世界遺産と建築 特別編:星と大地と古代遺跡 ~星に願いを~
小さな頃、星のキレイな冬になるとぼくは毎晩のように夜空を眺めていた。
風通しのよいベランダはとても寒かったけれど、震えながら何時間も見上げていた。
宇宙の本や天体観測の本もたくさん読んだけれど、実験や観測はすぐに放り投げてただただボケーッと見つめていた。
なぜぼくは飽きもせず星なんて眺めていたんだろう?
やがてそんなことも忘れ去り、星を眺めることもなくなった。
でも。
ストーンヘンジやチチェンイッツァを見たとき、ぼくの感じていたあの感覚が見事に閉じ込められていることに驚いた。
古今東西変わらぬ人の想い。
その想いは古代遺跡や宗教建造物に形を変えて後世に伝えられていた。
* * *
ストーンヘンジ、チチェンイッツァ、ギザのピラミッド、マチュピチュ、サン・ピエトロ大聖堂、東大寺……
世界中の古代遺跡や宗教建造物が方角を強く意識して造られている。
いったいなぜ?
そもそも方角ってなんだろう?
この問い、星をよく眺めていた人は容易に想像できるだろう。
太陽も月も恒星も惑星も、星たちはずいぶんいろいろなことを教えてくれる。
大地から昇る星々は徐々に徐々に高くなってゆき、どの星も決まってある方向でもっとも高くなる。
これを南中(なんちゅう)といい、この方角を「南」と呼ぶ。
そのまったく反対方向を振り返ると、星々はある点を中心に反時計回りに回っている。
この点を「(天の)北極」といい、この方角を「北」と呼ぶ。
現在、天の北極付近に1つの明るい星がある。
これが北極星だ(以上、北半球の場合)。
南中する方角と天の北極のある方角は自分を中心に180度真逆に位置し、天も地も、このライン(子午線)で見事に真っ二つに分割される。
ここから、南と北は何かとても特殊な方角であると考えられた。
この180度の面をさらに90度ずつに切り分けて、星が昇ってくる方角を「東」、星が落ちていく方角を「西」と呼ぶ。
これで東西南北が確定する。
正確に東西を知りたい場合は一本の棒を利用する方法がよく知られている。
棒を垂直に立ててその周辺に円を描く。
太陽による棒の影の先端が2回、円にタッチするが、この2点を結ぶと東西を結ぶ直線が得られるのだ。
電気もガスもなく、動物や侵略者から身を守る強力な政府も城壁も武器もなかった時代、夜は恐怖の時間だったろう。
太陽が生まれる方向は活気あふれる命の土地、太陽が落ちる方向は恐ろしい死の土地と考えられるようになったとしても不思議はない。
こうして多くの地方で東は生命の方角とされ、対して西は死の方角と定められた。
エジプト文明ではナイル西岸を死者の町=ネクロポリスと呼び、死後の世界に通じる土地とした。
そのためピラミッドや王家の谷、葬祭殿といった死に関する施設はすべてナイル川西岸にある。
メソ・アメリカのマヤ文明でも西は冥界の方角とされ、冥界の王ブクブ・カメーはいつも西に描かれている。
インドのアニミズムも同様だ。
人の人生はむしろ死んでからが本番であり、本当の世界がはじまる。
仏教では西方にこそ極楽があると考え(西方浄土)、ヒンドゥー教では聖地バラナシ(ベナレス)のガンジス川西岸を清浄の地、東岸を不浄の地とした。
こうして世界中で東西南北は特殊な方角と考えられ、特に東と西は生と死の象徴とされ、畏敬の念をもって祈りが捧げられた。
わかる、わかるよ。
星を眺めていると本当に共感できる。
いつの時代、どこに住む人も、みんな同じことを感じ、同じことを考えていたのだ。
* * *
古代遺跡や宗教建造物は方角だけでなく、季節の歩みを刻んでいることも少なくない。
イギリスのストーンヘンジでは夏至の日、祭壇石とヒール・ストーンの延長線上に日が沈み、冬至の日には太陽はもっとも高いトリリトンの方向へ沈む。
アイルランドのニューグレンジでは冬至の朝、近郊のドウスでは冬至の夕に太陽光が玄室を照らす。
メキシコのチチェンイッツァのピラミッド、エル・カスティーヨでは春分と秋分の両日に階段ピラミッドに影が射し、ジグザグ状の影が頭部の石像と結び付いて「羽を持つ蛇の神」ククルカンが降臨する。
春分、夏至、秋分、冬至は春夏秋冬の象徴。
それぞれ年に一度しか起きない天体現象だ。
そもそも1年ってなんだろう?
