世界遺産NEWS 20/06/03:イスタンブール征服567周年祭とギリシアの反発
5月29日、トルコのイスタンブールで1453年のイスタンブール征服から567周年を祝う祭典が行われました。
ボスポラス海峡に花火が打ち上がり、アヤソフィアに『コーラン』が響き渡りました。
■567th anniversary of conquest of Istanbul marked at Hagia Sophia(Hürriyet Daily News)
しかしながらアヤソフィアでの礼拝や『コーラン』の朗読には反発も多く、ギリシア外務省などが非難の声を挙げています。
今回はこのニュースをお伝えします。
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4世紀末にローマ帝国が東西に分裂して以来、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は1,000年以上にわたってありつづけ、アジアとヨーロッパを分けるボスポラス海峡を股にかけた首都コンスタンティノープルは世界屈指の都市として名を馳せました。
コンスタンティノープルは三方を海に囲まれ、一方をテオドシウスの城壁に守られた難攻不落の城郭都市で、第4回十字軍のキリスト教勢力の同士討ちを除いて一度たりとも陥落したことはありませんでした。
コンスタンティノープルの象徴がハギア・ソフィア大聖堂です。
皇帝コンスタンティヌス2世による4世紀半ばの創建ですが、2度の焼失を経て6世紀前半に皇帝ユスティニアヌス1世によって現在の形に再建されました。
ユスティニアヌス1世は伝説のエルサレム神殿をも超えたことを確信し、「私はソロモン王を超えた!」と叫んだと伝えられています。
ローマ・カトリックのトップは教皇で、教皇聖座(聖座)はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に置かれています(総本山ということです)。
一方、正教会のトップは総主教で、総主教座はコンスタンティノープルのハギア・ソフィア大聖堂に置かれました(ただし、総主教と総主教座は複数存在します)。
そんなコンスタンティノープルですが、1453年にオスマン帝国の手によって落城します。
同年4月にはじまった包囲戦は、ビザンツ軍の鉄鎖による金閣湾封鎖、それに対するオスマン軍による艦隊の山越えといった作戦で有名です。
5月28日、全滅を覚悟した皇帝コンスタンティヌス11世は人々をハギア・ソフィア大聖堂に集めて最後の祈りを捧げました。
そして翌日、皇帝は自ら最前線で指揮を執り、敵に突撃して散ったと伝えられています。
この日、オスマン皇帝メフメト2世はコンスタンティノープルを落とし、ビザンツ帝国を滅ぼしました。
そしてメフメト2世はこの町をイスラム都市イスタンブールとして再開発しました。
ハギア・ソフィア大聖堂をイスラム教の礼拝堂アヤソフィア・ジャーミィ(ジャーミィは大モスクを意味します)として改修したほか、多くの教会堂をモスクに転用しました。
ハギア・ソフィア大聖堂は正教会の象徴ですから、コンスタンティノープル征服の象徴にもなったわけです。
この征服を経てメフメト2世には「征服王」の尊称が与えられました。
ただ、キリスト教やユダヤ教の信仰も認めたため、イスタンブールはギリシア人やアルメニア人、ユダヤ人も暮らす国際都市として発展しました。
オスマン帝国は第1次世界大戦を経て1922年に滅亡し、翌年トルコ共和国が成立します。
初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクは政教分離を進め、キリスト教徒にも愛されているアヤソフィアの無宗教化・博物館化を決め、漆喰で塗り込められていたキリスト教時代のモザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)を復活させ、1935年に一般公開がはじまりました。
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さて、今回のニュースです。
5月29日金曜日、トルコの文化観光省は大統領府と協力してイスタンブールで征服567周年を記念する祭典を開催しました。
イベントではメフメト2世による艦隊の山越えルートをドローンが飛行し、映像で上映。
アヤソフィアで合同礼拝(毎週金曜日に主要モスクで行われる集団礼拝)を行い、エルドアン大統領も参加して『コーラン』第48番・勝利の章が朗読され、祈りを捧げました。
新型コロナウイルスの影響でトルコでは合同礼拝の自粛が続いていましたが、74日ぶりの再開となりました。
全国の主要なモスクもこれに続き、マスクの配布や消毒・体温チェックなどを行ったのち、主に中庭などオープン・スペースを使って合同礼拝が行われました。
そしてアヤソフィア前には城壁の模型が設置され、1453年の包囲戦をプロジェクション・マッピング(プロジェクターで映像を建物や物体に投影する空間演出)で再現しました。
フィナーレではボスポラス海峡に多数の花火が上がり、観客を沸かせました。
この模様はTVやネットTV、大統領府や通信社のYouTubeチャンネルやSNSで中継されました。
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この記念祭に対してギリシア政府が反発を強めています。
ギリシア外務省は事前に中止を求めていたにもかかわらずアヤソフィアで合同礼拝と『コーラン』の朗読が強行されたことに対し、禁止されているアヤソフィアの宗教利用であるとして非難しました。
また、アヤソフィアは世界遺産「イスタンブール歴史地域」の資産に含まれていますが、世界遺産条約の精神からも逸脱しているとしました。
同様の主張は複数のキリスト教団体が声明を発表しています。
正教会がしばしば「ギリシア正教会」と呼ばれるように、ギリシアでは正教会の信仰が盛んです。
はじまりの地であるアヤソフィアはいまだに最重要の聖地のひとつであり、正教会への返還を求める声もあります。
ちなみに現在、コンスタンティノープル総主教座はイスタンブールの聖ゲオルギオス大聖堂に置かれています。
こちらは世界遺産には登録されていません。
これに対してトルコ外務省は、アヤソフィアはいかなる損傷も受けておらず条約にも違反しないとして反発しています。
エルドアン大統領は祭典のスピーチの中で、征服は破壊ではなく構築、憎悪ではなく愛情のシンボルであると主張しています。
1935年以降、アヤソフィアの宗教的使用は禁じられていましたが、2006年にトルコ政府は礼拝室での礼拝をイスラム教徒とキリスト教徒に認めました。
2010年代にミナレット(モスク隣接の塔)からアザーンと呼ばれる礼拝の呼び掛けが流されるようになり、2016年には大戦後初の合同礼拝が行われました。
この過程でトルコ政府はモスク化に言及するようになりました。
エルドアン大統領は「博物館化は間違いだった」と述べ、カーリエ博物館などとともにモスクに戻す意志をハッキリと表明しています。
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