世界遺産と建築25 中国の建築2:仏教建築
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
■電子書籍『世界遺産で学ぶ世界の建築 ~海外旅行から世界遺産学習まで~』
1.古代、ギリシア・ローマ、中世編 2.近世、近代、現代編
3.イスラム教、ヒンドゥー教編 4.仏教、中国、日本編
詳細は "shop" をご参照ください。
第25回は中国の仏教建築を紹介します。
* * *
<中国の仏教建築)>
■仏教石窟寺院1.仏教の伝来
1~3世紀、インド北部~中央アジアを支配していたクシャーナ朝と中国の後漢がタリム盆地の西で国境を接するようになりました。
クシャーナ朝は大乗仏教を奉じていたことから仏教(北伝仏教)が中国に伝えられました。
といっても漢は儒教を保護していたので中国内部に広がることはなく、中国北部や西部の遊牧民族に伝わるに留まりました。
この時代のシルクロード仏教建築の中心は石窟寺院でした。
現在のアフガニスタンに位置するバーミヤンの石窟群①では1世紀ほどから開窟がはじまり、イスラム化する13世紀ほどまでの間に1,000以上の石窟が開掘され、ギリシア、ペルシア、アラブ、インドの芸術文化の影響を受けながらガンダーラ美術の拠点のひとつとして発達しました。
3世紀には新疆ウイグル地区のキジル石窟②、4世紀には敦煌の莫高窟③の開窟がはじまりました。
特に莫高窟は366年に楽尊が切り拓いて以来、13世紀の元代まで約1,000年にわたって使用され、500弱の石窟が建造されました。
※①世界遺産「バーミヤン渓谷の文化的景観と考古遺跡群( アフガニスタン)」
②世界遺産「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網(カザフスタン/キルギス/中国共通)」
③世界遺産「莫高窟(中国)」
[関連記事]
■仏教石窟寺院2.仏教の普及
中国では2世紀の後漢末から『三国志』の時代を含む魏晋南北朝時代と呼ばれる群雄割拠の時代を迎えます。
中国北方のさまざまな騎馬民族が中国内部に進出しましたが、その中で特に力をつけたのが北魏です。
北魏は4世紀に遊牧民族の一派である鮮卑が建てた国で、太武帝が北部を統一すると道教を奉じ、まもなく仏教に転じて中国国内に仏教文化を持ち込みました。
北魏が築いた石窟が雲崗石窟①と龍門石窟②です。
当初は密教色・ガンダーラ色の強い派手なものでしたが、次第に中国風の落ち着いたものに変化していきました。
なかでも最高傑作とされるのが7世紀、唐代に建立された龍門石窟の奉先寺洞です。
この頃、五台山③や峨眉山④、九華山、普陀山といった仏教四大名山も整備されています。
※①世界遺産「雲崗石窟(中国)」
②世界遺産「龍門石窟(中国)」
③世界遺産「五台山(中国)」
④世界遺産「峨眉山と楽山大仏(中国)」
[関連記事]
■古代中国の塔堂伽藍
中国最古の仏教寺院は後漢の時代に建てられた洛陽の白馬寺とされ、1世紀の建造といわれます。
この時代にいくつかの寺院が建てられたようですが文献でしか残っていないため、実際にどのような建物だったのかわかっていません。
魏晋南北朝時代からさまざまな石窟寺院が開窟されたことは先述しましたが、北朝の洛陽や南朝の建康(現・南京)といった都市ではお堂を持つ寺院も建立されていました。
一例が洛陽の永寧寺です。
永寧寺は塔と本堂(金堂)を中心とした「塔堂伽藍」で、「門-塔-本堂-僧院」が一直線に並んでいたといわれます。
ストゥーパ(ブッダの遺灰である仏舎利を収めた供養塔)にあたるのが層塔で、仏像を収める本堂、経典を学んだり説法を行う講堂(法堂)や僧が生活を行う僧院が設置され、この頃に塔堂を中心とした仏教伽藍(がらん。寺院のエリア)の基本的な形が確立されたようです。
魏晋南北朝の混乱を収めて久々に中国を統一した隋(581~618年)の文帝(楊堅)は大興(長安)を首都に定めて都市の整備を行いました。
このとき国寺として大興の中心に建てたのが大興善寺で、インドのアショーカ王が各地にストゥーパを立てたことを参考に、全土100か所以上に仁寿舎利塔を建てて祀りました。
続く唐(618~907年)も道教とともに仏教を保護しました。
この時期に玄奘(げんしょう)や義浄(ぎじょう)がもたらした仏典も大きな影響を与えました。
玄奘はシルクロード、義浄は海のシルクロードを通ってインドに渡り、多くの仏典を持ち帰りました。
