世界遺産NEWS 23/02/02:導入迫る世界遺産のプレリミナリー・アセスメントとアップストリーム・プロセスの概要
今年2023年、世界遺産の登録プロセスに「プレリミナリー・アセスメント "Preliminary Assessment"(予備審査/事前評価)」と呼ばれる事前評価制度が導入されます。
2028年の世界遺産委員会から完全施行で、それまでは移行期間となっています。
これまで世界遺産リストへの推薦は登録推薦書の提出から登録可否の決定まで1年半ほどで行われてきました。
しかし、プレリミナリー・アセスメントの要請から開始すると登録可否の決定まで4年近くかかることになります。
大きな改革ですね。
また、近年は推薦前の「アップストリーム・プロセス "Upstream Process"(上流工程)」と呼ばれる工程が重要視されています。
こちらは世界遺産センターや諮問機関による暫定リストに関する支援を意味します。
今回はプレリミナリー・アセスメントとアップストリーム・プロセスの概要を紹介します。
なお、本記事はUNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)公式サイトにアップされている記事や文書を参考に作成していますが、変更の可能性やぼくの誤解の可能性も無きにしも非ずです。
正確なところはご確認をお願いします。
※彦根城では今回紹介するプレリミナリー・アセスメントを活用することになりました(詳細は下記参照)
■世界遺産NEWS 23/07/06:彦根城はプレリミナリー・アセスメントを活用、飛鳥・藤原は推薦延期へ
■世界遺産NEWS 24/10/15:彦根城のプレリミナリー・アセスメント評価報告
* * *
■これまでの世界遺産の登録プロセス
従来の世界遺産の登録プロセスを確認しておきましょう。
世界遺産の活動は世界遺産条約に基づいているので、その活動に参加するためには条約の締約国である必要があります。
その後は基本的に以下のような流れになっています。
ある世界遺産委員会での登録を目指した場合の日程です。
○世界遺産の登録プロセス
- 締約国が暫定リストをUNESCOの世界遺産センターに提出
- 目標とする世界遺産委員会の前年2月1日まで:暫定リストの中から準備が整った物件の登録推薦書を世界遺産センターに提出
- 前年3月1日まで:世界遺産センターが諮問機関に調査を依頼
- 前年3月~当年5月まで:文化遺産はICOMOS等、自然遺産はIUCNが現地調査を含む専門調査を実施
- 世界遺産委員会の6週間前まで:ICOMOSとIUCNが調査報告書を世界遺産センターに提出し、勧告内容を報告
- 調査報告書や勧告を元に、世界遺産委員会が登録の可否を決定
世界遺産センターはUNESCOに常設されている世界遺産委員会の事務局です。
世界遺産委員会は任期6年(実質4年)の21委員国からなる委員会で、毎年夏に開催されており、世界遺産や危機遺産のリスト更新、世界遺産基金の使途決定等、世界遺産に関するさまざまな決定を行っています。
ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)とIUCN(国際自然保護連合)は世界遺産委員会の主要な諮問機関(求めに応じて調査や審議を行う専門機関)です。
ICOMOSは文化遺産、IUCNは自然遺産を主に担当しており、それぞれの専門家で構成されています。
ただ、複合遺産や文化遺産の文化的景観には両者が関わり、文化遺産についてはICCROM(イクロム=文化財の保存及び修復の研究のための国際センター)も諮問機関として参加しています。
上のように、登録推薦書の提出が2月1日まで、登録可否の決定が翌年の夏ということで、登録推薦書の提出からだいたい1年半が必要であることになります。
ただし、顕著な普遍的価値が明白で、価値喪失の危機に直面している暫定リスト記載物件については、手順を短縮して推薦することができます(緊急的登録推薦)。
そしてプレリミナリー・アセスメントは登録推薦書の提出前に採り入れられる予備審査・事前評価の工程で、アップストリーム・プロセスは暫定リストの作成・改訂に関して行われる工程です。
プロセスの順番的にアップストリーム・プロセスの方が先なので、まずこちらを解説しておきましょう。
■アップストリーム・プロセスとは何か?
