世界遺産NEWS 15/05/29:インド、デリーの開発のため世界遺産推薦を撤回
前回の記事で2015年に世界遺産登録を目指す候補地の勧告結果を紹介しました(2015年、世界遺産候補地の勧告結果)。
昨年の段階では世界遺産候補地として名乗りをあげていましたが、政府の意向で推薦を撤回した興味深い物件があるので紹介しましょう。
こちら↓です。
■デリーの帝国首都群
Delhi’s Imperial Capital Cities
インド、文化遺産(iv)
構成資産:シャージャハナバード、ルティエンズ・バンガロー等
実はインドのデリーにはすでに以下の3件の世界遺産が存在します。
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デリーのフマユーン廟(インド、1993年、文化遺産(ii)(iv))
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デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群(インド、1993年、文化遺産(iv))
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レッド・フォートの建造物群(インド、2007年、文化遺産(ii)(iii)(vi))
[関連サイト]
デリーのフマユーン廟/インド(All About 世界遺産)
そして4件の世界遺産を有する世界遺産都市になるために、2014年に「デリーの帝国首都群」をUNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)に推薦していたわけですが、2015年の5月下旬にこれを撤回しました。
その理由について、マヘーシュ・シャルマ文化大臣はインドのTV局の質問に以下のように応えています。
"We had a long discussion on the issue with the Urban Development Ministry. There were reservations from the Urban Development Ministry that if Delhi is declared World Heritage City, there would be lot of restrictions."(NDTVニュースより抜粋。以下同)
"Once the city comes into that heritage list, you are unable to make some construction in the city plans and land use plans, so it will become difficult. With that view the government has taken a decision to withdraw the nomination"
「私たちはこの問題について都市開発省と議論を重ねました。同省には、デリーが世界遺産都市を宣言されてしまうとさまざまな制限が課されるかもしれないという懸念がありました」
「一旦世界遺産リストに掲載されてしまうと、都市計画や土地利用計画に基づいた建設に支障をきたします。これが将来問題になるでしょう。この観点から、政府は推薦を取り下げる決定を下しました」
首都のインフラ整備や建設計画に影響が出るためと、ハッキリ言い切っています。
ところが、これまでこの物件の推薦に尽力してきたデリー市議会やINTACH(インド芸術・文化遺産ナショナルトラスト)は寝耳に水だったようで、INTACHの関係者は以下のようにコメントしています。
"We worked so hard on it since the conception of the idea. The government's decision is heart-breaking"
"At least we should have been consulted before taking a decision. The area nominated is barely 1.5 per cent of the total area of Delhi"
「私たちはこれまでコンセプトの立案から一所懸命になって進めてきました。政府の決定に胸が張り裂けそうです」
「少なくとも決定する前に相談があってしかるべきでした。世界遺産候補地の登録範囲はデリー全域の1.5%にすぎないのです」
そもそも、世界遺産に推薦した昨年の段階では、政府は市やINTACHに同調していたはずです。
ですから突然の推薦撤回はなんとも解せません。
おまけに開発にはさほど影響はないというのが市やINTACHの意見のようです。
これがはじめて世界遺産を登録しようという国や市の問題ならまだわかるのですが、インド全体で32件、デリーには3件の世界遺産が存在します。
世界遺産はどこかでジャマな存在だったのかもしれません。
開発か、世界遺産登録か――
世界には開発を優先して世界遺産リストから抹消された元世界遺産が2件存在します。
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アラビアオリックスの保護区(オマーン、1994年、2007年抹消、自然遺産(x))
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ドレスデン・エルベ渓谷(ドイツ、2004年、2009年抹消、文化遺産(ii)(iii)(iv)(v))
「アラビアオリックスの保護区」は資源開発のため保護区を9割削減したため、「ドレスデン・エルベ渓谷」は架橋によって文化的景観が棄損されるため、世界遺産委員会で抹消が決定しました。
この問題、日本も無縁ではありません。
一例が広島県の鞆の浦(とものうら)です。
美しい自然と江戸時代から続く港が一体となった文化的景観で知られる場所で、一時は世界遺産登録を推進する運動も立ち上がりました。
UNESCOや世界文化遺産の調査・勧告を行っているICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)も世界遺産の可能性を指摘しています。
しかし、以前からここにはバイパスを通し、橋を架ける計画があります。
街並みが江戸時代から続くということは道路もそのままであるわけで、住民は渋滞や物流の停滞などさまざまな不便を強いられています。
これらを解消して便利で清潔な街を造りたいということでしょう。
いまのところ、開発計画も世界遺産推進計画も進んでおりません。
住民も両者に推進派と反対派がおり、悩ましいところです。
「開発か、保護か?」という問題はデリーや鞆の浦に限らず、文化遺産や自然遺産を有する街・目指す街で必ず持ち上がる問題です。
今後このような動きが世界でどのように拡大するのか、注目してみたいと思います。