世界遺産と建築19 ヒンドゥー教建築1:インド編
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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3.イスラム教、ヒンドゥー教編 4.仏教、中国、日本編
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第19回はインドのヒンドゥー教建築を紹介します。
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<ヒンドゥー教の基礎知識>
■ヒンドゥー教の成立
アーリア人がもたらし、後のインドの宗教・思想・哲学に大きな影響を与えたのが「ヴェーダ」です。
「知識」を表すヴェーダはその名の通り膨大な哲学・科学・芸術・宗教体系を持ち、神々への信仰や祭祀から音楽・文学まであらゆる分野の文化を伝えました。
ヴェーダが広がっていく紀元前1500~前500年頃をヴェーダ時代といいます。
ヴェーダを聖典とする「バラモン教」もこの時代に誕生しました。
バラモン教は司祭であるバラモンの祭祀を重視し、バラモンが社会の要職を支配しました。
「バラモン>クシャトリア(貴族・戦士)>ヴァイシャ(農工商人)>シュードラ(奴隷)」の4階級と、それらの階級に入れないアウト・カーストの4+1のヴァルナ(色。階級)に分けて身分を世襲させ(ヴァルナ制)、後の時代には職業=ジャーティまで固定化されました(カースト制)。
ヴェーダ時代末期、紀元前6世紀頃、身分による差別への不満からバラモンの権威や祭祀、ヴァルナ制を否定した宗教が登場します。
そのひとつがヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)のジャイナ教であり、ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)の仏教です。
こうして宗教は多様化していきますが、庶民の間ではそれほど宗教の違いに意味はありませんでした。
人々は地域の神々や民間信仰を信じつつ、新しい宗教が流行すればそれらの神々を柔軟に吸収していきました。
こうした雑多な信仰をまとめて誕生するのがヒンドゥー教です。
もともとヒンドゥー教は宗教といっても明確な定義があったわけではありません。
4~6世紀のグプタ朝の時代、『マヌ法典』が成立してヴァルナ制が強化され、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』といった叙事詩が広まってバラモン教を中心とした神々の物語が体系化されました。
こうした物語が一般に広がることで、いつしかヒンドゥー教が成立していました。
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<ヒンドゥー教寺院の進化:石窟→石彫→石造>
■ヒンドゥー教石窟寺院
原始仏教や原始ジャイナ教は宗教というより哲学に近いものでした。
重要なのは神仏に祈ることではなく修行だったので、神殿や神像を必要としませんでした。
その代わり、秘境の断崖に穴を掘って石窟を築き、その中で修行を行いました。
これに対してヒンドゥー教は母体としてバラモン教があったため、最初から宗教色の強いものでした。
ヒンドゥー教窟も当初は僧院がメインだったようですが、やがて僧院よりも神を崇める神殿が重要視されました。
このため本尊(その寺院の中心的な神像)を安置する場所として内陣の至聖所「ガルバグリハ」が発達し、同時に神々を礼拝するための外陣(げじん)として礼拝室「マンダパ」が確立されていきました。
エローラ石窟群※は「石窟寺院」の進化をよく物語っています。
岩山の中腹2.5kmにわたって34の石窟が穿たれており、おおよそ時代順に第1~12窟が仏教窟、第13~29窟がヒンドゥー教窟、そして第30~34窟がジャイナ教窟となっています。
初期の仏教窟は非常にシンプルで仏像も見られませんが、後期の仏教窟には仏像やレリーフが祀られています。
これに対してヒンドゥー教窟はおびただしい数の神像やレリーフで覆われています。
後期の仏教窟にはヒンドゥー教の神々さえ見られますが、これは仏教がヒンドゥー教を採り入れて密教化したことを示しています。
ジャイナ教窟はヒンドゥー教窟と区別さえ難しくなっています。
こうして両宗教は次第にヒンドゥー教に同化・吸収され、衰退していきます。
※世界遺産「エローラ石窟群(インド)」
■ヒンドゥー教石彫寺院
石窟は修業の場として必要なものでしたが、神殿であれば外部から隔絶された薄暗い空間である必要はなく、むしろ参拝者を集めるために外部に露出した方が都合がいいに違いありません。