たとえば。
オリオン座は1月1日の23時頃、真南に浮かんでいる(=南中している)。
翌日2日の同じ時刻にはそれより約1度、西に現れる。
1か月後=30日後には30度、3か月後=90日後には90度西、つまり西の地平線ギリギリの場所に移動している。
そして1年後の1月1日23時には360度動いて同じ位置に帰ってくる。
全天で肉眼で見える星は6,000~8,000個ほどといわれているが、99.9%がこれと同じ動きをする。
どの星も同じ動きをしているので星座がズレたりすることはない。
これらの星を恒(つね)なる星=恒星(こうせい)と呼ぶ。
そして恒星が同じ位置に戻るために要する時間を「1年(恒星年)」といい、1日に動く角度を「1度」と呼ぶ。
1年の365日と円の360度。
本来円も365度にすべきだったのだが、直角を示す365/4や直線を示す365/2が小数点以下になってしまって計算がとてもし辛い。
仕方ないので360で統一し、直角は90度、直線は180度で示されるようになった。
これが度数360進法の起源だ。
そして1年は太陽の動きとも連動している。
太陽は暑い季節に高く舞い上がり、寒い季節には低く歩む。
1年でもっとも高く巡る日を「夏至」といい、もっとも低く巡る日を「冬至」と呼ぶ。
同じことではあるが、夏至はもっとも影が短くなる日であり、冬至はもっとも影が長くなる日でもある。
そして太陽は夏至から冬至にかけて高度を下げていき、冬至から夏至にかけて高度を上げていく。
この一往復にかかる時間もやはり「1年(太陽年)」だ。
北回帰線以北の北半球ではだいたい夏至前後に夏がはじまる。
太陽がもっとも高く上がる=光の照射量のもっとも多い夏至にもっとも暑くなるわけではないのは、熱の蓄積に少々時間が掛かるからだ。
このため夏至以降の数か月に盛暑を迎え、冬も同様ということになる。
なお、日本では太陽が真上に来ることはないが、北緯23度26分から南緯23度26分の間では太陽が頭上にまで昇る日が訪れる。
この限界線である北緯23度26分を北回帰線、南緯23度26分を南回帰線、両者のまん中を赤道と呼ぶ。
この地域では夏至の日に太陽がもっとも高くなるわけではない。
たとえば赤道では春分と秋分の日に太陽が頭上に昇る。
いずれにせよ。
太陽を含む恒星が同じ時刻に同じ位置に戻ってくるのに要する時間。
これが1年だ。
こう言い換えることもできる。
恒星がある時刻にある位置どりをするのは1年にただ一度。
オリオン座の例だと、23時に真南にあるのは1月1日のみ。
ただし、太陽は往復しているので夏至・冬至以外は1年に2度同じ位置に来る。
ではなぜ人々は1年の巡りに神秘を感じたのだろう?
もちろん単純に星が同じ位置に戻るという不思議な周期性もひとつの原因。
でも最大の理由は、人間も含めて1年の在り方が生死に直結するからだ。
古代エジプトの例。
ある時刻における恒星の位置どりは1年に一度。
エジプト文明の担い手たちもこの事実に気づいていた。
そして「ナイル川が氾濫するのはおおいぬ座のシリウスが太陽とともに東の空に現れる頃」という事実を突き止める。
こうして天体を観測することで川の氾濫や季節風の吹く時期、台風が発生するシーズン、動物の移動時期や植物が芽を出したり実をつけたりするおおよその日を予測することができた。
そして採取・狩猟・農耕・牧畜に多大な貢献をした。
つまり。
川も海も動物も植物も、星々の位置を知ればおおよそその動きを知ることができる。
川も海も動物も植物も、星々と深いつながりがある。
星の動きが地球の環境に影響しているこの事実。
星の動きが動植物の運命を左右しているこの神秘。
星にはこの世界の謎を説く鍵がある!
星には神々に通じる何かがある!!