アップストリーム・プロセスは2010年に導入された新しい概念で、締約国による登録推薦書の準備や提出に先立って、世界遺産センターや諮問機関が助言や相談・分析といった事前支援を提供する仕組みです。
アップストリームが「上流」を意味するように、これまでの登録プロセスのさらに上流からUNESCOの機関や諮問機関が関与していきます。
世界遺産センターは事務手続き、諮問機関は文化遺産や自然遺産の専門家集団です。
こうした専門家が推薦前の段階から関与することで、推薦過程で発生するさまざまな問題を未然に防ぎ、世界遺産登録の健全化を図ることを目的としています。
2015年の第39回世界遺産委員会で正式に導入が決定され、世界遺産活動の作業工程を細かく定めた「世界遺産条約履行のための作業指針」が改訂されました。
改訂された作業指針第71項には「締約国は暫定リストを作成する際、必要に応じてできるだけ上流段階で諮問機関からアドバイスを受けることが奨励される」と記載されており、第122項にはアップストリーム・プロセスに基づいて行われるプレリミナリー・アセスメントについて記されています。
第122項はまた、アップストリーム・プロセスは必須ではなく奨励される工程であるのに対し、 プレリミナリー・アセスメントは必須の手続きであるとしています。
ただし、後述するように後者については移行期間が設けられています。
具体的には、アップストリーム・プロセスは締約国が暫定リストを作成・改訂する際に行われる支援です。
暫定リストを作らなければならないことは世界遺産条約第11条に記されており、世界遺産リストへの推薦前に少なくとも1年間は暫定リストに掲載されている必要があります。
暫定リストは各締約国が作るもので、いつでも追加・削除・更新でき、少なくとも10年ごとにリストを再検討し、再提出することが奨励されています。
そして暫定リストに記載する物件は世界遺産としての顕著な普遍的価値を有する可能性があると考えられる候補地であることが条件となります。
しかし、各国が作る暫定リストには時に世界遺産条約の趣旨から外れ、世界遺産に求められる顕著な普遍的価値が認められないものも含まれています。
特に文化遺産については各国を代表する候補地が選ばれることが多いものの、国家的価値やアジアのような地域的価値に留まって世界的価値に満たない候補地や、これまでに登録された世界遺産と強い類似性を持ち独自性に欠ける候補地、完全性(顕著な普遍的価値を構成する要素をすべて含み、保護のための法体制や適切な大きさ等が確保されていること)や真正性(文化遺産の形状・意匠・素材・工法・用途等がそれぞれの文化的背景の独自性や伝統を正しく継承していること)を満たさない候補地なども存在していました。
このためアップストリーム・プロセスにおいて諮問機関による専門的な目を入れることで、世界遺産条約が求める世界的・地球的視点から候補地を捉え直すことが可能となり、より効率的な推薦に役立つだけでなく、そうした視点を啓蒙することで世界遺産活動の健全化が図られることになるわけです。
そしてまた、こうして完成した各国の暫定リストを公開することで周辺国にも影響を与え、同じ価値で世界遺産登録を目指す他国の候補地や、国境を越えて他の候補地との連携が促されることを期待しています(ハーモナイジング "Harmonizing")。
アップストリーム・プロセスでは暫定リスト "Tentative List" の前に「予備リスト "Preliminary List”(プレリミナリー・リスト)」と「国家目録 "National Inventories"(ナショナル・インヴェントリー)」を作成することを奨励しています。
暫定リストは世界遺産条約のいう顕著な普遍的価値について研究が進み、その証明が高い確率で可能であると判断された候補地のリストです。
それに対し、予備リストは世界的価値の可能性を有する候補地のリスト、国家目録は国内的重要性を有する物件のリストとしています。
アップストリーム・プロセスは世界遺産センターに要請しますが、その〆切は毎年3月31日と10月31日となっています。
ただ、現在は資金や人材面におけるリソース不足のため後発開発途上国や小島嶼開発途上国・低所得国が優先されています。
アップストリーム・プロセスにおいて、諮問機関は要請に応じて暫定リストの作成・改訂に関して、あるいは個々の候補地や候補地候補について、与えられた資料を基に分析・研究を行い、世界遺産レベルの価値が証明される可能性や、他に同様の価値を有する物件がないか等の判断を行ってアドバイスを与えます。
ただし、世界遺産リストへの登録可否の判断はあくまで世界遺産委員会が行い、世界遺産リストへの推薦は締約国が行うものであり、それらへの関与はできません。
アップストリーム・プロセスで行われたアドバイスは次章で記すプレリミナリー・アセスメントや、評価報告書や勧告に影響を与えるものであり、世界遺産委員会はこの評価報告書や勧告を参考に最終的な登録可否を決定します。
■プレリミナリー・アセスメントとは何か?
