世界遺産と建築20 ヒンドゥー教建築2:東南アジア編
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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3.イスラム教、ヒンドゥー教編 4.仏教、中国、日本編
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第20回は東南アジアのヒンドゥー教建築を紹介します。
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<ヒンドゥー教の伝来>
■海のシルクロード


古代の東南アジアは内陸部よりも島嶼(とうしょ)部や海・大河の沿岸部で港を中心とする「港市(こうし)」が発達しました。
西アジア-インド-東南アジア-中国は間接的に結ばれており、古くから交流がありました。
「海のシルクロード」です。
紀元前1世紀頃、インドから大乗仏教が伝えられ、4~5世紀になるとヒンドゥー教が伝来しました。
このため東南アジアに仏教国やヒンドゥー教国が成立し、同じ国の中でも王によって宗教が変わったり、混在したり、取り込みあっていました。
実際、仏教寺院にヒンドゥー教の神々の像が刻まれることは珍しくなく、その逆もしかりでした。
伝来当初の様式を残すヒンドゥー教の聖地がベトナムのミーソン聖域①です。
海のシルクロードを通って南インドの文化が伝えられたことからドラヴィダ様式の寺院が残されています。
インドネシアのジャワ島では両宗教が並立していた様子が確認できます。
一例が同国最大の仏教寺院ボロブドゥール②と、同国最大のヒンドゥー教寺院ロロ・ジョングラン(プランバナン寺院)③です。
前者が建てられたのは8~9世紀、ロロ・ジョングランは9~10世紀で100年ほどの差しかなく、距離的にも35kmほどしか離れていません。
実はロロ・ジョングランを建てた古マタラム王国はボロブドゥールを建造したシャイレーンドラ朝の支配下にあり、信奉する宗教は違いましたが互い宗教に寛容で、それで対立することはありませんでした。
※①世界遺産「ミーソン聖域(ベトナム)」
②世界遺産「ボロブドゥール寺院遺跡群(インドネシア)」
③世界遺産「プランバナン寺院遺跡群(インドネシア)」
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■ジャワ様式


先述した仏教国シャイレーンドラ朝は10世紀にはジャワ島から消え、代わって古マタラム王国が支配を強めました。
国王ピカタンは仏教寺院をヒンドゥー教寺院に改修しつつ、856年にヒンドゥー教の総本山としてロロ・ジョングラン①を建設します。
ロロ・ジョングランは外苑・中苑・内苑の3つの正方形からなる寺院で、外苑は400m四方という広大な面積を誇ります。
220m四方の中苑には256基の小祠堂が設置され、内苑の高さ約2mの基壇上には8基の祠堂が並んでいます(八堂式)。
東南アジアではこうした都市を思わせる正方形の広大な平面プランがよく見られます。
プラットフォーム上にあるピラミッド形の堂宇はインドネシアでは「チャンディ」と呼ばれます。
ヒンドゥー教の3最高神とそれぞれの乗り物であるヴァーハナのチャンディが向かい合うように置かれており、北にチャンディ・ヴィシュヌ-チャンディ・ガルーダ、中央にチャンディ・シヴァ-チャンディ・ナンディー、南にチャンディ・ブラフマー-チャンディ・ハンサが対に並べられています。
それぞれのチャンディでは至聖所ガルバグリハにシヴァやナンディーの神像が祀られていますが、どのチャンディにも礼拝室マンダパがありません。
このため基壇上はすべて内陣(神像や祭壇を収めた聖域)で神々の聖域を示しており、世界の在り方を示す一種のマンダラ(曼荼羅)になっているとも思われます。
これは仏教僧院であるパハルプールのソーマプラ僧院②で発達したといわれる平面プラン(マンダラ風伽藍配置)の影響と考えられています。
※①世界遺産「プランバナン寺院遺跡群(インドネシア)」
②世界遺産「パハルプールの仏教寺院遺跡群(バングラデシュ)」
■バリ様式