古今東西あるゆる文化がそう考えた。
そして天文学は哲学や宗教と結び付き、古代遺跡はこの世とあの世の神秘の象徴である方角や季節と関連づけられた。
10億人を超える信者を有するキリスト教ローマ・カトリック。
ローマ・カトリックの教会は縦軸が長い「†」のラテン十字形をしていることが多いのだが、一般的に長軸の頭は東、長軸の末端は西に向けられる。
そんな教会ではたいてい東→南→西にかけてのステンドグラスにイエスの誕生→生涯→ゴルゴダの丘での処刑の様子が描かれており、西→北→東のステンドグラスはイエスの死→復活→昇天を物語る。
東が誕生、西が死を象徴しているのは古代遺跡と同様だ。
仏教寺院の門が南にあったり(南大門)、エジプトや中央アメリカのピラミッドが各面を東西南北に向けていたりするのも、きっとこうした想いからなのだろう。
* * *
恒星の話のついでに惑星と占星術についても触れてみよう。
恒星は1年後、必ず同じ場所に戻ってくる。
というより、同じ時刻に同じ場所に戻ってくるまでの期間を1年という。
夜空の星は99.9%これと同じ動きをするが、同じ場所に戻ってこない星がほんの10前後存在する。
たとえば火星。
同じ時刻に恒星を見ると、毎日1度ずつ西へ動いて見える。
ところが火星は東に動くこともあれば(順行)、西に動くこともあるし(逆行)、留まっていることもある(留)。
恒星は南や北に動くことはないのに火星は南北にもズレるし、1年後に同じ場所に戻ってくることもない。
おまけに明るくなったり暗くなったりするし、望遠鏡で観察すると大きくなったり小さくなったりを繰り返している。
水星や金星に至っては月のように満ち欠けさえする。
その動きは惑うばかり。
このような星々を恒星に対して「惑星」と呼ぶ。
惑星の動きは奇妙で古代から人々を悩ませてきた。
恒星から成る星座はズレることがないのに惑星同士の位置どりは複雑怪奇で、水・金・火・木・土・天・海・冥の8惑星が同じ位置どりをすることはまずない。
太陽系の寿命100億年の中で、たとえば今日この時間の8惑星の位置どりが再現されることはまずないといわれている。
恒星を司る法則は容易に発見できたが惑星の動きは神出鬼没でどうにも捉えきれない。
でも、考えてみれば人の人生も同じようなものだ。
人は赤ん坊から青年へと成長し、結婚して子供を残し、年をとって死んでいく。
人生は同じように運行しているのに一人ひとり違う個性を持ち、異なる人生をたどる。
どんなに同じように見えても同じ人はひとりとして存在しない。
ぼくの喜びはぼくだけのものであり、あなたの痛みはあなた以外に感じとることができない。
ありふれたもののように見えるのに、けっして他にない唯一性がある。
だから古代の人々は動植物の生活が恒星の動きと関係しているように人間の秘密を解き明かす鍵が惑星の動きにあるのではないかと考えて、そこからなんとか法則性を見出そうとした。
こうして発達したのが占星術だ。
また、惑星は地動説を生み出すきっかけにもなった。
地球の周りを火星が動いていると考えると、火星は順行したり逆行したり留まったりしなければならない。
これを天動説で説明するためには非常に複雑なモデルを想定しなければならなかった。
解説は以下の動画に任せよう。
プトレマイオスの太陽系モデルだ。
ところが、地動説だとこれをきわめてシンプルに説明できる。
科学はよりシンプルな仮説を正しいと考える。
それが真実か否かは関係ないし、科学はそれを検証する手段を持たない。
というわけで、現在では地動説が一般に使用されている。
* * *
恒星・惑星について語ったのであれば衛星を仲間はずれにするわけにはいかない。
太陽のように自ら光り輝いている星を「恒星」、恒星の周りを回る星を「惑星」、惑星の周りを回る星を「衛星」という。
肉眼で見える衛星には木星の4大衛星や一部の人工衛星が挙げられるが、圧倒的な存在感を持つのはなんといっても月だ。
月の歩みもきわめて規則的だ。
真っ黒な新月は15日かけて少しずつ明るさを増し、15日目に満月となる。
そしてその満月はやはり15日かけて少しずつ明るさを減じ、15日目に新月となる。
三日月というのは新月からはじまって3日目の月を示し、満月は15日目の月だから十五夜という。
この約30日、より正確には29.53日のサイクルに何か大きな不思議があるのではないかと考えて、「ひと月=30日」という概念が生まれる。
太陰暦だ。
月は明るくなったり暗くなったりすると同時に、少しずつ昇る時間と沈む時間をずらしていく。
新月はだいたい午前6時頃に東の空を昇りはじめ、午後6時頃に西の空に沈む。
月の出・月の入りは毎日約50分ずつずれていき、約15日で12時間ほど遅れてしまう。
結果、満月はだいたい午後6時頃に東の空を昇りはじめ、午前6時頃に西の空に沈む。
そして月の歩みは海の満ち引きと同期する。
毎日2度ずつある満潮と干潮も約50分ずつ遅れていき、およそ15日後におおよそ元の時間に戻る。
月の位置とその地域の潮位はほぼ一致するため、月の位置を見れば潮位がわかる。
特に新月と満月になるともっとも干満の差が大きくなる。
これを大潮という。
サンゴやウミガメは大潮に合わせて卵を産むが、この時期に産卵や脱皮を行う生物は少なくない。
月の歩みが大地と生命に影響するこの不思議!
* * *
星々と大地と方角・季節はこのように世界の謎と密接に関係している。
そしてそれらの恵みや災いによって生命は笑いもすれば泣きもする。
なぜぼくたちは生きているのか?
ぼくたちの生きているこの世界とはなんなのか?
そしてぼくとは何者なのか?
古代遺跡や宗教建造物には必ずこのような素朴な想いが宿っている。
小さな頃から星を眺めてきたぼくにとって、古代遺跡や宗教建造物の神秘性は少しもオカルト的な怪談ではない。
それは全人類に共通するとても素朴な想い。
神秘に対する畏敬と感謝の気持ちの表れなのだ。
だからぼくはいまでも時々星や月を眺めて、星々と大地の神秘に触れる。
同時に、時を超え空間を越えて古代遺跡や宗教建造物を造った人々と素朴な気持ちを分かち合う。
天・地・人と一体化する。
乾杯!
星々に、大地に、そして人類に。