世界遺産と建築26 中国の建築3:道教・儒教建築
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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第26回は中国の道教と儒教の建築を紹介します。
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<中国の道教建築>
■道教と道観
古代中国において、天は神である天帝が治め、地はその子である天子が治めるという天帝信仰が伝わっており、皇帝が天子として国を統治することを正当化していました。
こうした天帝信仰を整備した宗教が道教です。
皇帝は天帝へ即位を報告し、天と地に感謝を捧げる儀式「封禅(ほうぜん)」を聖地・泰山※で行いました。
泰山で皇帝が居住し、身を清めた場所が中国三大建築のひとつに数えられる岱廟(だいびょう)です。
天帝といってもひとりの神を表すとは限らず、さまざまな神話や神仙思想を取り込みながら時代や宗派によって最高神や人気の神々は替わりました。
しばしば最高神とされるのが玉皇大帝、元始天尊、天皇大帝、紫微大帝といった神々です。
こうした神々を祀る道教の寺院を「道観」と呼びますが、泰山の岱廟は現在、東嶽大帝(東岳大帝。泰山府君)や碧霞元君(へきかげんくん。泰山娘々)らを祀る道観となっています。
道教はもともと多彩な神々や神に近づいた人間=仙人を祀る神仙思想がベースで、このため偉大な人物を神や仙人として祀ってもいます。
『三国志』の人気武将である関羽を祀った関帝廟や、南宋の武将・岳飛を祀った岳王廟が一例です。
道勧の内部では神々が人間の姿で神像として祀られています。
また、建物や門・内部は神々や竜・獅子をはじめとする神獣の彫刻やレリーフで覆われており、神像とは対照的に華やかです。
※世界遺産「泰山(中国)」
■壇
中国では古来、土を盛り上げてマウンドを造り、この上で神に祈りを捧げていました。
このマウンドを「壇(だん)」と呼びます。
古代から伝わる基本的な壇が社稷(しゃしょく)壇です。
社は土地の神、稷は穀物を示し、皇帝や王たちは新しい都を建設すると社稷壇を築いて五穀豊穣と国家繁栄を祈りました。
明・清代の北京には社稷壇①、祈穀壇、先農壇①、先蚕壇、太歳壇、天壇①②、地壇、日壇、月壇という9基の壇が築かれました。
特に紫禁城①③の東西南北に日壇、月壇、天壇、地壇が配され、皇帝は春分の日に日壇、夏至の日に地壇、秋分の日に月壇、冬至の日に天壇を訪ねて天帝から天命を授かりました。
ここでいう天壇は現在の天壇公園の圜丘壇(かんきゅうだん)を示し、同園の祈年殿は祈穀壇と呼ばれていました。
天壇公園の圜丘壇や祈年殿は円形です。
円は非常に特殊な形状で、特にフレームを組む木造軸組構法では円形に組むことが難しいためあまり見られません。
祈年殿が円形を採っているのは、中国では星々が円を描くように天を巡っていることから円=天と考えられたためで、このように天に関する壇には円が用いられました。
ちなみに、地の神や土地の神を祀る北京の地壇や社稷壇は方形(四角形)で構成されています。
このように天を円、地を方(四角)とする考え方を「天円地方」といいます。
中国の都市が方形(方格設計)であるのもこの思想に由来します。
※①世界遺産「北京の中心軸:中国首都の理想的秩序を示す建造物群(中国)」
②世界遺産「天壇:北京の皇帝の廟壇(中国)」
③世界遺産「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群(中国)」
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<中国の儒教建築>
■墓、墳墓、陵墓
遺体や遺骨・遺灰を埋葬する施設を「墓」、棺を収める部屋を「玄室」といいます。
中国でも棺はエジプトやメソポタミアなどと同様、地下の玄室に収められ、方形や円形のマウンド(墳丘)を築いて「墳墓」としました。
特に王の墳墓を「王墓」、皇帝の墳墓を「陵墓」といいます。
世界遺産には明・清皇帝の陵墓群①や朝鮮王朝の王墓群②、フエのミンマン帝廟をはじめとする陵墓群③などが存在します。
