世界遺産と建築22 仏教建築2:大乗仏教編(東南アジア、チベット、ネパール)
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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第22回は東南アジア、チベット、ネパールの大乗仏教建築を紹介します。
東南アジアでも上座部仏教の建築は次の第23回に回します。
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<東南アジアの大乗仏教建築、マンダラ風伽藍>
■インドネシアの大乗仏教建築
密教化した仏教(大乗仏教)はインド・バングラデシュに留まらず、東南アジアにも伝えられました。
なかでも東南アジアの仏教の一大拠点となっていたのが、7世紀頃からスマトラ島で栄え、強大な海上王国を築いたシュリーヴィジャヤ王国です。
隣のジャワ島を支配したシャイレーンドラ朝も仏教国で、同朝が建設した仏教遺跡がボロブドゥール※です。
ボロブドゥールは欲界・色界・無色界の3界9層からなる階段ピラミッドで、欲界を示す基壇と色界の5層が方形壇、無色界は円壇となっています。
基壇は一部を除いてブロックで埋められており、色界の5層は回廊に囲われ、壁面はブッダの生涯や前世を描いたレリーフで覆われています。
無色界の3層は回廊のない見晴らしのよい開けた空間で、円形のストゥーパの中には釈迦如来像が据えられており、悟りの世界を示しています。
中央の大ストゥーパの内部は空洞で、大乗仏教の「空」の思想を示しているようです。
こうしたピラミッド構造は須弥山(メール山)を示し、全体は世界の在り方を示すマンダラ、あるいは悟りの道程を表した経典であるともいわれます。
※世界遺産「ボロブドゥール寺院遺跡群(インドネシア)」
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■カンボジアの大乗仏教建築
インドシナ半島で栄えたアンコール朝は当初ヒンドゥー教の王朝で、クメール様式の寺院を多数建立しましたが、後期の王は大乗仏教の保護者も少なくありませんでした(詳細は「世界遺産と建築20 ヒンドゥー教建築2:東南アジア編」の「クメール様式」参照)。
都城アンコール・トム※のバイヨン寺院は各辺を東西南北に向けた点対称の階段ピラミッドで、回字状の二重回廊に囲われており、中央祠堂はロータス形の四面堂となっています。
アンコールでは塔状の堂宇を「プラサート」と呼びますが、階段ピラミッドやプラサート群が須弥山を模している点はボロブドゥールと同様です。
巨大な観世音菩薩像(異説あり)が4面に描かれた四面仏顔塔で知られますが、回廊のレリーフにはヒンドゥー教神話の乳海攪拌(にゅうかいかくはん)が描かれており、随所に習合(宗教が混同・折衷されること)が見られます。
やがてヒンドゥー教寺院として改装され、各所にヒンドゥー教の神像やリンガが設置されましたが、その後は上座部仏教の寺院として使用されていました。
東南アジアではこのように大乗仏教が広がりましたが、やがてインドと同様にヒンドゥー教と混在し、同化・吸収されて衰退します。
島嶼部では12~13世紀頃からイスラム教が取って代わり、インドシナ半島では13世紀頃からスリランカ・ビルマ経由で上座部仏教(小乗仏教)が伝えられて一気に拡散していきます。
※世界遺産「アンコール(カンボジア)」
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<チベット、ネパールの仏教>
■チベット仏教
7世紀、チベットには初の統一王朝・吐蕃(とばん)があり、国王ソンツェン・ガンポは中国・唐の文成公主(ぶんせいこうしゅ)とネパール・リッチャヴィ朝のブリクティをめとりました。
ふたりの王妃は熱心な仏教徒であったことから首都ラサにラモチェ寺(小昭寺)やトゥルナン寺(大昭寺)※といった仏教寺院を建立し、ソンツェン・ガンポも仏教に帰依しました。
8世紀にはティソン・デツェン王が仏教を国教に定め、チベット仏教の体系化を進めました。
顕教時代から密教時代のものまでインドの経典のチベット語化が進められ、チベット大蔵経としてまとめられました。
12~13世紀にイスラム教の侵略を受けてインド仏教がほぼ消滅する一方で、チベット仏教はモンゴル帝国に受け入れられてさらに拡大します。
16世紀、熱心なチベット仏教徒だったモンゴルのアルタン・ハンは、チベット仏教ゲルク派(黄帽派)の僧ソナム・ギャツォを青海の迎華寺に招くと、大海を意味するダライと上師を示すラマを合わせて「ダライ・ラマ」の称号を与えます。
この称号は過去にさかのぼって適用されたため、ソナム・ギャツォはダライ・ラマ3世となってモンゴルへの布教に努めました。
17世紀にダライ・ラマ5世が建設したチベット政府=ガンデンポタンの行政庁であり、ダライ・ラマの居城で、代々のダライ・ラマの墓廟(遺体や遺灰を収める墓と魂を祀る廟が一体化したもの)でもあるのがラサのポタラ宮※です。
※世界遺産「ラサのポタラ宮歴史地区(中国)」
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■ネワール仏教
12~13世紀に滅んだインド密教のサンスクリット経典を引き継いで発展したのがネパール、特にカトマンズの谷※を拠点とするネワール族が奉じるネワール仏教です。
ネワール族はもともと仏教徒だったようですが、ヒンドゥー教や密教が広がるとそれらを吸収し、マンダラにヒンドゥー教最高神シヴァを描いたり、カースト制度を取り入れるなど独自の発展を見せました。
チベット仏教が盛んになるとこれも取り込んでいます。
ネパールの主要都市カトマンズはネワール仏教とヒンドゥー教の聖地で、両者の寺院が並び立ちますが、いずれの寺院にも両教徒が訪れています。
一般の信者にとって、ネワール仏教、チベット仏教、ヒンドゥー教の区別はほとんど意味を持たないようです。
※世界遺産「カトマンズの谷(ネパール)」
■ストゥーパ、チョルテン
チベット仏教ではストゥーパを「チョルテン」と呼びますが、そのデザインは多種多様です。
チョルテンは基本的に「覆鉢式」で、茶碗を伏せたような半球ドームの覆鉢(ふくばち)をベースとし、その上に傘蓋(さんがい)を発達させた相輪(そうりん)を頂いています。
基壇は円形から方形、ロータス形まで多彩で、覆鉢も真球から下がすぼまった釣鐘形・円筒形と時代や地域によって形が異なっています。
中国ではこうした多彩なストゥーパを「覆鉢式塔」といい、特にチベット式のストゥーパを「ラマ塔」と呼んでいます。
ネパールやブータンでしばしば見られるのが高さ数十mもあるような巨大な覆鉢式ストゥーパで、カトマンズのボダナート①は直径27m・高さ36mを誇ります。
相輪の下の平頭(へいとう/ひょうず)には「知恵の目(ブッダ・アイ)」と呼ばれる目が描かれており、額には真理を示す「1」が刻まれています。
もともとストゥーパは仏舎利を収める供養塔でしたが、ネパールでは須弥山をかたどって独自に発展したようです。
※世界遺産「カトマンズの谷(ネパール)」
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シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」、第23回はスリランカと東南アジアの上座部仏教建築を紹介します。