世界遺産NEWS 16/01/29:石油開発に揺れるヴィルンガ国立公園
"Conservation is War"
自然保護は戦争だ――
レオナルド・ディカプリオが製作総指揮を担当したドキュメンタリー映画『ヴィルンガ』のコピーです。
この作品はコンゴ民主共和国の世界遺産「ヴィルンガ国立公園」を舞台とした映画で、パークレンジャーたちの命懸けの活動の様子を描いています。
2014年の第87回アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞ノミネート作品でもありますが、まずはその予告編をご覧ください(英語)。
現在、コンゴ民主共和国には5つの世界遺産がありますが、このすべてが危機遺産リストに登録されています。
■コンゴ民主共和国の世界遺産(登録年、登録基準、危機遺産登録年)
- ヴィルンガ国立公園(1979年、自然遺産(vii)(viii)(x)、1994年)
- ガランバ国立公園(1980年、自然遺産(vii)(x)、1996年)
- カフジ・ビエガ国立公園(1980年、自然遺産(x)、1997年)
- サロンガ国立公園(1984年、自然遺産(vii)(ix)、1999年)
- オカピ野生生物保護区(1996年、自然遺産(x)、1997年)
※なお、ガランパ国立公園は以前に一度危機遺産リストに記載&解除されており、再度のリスト掲載となっている
その原因は内戦です。
みなさんは「コンゴ民主共和国」という国名に馴染みはないかもしれませんが、「ザイール」という国名は聞いたことがあるのではないでしょうか?
いま、ザイールという国は存在しません。
1965年、モブツ大統領がクーデターでコンゴ民主共和国の政権を掌握し、1971年にザイール共和国に国名を変えました。
モブツ政権は30年以上続きましたが、国土のすべてを掌握できたわけではなく、特にジャングルには数多くの反政府勢力が存在していました。
1990年代にコンゴ、ブルンジ、ウガンダ、ルワンダでフツ族とツチ族の対立が激化しました。
このときルワンダで起こったのが犠牲者100万人とも言われる大虐殺です。
コンゴでは1997年、周辺国のツチ族の支援を受けたADFL(コンゴ・ザイール解放民主勢力同盟)のカビラ議長が首都キンシャサを制圧。
政権を発足させて国名をコンゴ民主共和国に戻しました。
カビラ政権もやはり全土を統一したとは言えず、国内には周辺国のフツ族の支援を受けた反政府勢力や旧政府勢力も勢力を保っており、そのまま内戦に突入しました。
特にウガンダとルワンダが反政府勢力RCD(コンゴ民主連合)を支援したことから対立が深まり、政権側がジンバブエやナミビア、アンゴラと同盟を組むと、周辺国を巻き込んでコンゴ戦争が勃発します。
ウガンダやルワンダはコンゴ民主共和国に侵入し、一部を占領しました。
この戦争は1999年に停戦を迎え、2000年代には和平プロセスやコンゴ民主共和国の民主化が進みました。
しかしながらいまだにウガンダやルワンダとの緊張は続いており、国内の一部は反政府勢力が自治を行っているなど実質的な内戦状態が続いています。
コンゴの世界遺産5件は内戦・戦争が激化した1990年代に危機遺産リストに登録されました。
当初は5つの国立公園や生物保護区に大量の難民が流入し、動物の密猟が相次ぎ、保護区を畑にするなどといった行為が問題視されました。
しかし、やがて武装した反政府勢力が勢力を広げると組織的な密漁や鉱山開発がはじまって、公園を守るレンジャーが多数殺害される事態となりました。
これに対抗するためにレンジャーたちも武装するようになり、冒頭の映画のコピー「自然保護は戦争だ」というような状況に陥りました。
これらに加えて、手つかずの自然の下に石油などの資源が発見されると政府をも巻き込んだ利権獲得競争がはじまりました。
これまでレンジャーたちは政府の指示を受けて国立公園・生物保護区を命懸けで死守してきました。
ところがその政府が開発に転ずる姿勢も見せるようになったのです。
その最たる例が「ヴィルンガ国立公園」です。
「ヴィルンガ国立公園」はゴリラやチンパンジー、カバの生息地として知られており、特にマウンテンゴリラについては全世界の生息数の三分の一がここに集中していると考えられています。
ここ数年、反政府勢力が勢力を伸ばしていたため閉鎖されていましたが、一部が降伏して安全が回復されたことからツアーなども再開されています。
この辺りには石油をはじめとするさまざまな資源が眠っていることはすでに知られていました。
政府は周辺でダムの開発や送電などの事業を進めており、イギリスの石油会社などとともに地中探査を進めていました。
こうした動きに対してUNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)やWWF(世界自然保護基金)、グリーンピース、AWF(アフリカ野生動物保護財団)などの団体が反対を表明しています。
2014年には「石油会社が事業停止に合意」との報道もなされましたが、「事実を明らかにする」という方針の下で調査は続きました。
そして2015年11月、このイギリスの石油会社は「油田の存在が確認された」との発表を行いました。
これに対して現在、世界の約60団体が石油掘削プロジェクトの中止を嘆願しています。
コンゴ民主共和国はこれまでのところ世界遺産登録地の開発を公式に認めているわけではないようです。
しかし一貫して調査は進めており、しかもこのイギリスの石油会社以外にも多くの会社に公園内外の調査を認めていると言われます。
もしかしたら登録地周辺の開発に留めるのかもしれませんが、自然保護団体はこれにも反対を表明しています。
そもそも一国の政府の判断で、国際条約(世界遺産条約)で保護の対象となっている登録地の開発を進めることができるのでしょうか?
実は、世界遺産条約には罰則規定が存在せず、強制力もありません。
したがって国際的な非難を覚悟すれば、開発を行うことも、条約から脱退することも不可能ではありません。
その前例がオマーンの元世界遺産「アラビアオリックスの保護区」です。
この物件は1994年に世界遺産に登録されましたが、オマーン政府は2006年に石油開発のために登録地の9割を保護区から削除することを宣言しました。
あまりに衝撃的な決定に対し、UNESCOは調査団を派遣して実態を調査するとともに計画の縮小を提案しましたが、オマーンは強硬姿勢を変えず、世界遺産委員会の場で「保護を行う意志はない」と表明しました。
この結果、危機遺産リストに載ることさえなく、2007年に史上初となる世界遺産リストからの抹消が決定したのです。
UNESCOや自然保護団体が恐れているのはこの再現です。
コンゴ民主共和国は開発によるメリットとデメリットを計算して答えを出すのでしょうが、内戦が続いて十分な産業が存在しないこの国にとって、石油資源はあまりに魅力的です。
この国ではいまだに多くの一般人が戦闘の犠牲になっていると言われています。
もしかしたら、この開発が成功して国が豊かになれば、政権が安定して平和がもたらされるかもしれません。
一方で、その利権を巡って政府と反政府勢力の対立が深まる可能性もあり、実際アフリカではそのような対立が後を絶ちません。
保護か開発か――
問題はあまりに複雑です。
[関連サイト]
『ヴィルンガ』オフィシャルサイト(英語)
世界遺産NEWS 21/01/26:ヴィルンガ国立公園でレンジャー6人が殺害される
世界遺産と世界史49.世界分割(アフリカの混乱の歴史的背景はこちらを参照)