最古にして初の陵墓が秦の始皇帝の陵墓である始皇陵④で、四角錐のピラミッドの頭部を切った截頭方錐(せっとうほうすい)形で、黄土で固められています。
秦始皇陵の東約1.5kmには兵馬俑坑があり、副葬品として騎兵や軍馬をかたどった俑(よう。副葬用の像)、すなわち兵馬俑がおよそ8,000体も埋められていました。
※①世界遺産「明・清朝の皇帝陵墓群(中国)」
②世界遺産「朝鮮王朝の王墓群(韓国)」
③世界遺産「フエの建造物群(ベトナム)」
④世界遺産「秦の始皇陵(中国)」
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■祖廟、宗廟
死者の霊や魂を祀る施設を「廟(びょう)」、墓と一体になった廟を「墓廟」といいます。
そもそも埋葬が故人の心や身体との別れを惜しみ、魂の永遠を祈る祭事であるように、心や身体と魂を分ける信仰あるいは哲学は古くから世界中に存在し、墓と廟はしばしば別に築かれました。
古代中国でも、人は精神を司る魂(こん)と身体を支える魄(はく)というふたつの存在を持つと考えられました。
人が死ぬと魂は天へ、魄は地に還るのですが、こうした信仰を取り込んだ儒教では、子孫が先祖を祀ることで魂と魄は神や鬼として復活すると伝えています(招魂再生)。
古代中国の社会の基本単位は共通の祖先を持つ血縁集団である氏族で、祖先を神(氏神)として崇める祖先崇拝が行われていました。
こうした信仰は家族や上下関係・仁や礼・孝を重んずる儒教と結び付いて政治・経済・文化にまで広く浸透し、中国や朝鮮半島の基本的な思想となりました。
氏族の先祖を祀る施設は「家廟」あるいは「祖廟」、皇帝や王の場合は「宗廟(そうびょう)」あるいは「太廟」と呼ばれます。
こうした廟には死者の名前(法名)を記した神位(位牌)が収められています。
実は日本の仏壇や位牌は道教や儒教の影響を大きく受けたものとなっています。
皇帝や王は新たな都を建てると宮殿の東に宗廟、西に社稷壇を建設しました。
清の北京城の場合だと、紫禁城①②の南エリアの東に宗廟である太廟②、西に社稷壇②が築かれています。
中国文化の流れを組む近郊の文化圏も同様で、韓国・朝鮮王朝(李氏朝鮮)の場合は正宮である首都ソウルの景福宮(キョンボックン)の東に宗廟③、西に社稷壇が設置されました。
※①世界遺産「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群(中国)」
②世界遺産「北京の中心軸:中国首都の理想的秩序を示す建造物群(中国)」
③世界遺産「宗廟(韓国)」
■儒教と孔子廟
道教・仏教と並んで三教(中国三大宗教)に数えられる儒教は紀元前6~前5世紀の思想家・孔子によって誕生しました。
もともとは「子、怪力乱神を語らず」「鬼神を敬してこれを遠ざく」という言葉にあるように、儒教はよりよく生きるための思想であって、神々を崇める宗教ではありませんでした。
中心的な教義は仁・義・礼・智・信という五常の徳目の充実を図り、家族を中心に人と人の関係を円満に結んでよりよい社会を実現し、自らの幸福を導くことにあります。
やがてこうした思想は祖先崇拝や土地を仲立ちとする封建制度と結び付き、先祖や天に敬意を表する宗教的な祭祀や、一族が土地や地位を管理・相続する氏族社会が発達しました。
こうした思想は2,000年以上を経たいまでも中国や韓国の主流でありつづけています。
もともと神を祀る宗教ではなかったことから儒教には一定の神を祀る神殿がなく、教団や聖職者も存在しません。
その代わり、氏族の先祖を祀る祖廟や宗廟が重要視されています。
また、儒教では孔子を祀る廟を「孔子廟」、あるいは孔廟・文廟・先師廟・宣聖廟などと呼んで各地に築いています。
孔子廟の正殿が大成殿で、中心には孔子の像が安置されています。
孔子廟は孔子を祀るものではありますが、本来は孔子を神として崇めるものではありません。
孔子没後に魯の哀公によって建設された最初の孔子廟が曲阜の孔廟※です。
※世界遺産「曲阜の孔廟、孔林、孔府(中国)」
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シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」、第27回は日本の神社建築を紹介します。