14~15世紀にイスラム教が広がるとヒンドゥー教や仏教は下火となり、東南アジアの島嶼部の住民の多くが改宗します。
そんな中で、いまでもヒンドゥー教信仰があついのがバリ島です。
バリ島ではヒンドゥー教と仏教や土着の宗教との習合が見られ、たとえばバリで最重要とされるウルン・ダヌ・バトゥール寺院※はヒンドゥー教3最高神の1柱であるヴィシュヌとバトゥール湖の女神デウィ・ダヌを祀っています。
バリの寺院は「プラ」といいますが、その内部が3つに分かれているのはロロ・ジョングランの平面プランと同様です。
ただ、プラは一直線上に並ぶことが多く、外側から外苑-中苑-内苑となっています。
内苑は内陣を意味する「ジェロアン」と呼ばれて聖域となっており、外陣(げじん。一般参拝者が訪れる礼拝所)の「ジャバ」と区別され、「パドゥラクサ(コリ・アグン)」と呼ばれる山形の門で仕切られています。
この門はインド・ドラヴィダ様式の塔門ゴープラムが独自に発達したものです。
特徴的なのは内陣と外陣、あるいはプラと外部を分ける門である「チャンディ・ブンタル」で、中央でふたつに切り分けたような割れ門となっています。
また、「メル(ペリンギー・メル)」と呼ばれる木造の層塔は仏教のストゥーパや多層塔を思わせますが、その名の通り須弥山(メール山)やバトゥール山などの聖山をかたどっているといわれます。
※世界遺産「バリ州の文化的景観:トリ・ヒタ・カラナ哲学に基づくスバック灌漑システム(インドネシア)」
■クメール様式



6世紀頃、クメール人が現在のラオス南部に建てた国が真臘(しんろう。チェンラ王国)で、8世紀後半に分裂した後(陸真臘・水真臘)、海岸沿いはスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国やジャワ島のシャイレーンドラ朝の支配を受けました。
この時代に前者から大乗仏教、後者からヒンドゥー教の建築が伝わっています。
そしてこれらを802年に統一したのがクメール王国アンコール朝(クメール朝)です。
真臘やアンコール朝の初期は一貫してヒンドゥー教を奉じており、聖地ワット・プー①をはじめ数々のヒンドゥー教寺院を残しています。
クメール建築の完成形といわれるのがアンコール・ワット②です。
「アンコール」は都、「ワット」は寺院を意味し、「王都の寺」といった意味で、12世紀に王家のヒンドゥー教寺院として建立されました。
各辺を東西南北に向けた1.5×1.3kmという巨大な伽藍で、幅200mほどの堀で囲まれています。
「ゴプラ(ゴープラム)」と呼ばれる塔門から540mもの参道が続いており、参道の左右には聖池が配されています。
本堂は三重の回廊が回の字状に取り囲んでおり、外側から第1~第3回廊と呼ばれています。
第1回廊の壁面は『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』の神話や当時の王家の物語を描いたレリーフで覆われており、第2~3回廊は女神像デヴァダーや仏像、連子格子で飾られています。
第3回廊の四隅には砲弾形にもピラミッド形にも見えるクメール様式の塔堂「プラサート」がそびえ、さらに中央祠堂の大プラサートと合わせて五堂式となっています。
広大な回字状の敷地の中心付近に中央祠堂を置くマンダラ風伽藍は東南アジアの仏教寺院やヒンドゥー教寺院の特徴となっています。
アンコール朝は次第に仏教化し、アンコール・ワットの中央祠堂にはかつてヴィシュヌ神が祀られていましたが、16世紀に上座部仏教の寺院に改修された際に釈迦如来像と入れ替えられています。
※①世界遺産「チャムパーサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群(ラオス)」
②世界遺産「アンコール(カンボジア)」
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シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」、第21回からは仏教建築を紹介します。