世界遺産と建築17 イスラム建築2:世界のモスク建築
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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第17回はイスラム教のモスク建築と廟建築のバリエーションを紹介します。
本章は以下のような構成です。
- アラブ型・多柱式モスク
- ペルシア、トルキスタンの建築
- ペルシア型・イーワーン式モスク
- インド型・ムガル式モスク
- トルコ型・中央会堂式モスク
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<アラブ型・多柱式モスク>
■アラブ型・多柱式モスク
モスクのはじまりはムハンマドがイスラム教第二の聖地メディナの自宅に造った礼拝堂(預言者のモスク)です。
そのためアラブの一般的な住宅がそのままモスクの礼拝堂として発達しました。
全体は周壁に囲われており、緑豊かな中庭を持ち、柱が立ち並んだ多柱室や列柱廊を備えています。
内部に壁を使わず柱を多用しているのは、広いスペースを確保することと、風通しをよくすることが目的です。
メッカの方角にミフラーブが設置されていますが、建物自体は必ずしもそちらを向いているわけではありません。
神殿や寺院ではなく礼拝堂にすぎないモスクでは建物は神聖視されておらず、方角にはあまりこだわりが見られません。
このように預言者のモスクをモデルとして西アジアや北アフリカで発達したモスク型は周壁・多柱室・列柱廊・緑豊かな中庭などが特徴で、装飾は他のモスク型と比較して簡素なものとなっています。
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<ペルシア、トルキスタンの建築>
■イーワーン
ペルシア・トルキスタンで発達した建築のひとつが「イーワーン」です。
イーワーンは「コ」の字形をした門状の建物で、一方が開放空間で三方が壁となっています。
天井は頭の尖った尖頭アーチ(尖頭サラセン・アーチ)が連なったヴォールト(アーチを前後に重ねてできたカマボコ形・半筒状の空間)天井で、壁にはいくつかの出入口が設置されています。
イーワーンはもともと宮殿の礼拝堂に使用されていたようですが、アッバース朝の時代にモスクのエントランスに取り付けられ、外部と中庭を結ぶ建物となったようです。
やがて中庭をふたつのイーワーンで挟む「ドゥ・イーワーン(2イーワーン)」が誕生し、セルジューク朝の時代に中庭の四方をイーワーンで囲む「チャハル・イーワーン(4イーワーン)」が完成しました。
ドゥは2、チャハルは4を意味します。
イーワーンは門として使用されただけでなく、モスクや廟のファサード(正面)を飾ったり、細かいイーワーンを連ねて装飾とするなどさまざまな用途で使用されました。
この辺りはペルシア型・イーワーン式モスクで解説します。
■二重殻オニオン・ドーム/タマネギ・ドーム
中央アジアや西アジアには華麗なイスラム都市が発達しましたが、13世紀にモンゴル帝国が侵入すると主だった都市はことごとく破壊されてしまいます。
モンゴル帝国は陸続きの国家としては史上最大の帝国を築きますが、まもなく元、キプチャク・ハン国、イル・ハン国、チャガタイ・ハン国の4か国に分裂します。
モンゴル帝国によって破壊された中央アジアでしたが、復興期に大きな進歩を遂げます。
この時代、建築において大きな影響を与えたのがイル・ハン国とティムール朝です。
イル・ハン国がペルシア・トルキスタンの芸術の粋を集めて築いた計画都市がイランのソルターニーエ①で、特筆すべき建築物が1312年に竣工したオルジェイトゥ廟です。
八角形の集中式ドーム建築で、ドームは直径約38mを誇り、内外ふたつのドームが互いに支え合って自立する二重殻構造となっています。
ドームの形はタマネギの球根を思わせる「オニオン・ドーム(タマネギ・ドーム)」で、内部はターコイズ・ブルーの彩釉タイルや幾何学文様・装飾文様のアラベスクで覆われており、窓はイーワーンでムカルナス(鍾乳石を模した装飾)が見られます。
ティムール朝が築いたドーム建築がホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟②です。
平面プランは長方形で、エントランスは開放部が外を向く巨大なイーワーンとなっています。
オルジェイトゥ廟を参考にした二重殻オニオン・ドームが特徴で、やはり多様な装飾で飾られています。
二重殻オニオン・ドームはやがてペルシア、トルキスタン、インドで多用され、ルネサンスを経てヨーロッパのキリスト教建築にまで大きな影響を与えます。
