世界遺産NEWS 13/03/13:バチカンとコンクラーベ
いままさにバチカン市国で行われているコンクラーベ。
第266代ローマ教皇(法王)を決める秘密選挙のことです。
この機会にバチカン、コンクラーベ、教皇のことについて勉強してみましょう。
※3/14、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が当選しました!
新聞社や通信社によって教皇・法王と表現が違いますが、どちらも "Pope" です。
日本にあるバチカン大使館を「ローマ法王庁大使館」と登録したことから、日本における公式な名前として定着したようですね。
でも世界史の教科書では「教皇」という名前で統一していますし、教会関係者は皆「教皇」を推しているという話。
「皇」は王より上の称号ですから、国家を超える概念である "Pope" には「皇」を使いたいということなのでしょうか(国をまとめるのが王、たくさんの国をまとめるのが皇です。天皇や始皇帝、皇帝が一例です)。
法王から教皇への名称変更の届け出が受け入れられなかったなんて話もあるようです。
さて、この教皇ってなんでしょう?
教皇は、もともとはペトロの遺志を継ぐ者のこと。
ペトロは紀元前後を生きたイエスの第一の使徒で、ローマ帝国によるキリスト教弾圧下にあって、あえて帝国の首都ローマを訪れて布教を行いました。
しかしネロ帝の大弾圧により、60年に逆さ十字の刑で処刑されてしまいます。
その場所に建てられたローマの教会堂が聖ペトロの大聖堂=サン・ピエトロ大聖堂。
そしてペトロの遺志を継ぎ、イエスの代理としてキリスト教を伝える者が教皇なのです。
ローマ帝国の時代、五大教会(ローマ、コクスタンティノープル、アンティオキア、エルサレム、アレキサンドリア)がありました。
ローマ帝国が東西に分裂すると西にはローマしかありませんし、他の都市はイスラム教化されていきますから、自然とローマの力は増していきました。
教皇レオ3世がフランク王国のカール大帝を皇帝に任命すると、教皇は「皇帝を選ぶ者」という権威を手にします。
日本でいえば天皇に対する征夷大将軍みたいな感じですね。
教皇は宗教上の、つまり心理面の統括者であるのに対して、皇帝は地上の、つまり物理面の統括者。
しかしたびたび教皇と皇帝の争いは起こっており、時に教皇は皇帝をも凌ぐ力を手にした時代もありました。
地域の立場からバチカンと教皇を見てみましょう。
カトリックの場合、地域(司教区)にひとりの司教(ビショップ)がつきます。
司教が座る椅子をカテドラといいますが、これが置かれた教会堂を大聖堂=カテドラルといいます。
ヨーロッパの街はもちろん、大航海時代にヨーロッパの人々が侵略した中南米の都市の中心にはたいてい大聖堂があります。
最初に大聖堂を建てて、まず心を支配しようとしたのでしょう。
そして各地の司教をまとめ、カトリック信者10億人を束ねるのがローマ教皇庁です。
その第一の大聖堂がバチカンにある首席教会堂=サン・ピエトロ大聖堂で、その頂点に立つのが教皇です。
ローマ教皇庁はカトリックの中心的な組織であると同時に、バチカン市国の政府でもあります。
つまり、教皇はカトリックの首長であると同時に、バチカン市国の元首でもあるのです。
ではこのバチカン市国ってなんでしょう?
これがかなり特殊な国家なのです。
領土の面積は世界最小で東京ディズニーランドより一回り小さいほど。
バチカンで生まれ育った国民はおらず、カトリックの聖職者や関係者500~1,000名ほどが国民。
彼らは任期が終わるとそれぞれの国籍に戻ります。
そしてローマ市内にあるバチカン市国本土はその全体が世界遺産「バチカン市国」に、ローマ市内に点在する飛び地も世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」に登録されています。
つまり、バチカン市国は教皇庁としてのみ認められたとても特殊な国家。
歴史的にも国として認められたり認められなかったりを繰り返しており、イタリアからの独立を認められたのは1929年のラテラノ条約からです。
そしてコンクラーベです。
ラテン語で「鍵を閉める」を意味するコンクラーベは教皇を選ぶための選挙で、バチカンのシスティーナ礼拝堂で行われています。
関係者以外は立入禁止で、以前は本当に鍵をかけて投票者である枢機卿を閉じ込めて投票を行ったようです。
いまでも実際に何が行われているのか正確に知っている人はほとんどいないようです。
とにかく、選挙権を持つ枢機卿と呼ばれる聖職者(今回は115人)が集まって投票を行い、2/3以上の得票で教皇が決まります。
2/3の得票者が出るまで投票は繰り返されるのですが、投票ごとにその可否は特別に据え付けられた煙突から煙を出して周囲に知らされます。
決まった場合は白い煙、決まらなかった場合は黒い煙が出るのだそうです。
今回これまでになくコンクラーベが注目されている理由のひとつは、前教皇ベネディクト16世が約600年ぶりに存命のまま退位したことにあります。
通常教皇は生きている間は教皇であり続け、亡くなると遺体はサン・ピエトロ大聖堂の地下に収められます。
ベネディクト16世の場合はどうなるのでしょうか?
注目されるもうひとつの理由は、アジアや南米・アフリカの大司教らが候補者として名が挙がっているためです。
これまで265人の教皇はすべてヨーロッパの人間で、白人です。
アジア人や黒人が選ばれたら歴史的な転換点となるはずです。
注目ですね。
※3/14、アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が当選しました。
フランチェスコの名で第266代教皇に就くそうです。
はじめてヨーロッパの外から選出(白人)です。
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