世界遺産NEWS 18/09/16:原爆ドームと軍艦島で問われる世界遺産の補修
世界文化遺産の場合、経年的な変化が避けられないため必ず補修・修復が必要になります。
特に難しいとされるのが、破壊されたり崩壊している建物をそのままの状態で保存することです。
9月中旬、広島市は原爆ドームの補修方法を検討する委員会を開催し、その内容を発表しました。
■原爆ドームの補修方法決まる(NHK NEWS WEB)
原爆ドームと同様に、補修方法が大きな問題となっているのが端島(はしま)、通称・軍艦島の高層ビル群です。
こちらは築100年前後と耐用年数に達しつつあり、抜本的な解決策が模索されています。
今回はこれらのニュースをお伝えします。
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1945年8月6日8時15分17秒。
B-29爆撃機エノラ・ゲイが原子爆弾リトル・ボーイを投下すると、広島県産業奨励館の南東160m、上空約580mで爆発し、3,000度に達する熱線と音速を超える爆風が広島市を襲いました。
このたった1発の爆撃により12万~15万人が亡くなりました。
あらゆる建物が軒並み倒壊・焼失する地獄絵図の中で、広島県産業奨励館だけが亡霊のようにたたずんでいたといいます。
爆発がほぼ直上で起きたため横向きの力が少なく、またドーム状の屋根と多用されていた窓が溶けたおかげで爆風の圧力を逃すことができたためといわれています。
この建物はいつしか原爆被害の象徴となり「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。
戦後、原爆ドームを取り壊すか保存するかで議論が起こりましたが、広島市議会は1966年に永久保存を可決。
30年後の1996年には「広島平和記念碑[原爆ドーム]」の名前で世界遺産リストにも登録されました。
しかし、原爆ドームは爆撃を受けたそのままの状態です。
現在、補強鋼材で支えられてはいますが地震や台風に対して万全とはいえず、風雨をしのぐ屋根もないことから劣化は通常以上のスピードで進んでいます。
これが完成している建築物であれば古くなった部分を補修しても同一性を保つことができます。
建設当時の素材・工法・意匠・目的であること等の条件はつきますが、実際に世界文化遺産ではそのような保全活動が行われています。
ところが原爆ドームのように破壊や崩壊した姿そのものに価値を置く物件の場合、古いレンガを新しいレンガに置き換えるといったことができません。
破壊された状態をそのまま保つことにこそ意義があるからです。
原爆ドームは1967年以降、4回にわたる保存工事がなされていますが、その内容は補強鋼材の取り付け、亀裂部分の接着、壁の立て起こし、レンガの積み直しと目地の補修、鉄骨の防錆塗装、モルタル塗り、金属腐食部材の取り替え、吸水防止材の塗布といったものに留まっています。
広島市は原爆ドームの補修工事の内容を議論するため文化財や建築の専門家を集めた検討委員会を定期的に開催していますが、今年2018年は3月と9月に行われました。
これらの委員会でドームや階段部分を被爆直後の茶色に塗り直すことが決まり、サビが進行している部分にはフッ素樹脂などの塗料を塗布し、水や草が入り込むレンガの隙間には特殊な材料を埋め込むこと、補強材については錆びないステンレス製のものを使うことなどが決められました。
一方で、「補強のためにレンガの中に金属を入れるのは逆効果」とし、長期的な視点から補修工事を見直す必要性も指摘されたようです。
中には、いっそ原爆ドームを建物で覆ってしまったり、地盤を切り離して地下に免震装置をつけるべきであるといった意見もあるようですが、景観や地盤も含めて文化遺産であるため、いまのところ現実的ではなさそうです。
広島市は今年度の補修工事費として5,850万円を計上しており、第5回工事の年度内の着工と来年の完成を目指しているということです。
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このように破壊・崩壊の姿をそのまま残さなければならないと考えられている遺産は少なくありません。
一例が世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつである端島、通称・軍艦島の高層住宅群です。
■Abandoned 'Battleship Island' Is Crumbling. Can It Be Saved?(NATIONAL GEOGRAPHIC。英語)
軍艦島の高層住宅群は日本最古の高層鉄筋コンクリート(RC)造建築なのですが、1910年代に建設がはじまったもので、古いものは築100年に迫ります。
通常、RC造のビルの寿命は40~70年、耐用年数は100~150年前後といわれており、軍艦島は周辺が海であるためつねに潮風にさらされており、長年廃墟として打ち捨てられていて補修もされていなかったわけですから、一部のビルはすでに倒壊の危険にあると考える専門家もいます。
このため観光のための立ち入りは制限されており、軍艦島のツアーでもこうしたビルの内部を見学することはできません。
文化遺産の評価や調査を行っているICOMOS(イコモス。国際記念物遺跡会議)は世界遺産登録前からこれらを危惧しており、抜本的な解決を求めています。
長崎市は国や県の援助を受けて2018年から10年×3段階=30年間・約108億円の修復計画を進めており、まずは護岸と炭鉱生産施設・社宅跡の整備を進め、その後に高層ビル群の補修・修復に移るとしています。
ただ、こうしたビル群の損傷具合の確認は非常に難しいとされています。
RC造は鉄筋をコンクリートで覆って強度を確保しているわけですが、内部の鉄筋が腐食した場合、取り壊さなくては確認ができません。
2世紀前半に建設されたローマのパンテオン(世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」構成資産)のドームは無筋のローマン・コンクリート造で知られますが、鉄筋であればとうに倒壊していたと考えられています。
鉄筋は強度確保にはきわめてすぐれていますが、腐食しやすいため数百年単位の保存には適していないようです。
2018年6月、長崎市と三井住友建設は、最初に建てられた30号棟に「ワイヤレス振動センサーによるヘルスモニタリングシステム」を設置し、常時モニタリングを開始したことを発表しました。
これは日本最古の高層RC造住宅である30号棟に加速度を測る高感度振動センサーを設置したもので、センサーはワイヤレスでデータを送信しつづけているためリアルタイムで監視が行われています。
異常が発生した場合には警報を発し、地震が発生した際にはその影響なども観察できるということです。
また同月、国際航業もGNSS(全地球航法衛星システム)センサーを取り付けています。
こちらは水平・垂直両方向に2mmの変位さえ観測が可能というもので、30号棟の屋上8か所と島中心部2か所に設置し、こちらもネット経由でモニタリングが行われています。
三井住友建設は、将来的にはこうしたデータからビル全体の損傷具合を判定するシステムを確立したいとしています。
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このように破壊・崩壊の跡をそのまま残すということは、まったく新しく建て直すことよりはるかに難しいことがわかります。
原爆ドームでは50年前に取り付けた金属製の補強材が錆びはじめていますが、金属を壁に打って補強しているため壁自体に傷みが広がってしまっているようです。
新素材を使うにせよ、それが数十年後・数百年後にどのような影響を及ぼすのか、そこまで考えての補修が求められています。
すでに数百年・数千年の歴史を持つ石造・木造建築と異なり、そうした実績のない近現代の建築の保全はこうしたトライ&エラーを繰り返して確立していく必要があるようです。
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