解消しました(稜堡式城郭・稜堡式要塞)。

加えて市壁や城壁を「V」形にへこませることで正面から放たれる砲弾が垂直に被弾することを防ぎました。

これにより多角形は「☆」形へと進化しました(星形城郭・星形要塞)。

 

こうした新しい城壁とルネサンスらしい整然とした幾何学的なグリッドを持つ城郭都市を「ルネサンス理想都市」といいます。

※世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス)」

 

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シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」、第12回はバロック建築とロココ建築を紹介します。

ルネサンス様式はバロック様式との比較で理解しやすくなります。

 


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