世界遺産と建築16 イスラム建築1:イスラム教とモスクの基礎知識
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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第16回はイスラム教とモスク建築の基礎知識を紹介します。
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<イスラム教とモスクの成立>
■イスラム教の成立
610年、アラビア半島・メッカ郊外のヒラー山で瞑想を行っていたムハンマド(マホメット)は、大天使ジブリル(ガブリエル)から唯一神(アッラー)の啓示を授かります。
このときジブリルはムハンマドが理解できるようにアラビア語で啓示を伝えたとされ、後に『コーラン』にまとめられました。
イスラム教ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教を「アブラハムの宗教」とし、その信者を「啓典の民」と考えています。
これは『旧約聖書』に描かれたノアの方舟(はこぶね)の大洪水のあと、最初に誕生した預言者(神から啓示を受けた者)であるアブラハムを中心に人類の救済・再生がはじまったことに由来します。
ですからイスラム教徒にとってユダヤ教やキリスト教の預言者や聖人・聖地・聖書は自分たちにとっても預言者や聖人・聖地・聖書であり、同じ神を信じる啓典の民ということになります。
イスラム教徒には「六信五行」と呼ばれる義務が課されています。
六信は神・天使・啓典・預言者・来世・使命に対する信仰を、五行は信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼の行いを示します。
このうち礼拝=サラートはカーバの方角に向かって1日5回の礼拝を行うもので、巡礼=ハッジは定められた日にメッカのカーバを訪ねるというものです。
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■モスクの誕生
ムハンマドはメッカで布教活動を行ましたが、メッカの人々は彼を迫害しました。
このためムハンマドは622年にメッカを脱出してメディナに移住します(聖遷=ヒジュラ)。
そしてムハンマドの邸宅を礼拝堂「モスク(預言者のモスク)」とし、イスラム共同体ウンマを編成しました。
この邸宅は壁で囲われた広い中庭と柱が立ち並ぶ多柱室を持つ造りで、西側の壁には聖地エルサレム※のアル=アクサー・モスクの方角である「キブラ」を示すキブラ壁が備えられており、当初イスラム教徒たちはこの方角に祈りを捧げていました。
このモスクの中で、ムハンマドは木製の高座「ミンバル」の上に立って教えを説いたといいます。
624年に神の啓示、あるいはユダヤ教徒との対立により聖なる方角=キブラはエルサレムからメッカのカーバの方角に改められ、キブラ壁の方角も変更されました。
力を蓄えたムハンマドは630年にメッカを攻略し、カーバ神殿を奪取します。
そして天から降ってきたという聖なる黒石を除いて神々の像を破壊し、カーバを取り囲むようにマスジド・ハラーム(ハラーム・モスク。マスジドはアラビア語でモスクの意味)を整備しました。
※世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請)」
■アラブ型・多柱式モスク
初期のモスクはムハンマドの邸宅を模したもので、周壁・中庭・多柱室・キブラ壁(ミフラーブ)といった要素はアラブ世界のモスクの標準形となりました(アラブ型・多柱式モスク)。
ムハンマドの時代(預言者の時代)から正統な後継者=カリフである第4代カリフ、アリーの時代(正統カリフの時代)まで各地にモスクが建てられましたが、非常に質素なものだったといいます。
これは当時、偶像崇拝とともに豪奢な建物の建設が禁止されていたためで、またモスクは神の像を収めた神殿や寺院ではなく、あくまで礼拝堂にすぎなかったからです。
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<モスク建築の基礎知識>
■キブラ、ミフラーブ
モスクでもっとも重要な設備がキブラを示す「ミフラーブ(聖龕)」です。
イスラム教徒は毎日5回の礼拝=サラートを義務としていますが、この礼拝はメッカのカーバに向かって行われます。
この方角をキブラといい、この方角を示す窪みがミフラーブです。
もともとはキブラ壁という壁で、この壁に窪みが掘られてミフラーブが生まれました。
ミフラーブはキリスト教建築のアプス(半球形に突き出した部分で、主祭壇が置かれていました)を模したものと考えられており、アプスのように半球のものが多くなっています。
唯一の例外がカーバを内包するマスジド・ハラームで、このモスクにだけはミフラーブがありません。
また、ミフラーブの脇に設置されている説教壇を「ミンバル」といいます。
ムハンマドはメディナの邸宅でミンバル(預言者のミンバル)に乗って教えを説いたと伝えられており、これを模しています。
■多柱室、列柱廊
礼拝堂には人々が集まる広い空間が必要ですが、豪奢な建物は当初、偶像崇拝などとともに厳しく禁じられていましたし、技術も資金もなかったことから巨大なドームやヴォールトを架けることはできませんでした。
このため広い部屋には必然的に柱が多くなりました。
多柱室や列柱廊は古代エジプトや古代ペルシアの神殿建築や、ギリシア・ローマ神殿で多用されていたことからこれらが参考にされたようです。
多柱室の最高傑作がコルドバ※のメスキータです。
大帝国を築いたウマイヤ朝は750年に滅びますが、ウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世は北アフリカからイベリア半島に逃れて後ウマイヤ朝を建国します。
首都コルドバにはイスラム美術の粋を集めたイスラム都市が建設され、メスキータがその中心を担いました。
※世界遺産「コルドバ歴史地区(スペイン)」
■中庭/サハン、泉亭/ホウズ
モスクには「中庭(サハン)」がつきものです。
もともと中東では風通しをよくするため邸宅の中央に中庭が設けられており、これが発達したものと考えられています。
しばしば列柱廊で取り囲んだ中庭も見られますが、これはローマ建築の列柱廊式の中庭=ペリスタイルの影響であるようです。
中庭には「泉亭(ホウズ)」が設けられていますが、これは日本の神社の手水舎(ちょうずや)の機能と同じです。
礼拝を行う前の清めの儀式(ウドゥ)のために使用され、身体を清める作法や順番なども定められています。
■ミナレット
モスクには隣接して塔が設置されており、1日5回行われる礼拝(サラート)の呼びかけが行われます。
このためイスラム圏の町ではいずれでも「アッラー・アクバル(アッラーは偉大なり)」ではじまる呼びかけの声が響き渡ります。
この塔を「ミナレット」、呼びかけを「アザーン」と呼びます。
ミナレットの起源は明らかではありませんが、キリスト教の教会堂に隣接している鐘楼(時間を知らせる鐘を備えた塔)を模したもの、あるいは城塞の物見櫓(やぐら)が転用されたものと考えられています。
もともとは四角柱のミナレットが多く、特に北アフリカやイベリア半島では多くが角楼です。
しかしペルシアや中央アジア、インドでは円楼のミナレットが普及しています。
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シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」、第17回はイスラム教・モスク建築のバリエーションを紹介します。