プレリミナリー・アセスメントは世界遺産の登録プロセスにおいて、登録推薦書の提出の前に導入される新しい工程です。
もしかしたら今後、日本語で「予備審査」や「事前評価」と呼ばれることになるかもしれません。
これにより締約国は暫定リスト記載の物件を推薦する1年前までにプレリミナリー・アセスメントを受けなくてはならなくなります。
締約国がその旨を世界遺産センターに要請すると、世界遺産センターは諮問機関に報告し、締約国と諮問機関との間で対話が開始されます。
諮問機関は必要に応じて締約国に情報を要求し、アップストリーム・プロセスの内容なども参照しながら顕著な普遍的価値や完全性・真正性、保護・管理に関して現地調査を伴わない机上ベースで調査を行い、具体的なガイダンスとアドバイス・勧告を含んだ「事前評価報告書(プレリミナリー・アセスメント・レポート "Preliminary Assessment Report")」を作成します。
この報告書は世界遺産センターを通じて締約国に送達されます。
事前評価報告書は登録推薦書を提出する際に必要になりますが、有効期間は最大5年となっています。
5年目の2月1日までに推薦されない場合はもう一度、プレリミナリー・アセスメントを受ける必要があります。
プレリミナリー・アセスメントの要請の〆切は毎年9月15日に設定されており、受理された後、諮問機関は10月から翌年9月まで1年近くをかけて調査を行い、事前評価報告書を翌年10月1日までに世界遺産センターに提出します。
締約国は事前評価報告書の内容にかかわらず推薦を行うことができますが、事前評価報告書を受け取ってから登録推薦書を提出するまで少なくとも12か月の期間を設けなくてはなりません。
最短の例を出してみましょう。
2023年9月にプレリミナリー・アセスメントが導入されるので、9月15日までにその要請を行ったものとします。
1年後の2024年10月頃に事前評価報告書を受け取ります。
ここから1年待機する必要があるため、2025年10月頃まで推薦はできず、登録推薦書の提出はその後になります。
そして登録推薦書の〆切は毎年2月1日となっています。
ですから登録推薦書の提出は最短で2026年2月1日までということになります。
そしてここからこれまで通り1年半の登録プロセスがはじまり、2027年夏の世界遺産委員会で登録の可否が決定します。
2023年9月から4年近くかかることになります。
ただ、プレリミナリー・アセスメントには移行期間が設けられており、2028年の世界遺産委員会から完全施行となります。
ですから2027年の世界遺産委員会、つまり2026年2月1日までの推薦に関しては、従来通り1年半の期間で登録の可能性があるということになります。
■新しい世界遺産の登録プロセス
プレリミナリー・アセスメントを完全施行した場合の新しい世界遺産登録プロセスを記しておきます。
推薦フェーズについてはこれまでと変更ありません。
○プレリミナリー・アセスメント・フェーズ
- 9月15日まで(1年目):プレリミナリー・アセスメントの世界遺産センターへの要請期限
- 10月15日まで(1年目):世界遺産センターが要請を確認し、不備がなければ受理を締約国に通知し、諮問機関に要請を送達
- 10月~翌年9月(1~2年目):諮問機関による調査
- 10月1日まで(2年目):諮問機関は事前評価報告書を世界遺産センターに提出。その後、世界遺産センターは締約国に送達。
- 締約国は事前評価報告書を受け取ってから12か月間は登録推薦書を提出することができない
- 事前評価報告書の有効期間は5年で、5年目の2月1日までに推薦しない場合は新たにプレリミナリー・アセスメントを受ける必要がある
○推薦フェーズ
- 推薦の1年前まで:締約国は暫定リストを作成・改訂し、世界遺産登録を目指す候補地を暫定リストに記載