世界最大の石造ドームであるイタリア・フィレンツェ③のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂③のクーポラ(ドーム)は二重殻ドームであり、これらを参考にしているといわれます。
※①世界遺産「ソルターニーエ(イラン)」
②世界遺産「ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟(カザフスタン)」
③世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」
■チャハル・バーグ/四分庭園
砂漠やステップ(雨季にのみ草原が広がる亜熱帯高圧帯周辺の半砂漠地帯)が広がる中東や中央アジアでは、都市はオアシスや大河・湖、あるいは地下水が高くを流れる山の側で発展しました。
水や緑は非常に貴重で、逆に天国には水と緑があふれていると考えられました。
古代ペルシアでは庭園は「パイリダエーザ」と呼ばれ、庭は池泉と緑で飾られ、塀で囲まれていました。
楽園・天国を意味する「パラダイス」の語源です。
そして権力者たちは自らの力と豊かさを誇示するために各地に水と緑あふれる庭園を建設しました。
アケメネス朝(紀元前550~前330年)に起源を持つペルシア現存最古の庭園がパサルガダエ庭園※です。
ゾロアスター教でいう水・土・空・火の4元素をテーマに庭園を4分割して「チャハル・バーグ(四分庭園。十字庭園)」の起源となりました。
ペルシアにイスラム教がもたらされるとチャハル・バーグが飛躍します。
かつてアダムとイブが暮らしていた地上のパラダイス「エデンの園」には4つの川が流れており、地上を4つに分割していたと伝えられています。
チャハル・バーグはこの伝説と結びつけられて、庭園を十字状の水路によって4分割して天国を表しました。
※世界遺産「ペルシア庭園(イラン)」
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<ペルシア型・イーワーン式モスク>
■チャハル・イーワーン
ペルシア・トルキスタンではアッバース朝期以降にイーワーンがモスク建築に採用され、急速に普及しました。
当初はエントランスに設置されたようですが、中庭や装飾などあらゆる場所にイーワーンが取り入れられました。
一例が中庭の四方をイーワーンで囲った「チャハル・イーワーン(4イーワーン)」です。
これらのイーワーンの開放部はいずれも中庭を向いており、庭を特別な空間に仕上げています。
チャハル・イーワーンの現存最古の例とされるのがイスファハンのジャーメ・モスク※です。
12~13世紀の創建で、礼拝堂は多柱室を備えたアラブ型、中庭のチャハル・イーワーンはペルシア型、南北の巨大なドームは廟建築の発展形で、インドの小塔チャトリも見られます。
千年以上にわたって発展を続け、「建築様式の博物館」といわれるほど多彩な様式が混在しています。
ペルシアのモスクでは礼拝堂に巨大なオニオン・ドームを冠しており、ミナレットも複数設置されるようになりました。
チャハル・イーワーン、礼拝堂ドーム、複数のミナレットがひとつの様式となり、すべてはシンメトリー(対称)に配置されました。
※世界遺産「イスファハンのジャーメ・モスク(イラン)」
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<インド型・ムガル式モスク>
■ムガル帝国の廟建築
13世紀、マムルーク(テュルク系奴隷兵士)出身のアイバクがインド初のイスラム王朝・奴隷王朝を打ち立てます。
このあと北インドは小国が続き、周囲では地方政権が乱立しましたが、これらを統一したのがムガル帝国です。
16世紀にムガル帝国を興した初代皇帝バーブルはトルキスタンの出身で、ティムール朝を築いたティムールの玄孫(やしゃご。孫の孫)。
このようにインド北部は古くから中央アジアと結び付きが強く、互いに影響を与え合っていました。
バーブルの跡を継いだムガル帝国第2代皇帝フマユーンは、インド統治にあたってイスラム教徒とヒンドゥー教徒の和解に腐心します。
フマユーンは志半ばで倒れますが、妻ハミーダは夫のためにイスラム教とヒンドゥー教の文化の粋を集めた墓廟・フマユーン廟※を建設します。
フマユーン廟は巨大なドームを冠した集中式の廟建築で、ペルシア・トルキスタンの廟建築の流れをくんでいます。
ドームは白大理石造の二重殻オニオン・ドームで、ドーム頂上に相輪が見られます。
尖頭アーチのイーワーンが連なる東西南北の各ファサードはイスラム建築の影響で、赤砂岩と白大理石の組み合わせや屋根に見られる「チャトリ」と呼ばれる小塔はヒンドゥー教建築の意匠です。