こうした仏典によって仏教が整理され、禅宗・天台宗・華厳宗・浄土教などの宗派が確立されました。
現存する中国最古の木造建築は唐代のもので、五台山※の南禅寺・大殿とされます。
782年の建立で大きな堂宇ではありませんが、日本の木造建築と似ておりその影響が確認できます。
9世紀に完成した五台山の佛光寺・大殿なども最古級の木造建築です。
※世界遺産「五台山(中国)」
■ストゥーパの展開1.層塔(楼閣式、密檐式)
中国の寺院で大きな変貌を遂げるのがストゥーパです。
ストゥーパは紀元前の時代から建設されていたようですが、現存しているものはありません。
もともとインド・サーンチー①のストゥーパのように半球形の覆鉢(ふくばち。伏鉢)構造でしたが、中国で次第に塔に置き換わっていったようです。
魏晋南北朝の時代に寺院とともに数多くの仏塔が建設されました。
代表的な塔が520年に建設がはじまった嵩岳寺②の嵩岳寺塔で、十二角形15層、高さ約40mを誇り、レンガを積み上げた組積造のレンガ塔となっています。
頂上に相輪(そうりん)を頂いていますが、この相輪がストゥーパにあたるとも、塔全体がストゥーパに相当するともいわれます。
嵩岳寺塔は「密檐(みつえん)式」といって15の層が密に連なっていますが、このような密檐式レンガ塔はこの時代の仏塔によく見られます。
一方、7世紀半ば建設された長安の大雁塔③は同じレンガ造ですが「楼閣(ろうかく)式」と呼ばれます。
「楼」は見晴らしを確保するために建設された高層建築で、人が立ち入れるように各層の高さも幅も大きくなっています。
中国の城郭都市の城門には城楼と呼ばれる楼閣が設置されており、少なくとも漢代にはこうした重厚な楼閣建築が存在していました。
小雁塔③も似た形をしていますが、こちらは軒が連なっているため密檐式とされることが多くなっています。
魏晋南北朝・随・唐の時代にも木造塔は建てられていましたが、再建・復元されたものを除いて現存しません。
現存する中国最古の木造塔といわれるのは遼代の1056年に建造された仏宮寺の応県木塔(釈迦塔)で、八角形・外観5層・高さ67mの楼閣式です。
中国ではこのように多くの層を持つ層塔(多層塔)がストゥーパとして発達し、本堂・講堂とともに塔堂伽藍の重要な要素となりました。
※①世界遺産「サーンチーの仏教建造物群(インド)」
②世界遺産「河南登封の文化財“天地之中”(中国)」
③世界遺産「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網(カザフスタン/キルギス/中国共通)」
④世界遺産「杭州西湖の文化的景観(中国)」
■ストゥーパの展開2.塔のバリエーション(覆鉢式、宝塔、華塔、亭閣式塔、ラマ塔、金剛宝座式塔)
中国では層塔だけでなく、さまざまなタイプのストゥーパが建設されました。
主としてシルクロードから入ってきたインド古来の形式を持つストゥーパを「覆鉢式」といいます。
石や土・レンガを積み上げた半球形や円筒形の覆鉢が特徴で、頂上に相輪を頂いています。
サーンチーのストゥーパ①に似た形状になっています。
覆鉢の上に屋根をつけたものを「宝塔」、多層屋根の場合は「多宝塔」といわれます。
宝塔や多宝塔は高野山金剛峯寺②の根本大塔のように、日本の密教系の寺院でよく見られます。
チベット経由で中国に入ってきたストゥーパを「ラマ塔」といいます。
モンゴル帝国が中国に入って打ち立てた元朝(1271~1635年)は道教の全真教を奉じていましたが、フビライはチベット仏教の保護に転じたため、チベット仏教の寺院やストゥーパである「チョルテン」が輸入されました。
また、インドのブッダガヤに建てられた大菩薩寺=マハーボディ③をモデルとしたストゥーパは「金剛宝座式」と呼ばれます。
マハーボディはヒンドゥー教建築の影響を受けてシカラと呼ばれる砲弾形の塔身を持つため、金剛宝座式塔も似たような形になっています。
※①世界遺産「サーンチーの仏教建造物群(インド)」
②世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(日本)」
③世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺(インド)」
* * *
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」、第26回は中国の道教と儒教の建築を紹介します。