芸術や他文化理解の究極の方法ってゲテモノ食いだよな、と思います。
ラオスやカンボジアではカエルやバッタの焼き物はもちろん、タガメやクモだってしばしば見かけます。
ハ虫類や両生類・昆虫なんかが怖いとか気持ち悪いなんていう感情は、ある時代・地域でのみ通用する小さな価値観にすぎないことがよくわかります。
クジラの肉を見て吐き気を催す西洋人は少なくありません。
ヒンドゥー教徒にとって牛肉、イスラム教徒にとって豚肉がその対象で、多くの日本人にとってはハ虫類や昆虫だということなのでしょう。
こうした感覚・感情は文化的な先入観に大きく左右されているわけです。
よく「DNAに刻まれている」なんて言われますが大ウソですね。
では、すべての先入観を取り除いたら何が残るのか?
このひとつの試みが芸術です。
芸術の目的は感性的な普遍の探究にあります。
ピカソの鑑賞に必要なのは絵や彼に関する知識ではなく、むしろ「絵とは○○である」とか「これは××の絵である」とかいった知識、つまり先入観の排除です。
よくピカソの絵が「子供の描いた絵みたい」なんて言われますが、先入観にとらわれていないという点で共通しているのですね。
料理で言えば「麺にはコシが必要だ」とか「カエルは気持ち悪い」なんていうのも先入観。
そうしたすべての先入観から自由になること――
ぼくのひとつのテーマです。
だからいわゆるゲテモノも結構すんなり食べられるし、実際いろいろ食べてきました。
だって未知の快楽を知らずにおくなんて悔しいじゃないですか!
先日「ラオスの山岳民族はゴキブリを食べる」なんて話を聞きました。
……た、多少ハードルは上がりましたがそれを喜べる世界の見方があるはずです。
そうした視点を手に入れること。
これが他文化理解・異文化理解です。
ゲテモノはこうして他文化理解の意味と難しさを直接肌で感じさせてくれます。
ということで。
愛せよ、ゲテモノを!
[関連記事]