正方形の庭園の東西南北にはイーワーン式の門が置かれていてチャハル・イーワーンとなっており、庭園は水路によって4分割されたチャハル・バーグで、中央に廟本殿が座しています。
※世界遺産「デリーのフマユーン廟(インド)」
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■インド型・ムガル式モスク
ムガル帝国の廟建築はペルシア・トルキスタンの様式を大胆に取り入れていますが、モスクについてはアラブの影響も見られます。
第3代皇帝アクバルが築いた計画都市ファテープル・シークリー①のジャーマー・マスジド(金曜モスク)は3つのオニオン・ドームと立ち並ぶチャトリ群、イーワーンのファサード、多柱室と、アラブ型やペルシア型、ヒンドゥー教建築を混在させた折衷式のモスクとなっています。
「シャー・ジャハーンのモスク」と呼ばれるタッタ②のジャーマー・マスジドもアラブ型とペルシア型の折衷です。
オニオン・ドームを冠する礼拝堂は多柱式で、列柱廊が中庭を取り囲んでいます。
ここまではアラブ型ですが、中庭は33ものイーワーンの回廊に囲まれた独特の空間で、緑も泉亭もありません。
中庭には何もありませんがその東にはそれとは別にチャハル・バーグの庭が広がっており、緑と水路で彩られています。
この辺りはペルシア型の影響です。
※①世界遺産「ファテープル・シークリー(インド)」
②世界遺産「タッタとマクリの歴史的建造物群(パキスタン)」
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<トルコ型・中央会堂式モスク>
■トルコ型・中央会堂式モスク
オスマン帝国以前、あるいはその初期、モスク建築はアラブやペルシア、トルキスタンの影響を強く受けていました。
たとえばルーム・セルジューク朝期の13世紀に建設されたシヴリヒサル・ウル・モスク①はアラブ型の多柱式で、広いけれども天井が低く薄暗い空間となっていました。
オスマン帝国最初の首都ブルサ②では逆T字型の平面プランを持つブルサ様式のモスクが開発されました。
T字の横軸部分の第1列目にファサードのポルティコ(列柱廊玄関)、第2列目に中央礼拝室と左右のイーワーン(小ホール)を配し、縦軸部分はミフラーブの部屋で、奥の壁の中央にミフラーブが設けられました。
そしてドームを多用し、ドームの周りに窓を作ることで高く明るい礼拝室を実現しました。
また、中庭はなく泉亭は内部に内蔵され、複数のミナレットを持つことも一般的になりました。
オスマン帝国はまもなくブルサからエディルネに遷都。
1453年にはメフメト2世がコンスタンティノープルを落としてビザンツ帝国(ローマ帝国)を滅ぼし、イスタンブールに改名して首都として整備しました。
主だった教会堂はモスクに改修されましたが、一例が正教会の総本山ハギア・ソフィア大聖堂で、アヤソフィア・モスク③となりました。
イスタンブールのビザンツ建築、特に高さ55m・直径30.8~31.9m(建築中の歪みでやや楕円形)の巨大なドームを誇るアヤソフィアはあまりに壮大で、トルコ人を圧倒しました。
柱で支えられたドームとしては当時世界最大を誇り、オスマン帝国の建築家たちはこの奇跡の建築を超えることを夢見たといいます(ローマのパンテオン③はこれ以上ですが、壁で支えられています)。
こうして誕生したのが、オスマン史上最高の建築家ミマール・スィナンが完成させたトルコ型の中央会堂式モスクです。
スィナンはイスタンブールでシェフザーデ・モスク④やミフリマー・スルタン・モスク④、スレイマニエ・モスク④などを設計し、エディルネで最高傑作とされるセリミエ・モスク⑤を築きました。
このセリミエ・モスクのドームは真円で直径31.5mを誇り、形状・大きさでアヤソフィアを凌駕しました。
内装についても、たとえばスレイマニエ・モスクは直径27.5mのドームを中心におびただしい数のドームやハーフ・ドーム、アーチを連ねて礼拝堂を覆い、柱を最小限に抑えています。
これにより柱が林立するアラブ型・多柱式の暗い礼拝室とは対照的に、光あふれる神々しい空間を演出しました。
※①世界遺産「中世アナトリアの木造多柱式モスク群(トルコ)」
②世界遺産「ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地(トルコ)」
③世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン共通)」
④世界遺産「イスタンブール歴史地域(トルコ)」
⑤世界遺産「セリミエ・モスクと複合施設群(トルコ)」
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