- 9月30日まで(推薦の前年):暫定推薦書の世界遺産センターへの提出期限。暫定推薦書は任意だが、提出することで書類の不備等の指摘を受けることができる
- 11月15日まで(推薦の前年):世界遺産センターが暫定推薦書の不備や訂正の指摘等を行う
- 2月1日まで(1年目):登録推薦書の世界遺産センターへの提出期限。ただし、推薦する物件は1年以上、暫定リストに記載されている必要があり、またプレリミナリー・アセスメントの完全施行後は有効な事前評価報告書を有することが条件となる
- 2月1日~3月1日(1年目):世界遺産センターは登録推薦書を確認し、要件を満たしているものについては受理して諮問機関へ送達し、締約国に結果を通知
- 3月~翌年5月(1~2年目):諮問機関による現地調査を含む専門調査
- 1月31日まで(2年目):調査途中の1月31日までに諮問機関は中間報告書を作成して世界遺産センターに提出。その後、世界遺産センターは締約国に送達
- 2月28日まで(2年目):中間報告書等で要求された追加情報の提出期限
- 世界遺産委員会の6週間前まで(2年目):諮問機関は評価報告書と勧告を世界遺産センターに提出。勧告は「登録・情報照会・登録延期・不登録」の4段階で行われる。その後、世界遺産センターは世界遺産委員会と締約国に送達
- 世界遺産委員会の14日前まで(2年目):締約国による事実誤認の訂正期限。評価報告書に事実誤認があれば世界遺産委員会に訂正を申し出ることができる
- 世界遺産委員会(2年目):推薦物件の世界遺産リストへの登録の可否を決定。決定は「登録・情報照会・登録延期・不登録」の4段階で行われる
* * *
今年から2028年にかけてプレリミナリー・アセスメントが導入されるわけですが、これによりこれまでの登録プロセスが大きく変化することになります。
こうした施策を導入するひとつの目的が適切な世界遺産登録の実現です。
現在、懸念されている問題のひとつに、諮問機関と世界遺産委員会の評価の乖離が挙げられます。
諮問機関は先述したように専門家の集まりであるのに対し、世界遺産委員会は21委員国の代表の集まりです。
委員国の代表は文化遺産や自然遺産の専門家ではなく、多くの場合は役人であるわけです。
諮問機関が専門の立場から厳正に評価しても、世界遺産登録の決定権を持つ世界遺産委員会の代表たちが軽い気持ちで「登録でいいんじゃない?」と決めてしまったら、世界遺産条約の理念やブランド価値が損なわれかねません。
こういうケースは少なくなく、諮問機関が出した情報照会勧告や登録延期勧告からの逆転登録どころか、まれに不登録勧告からの逆転さえ見られます。
不登録勧告というのは諮問機関が「世界遺産リストにふさわしくない」と下した判断で、世界遺産委員会で不登録が決定した場合、同じ内容での推薦は二度と認められません。
こうした専門家の判断を180度覆して登録するというのはどうなのか、という話です。
プレリミナリー・アセスメントとアップストリーム・プロセスが導入されても、基本的には推薦するのは締約国だし、登録の可否を決めるのは世界遺産委員会です。
しかし、暫定リストを作成する段階、プレリミナリー・アセスメントの段階、推薦後の専門調査・評価報告の段階、そして世界遺産委員会と、判断する工程が倍増し、諮問機関の役割は確実に増えることになるわけです。
一方で、世界遺産登録のハードルは上がることになりそうです。
なんせプレリミナリー・アセスメントの要請から登録可否の決定まで約4年、さらにアップストリーム・プロセスの充実によって暫定リストへの登録も厳格化するでしょうから、5年や6年での登録は現実的ではなくなりそうです。
予備リストや国内目録が導入されたら、ペースはさらに鈍化するかもしれません。
とりあえず今年9月に導入がはじまりますので、どうなるか注視したいと思います。
これらに対する日本の対応も注目です。
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