こうしてヒンドゥー教寺院は山の中の石窟寺院から岩山を削って寺院の形に彫り上げた「石彫寺院」へと進化します。
ヒンドゥー教最高傑作といわれる石彫寺院がエローラ①第16窟のカイラーサナータ寺院です。
底面85m×50m・高さ32mを誇る世界最大の彫刻で、内装・外装問わずおびただしい数の石像やレリーフで装飾されています。
ヒマラヤの聖山カイラス(カイラーサ山)に住む世界の王(ナータ)=シヴァ神を祀るために建立されたもので、全体はカイラス山を模した山型、本尊にはシヴァ・リンガとヨーニが据えられています(後述)。
■ヒンドゥー教石造寺院
石窟寺院や石彫寺院は岩山の近くにしか造れないし、山を丸々彫り込むのはたいへんな年月と労力を必要とします。
そこで、切り出した切石やレンガを積み上げた「石造寺院」が発達します。
南インド・パッラヴァ朝の宗教都市マハーバリプラム※では石窟寺院→石彫寺院→石造寺院の進化の様子を見ることができます。
7世紀当初の石窟寺院は非常に簡素で、次第に石像やレリーフが増え、やがて岩を彫り込んだ「ラタ」と呼ばれる石彫寺院に進化します。
8世紀以降は石造寺院が一般的になり、海岸寺院のように切石を積み上げた組積造(そせきぞう。石やレンガなどの素材を積み上げた構造)で壁構造(壁で屋根を支え空間を確保する構造)の寺院が普及します。
ラタはガルバグリハのみの構造ですが、海岸寺院はガルバグリハにマンダパを備えた形で、屋根はピラミッド形の山型、頂部に半球形の冠石を頂いており、後述するドラヴィダ様式の基本形が完成しています。
※世界遺産「マハーバリプラムの建造物群(インド)」
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<ヒンドゥー教寺院の建築様式>
■南方型・ドラヴィダ様式
ヒンドゥー教建築は石造建築として発達しますが、北部と南部で少々意匠が異なっています。
主にドラヴィダ系の民族が多用したのが「ドラヴィダ様式」で、7世紀以降、南インドの主流な寺院建築として発達しました。
この様式は先述したマハーバリプラム①に見られるようなラタと呼ばれる石彫寺院をベースとしており、至聖所ガルバグリハを聖域とし、その上にピラミッド形の塔身を築いて本堂「ヴィマーナ」としています。
ヴィマーナはもともと天に浮遊する伝説の都市の名前です。
頂部には半球や多角形・半筒状の「シカラ(冠石)」を置き、その上に水瓶を模した「カラシャ(頂華)」が載っています。
ピラミッド部分が天地を分ける聖山で、シカラがその境界の象徴、カラシャは天界にあるという神酒ソーマを注ぐ瓶といわれます。
■北方型・ナーガラ様式/インド・アーリア様式
インド北部を中心に、インド・アーリア系諸民族のヒンドゥー教建築様式を「ナーガラ様式」あるいは「インド・アーリア様式」といいます。
最大の特徴は砲弾形の曲線を描く塔身で、塔身全体で「シカラ」と呼ばれます。
ヴィマーナを構成する大シカラの周囲にはウルシリンガと呼ばれる小シカラが据えられ、シカラ群が山脈のように連なっています。
シカラの上には円盤状の「アーマラカ」が備えられ、さらにその上には水瓶の「カラシャ(頂華)」を頂いています。
ピラミッド形と砲弾形の違いはあるものの、聖山を模していたり、頂上にカラシャを掲げている点はドラヴィダ様式と同様です。
ナーガラ様式でも至聖所ガルバグリハと礼拝室マンダパの構造を基本としますが、ガルバグリハに複数のマンダパを隣接させる構造が好まれました。
カジュラホ※のカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院やラクシュマナ寺院では「ガルバグリハ-アンタラーラ(前室)-マハ・マンダパ(大礼拝室)-マンダパ(礼拝室)-アルダ・マンダパ(前礼拝室)」が一直線上に並んでおり、廊下状のアンタラーラを除くそれぞれが塔を頂く多塔式となっています。
※世界遺産「カジュラホの建造物群(インド)」
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<ヒンドゥー教建築の諸要素>
■リンガ、ヨーニ
ヒンドゥー教寺院でしばしば本尊として祀られているのが「リンガ(シヴァ・リンガ)」です。
リンガは円柱状の物体で、最高神シヴァの象徴とされます。
円形の土台の上に据えられていることが多く、この土台は「ヨーニ」と呼ばれます。
リンガは神そのものを、ヨーニは神の威光であるシャクティを示すといわれます。
また、シャクティは神の妃ともされ、シヴァの妃であるパールバティーやその化神(けしん。神が別の神の姿で現れること)であるサティ、ドゥルガー、カーリーの象徴でもあります。
また、リンガは男性器、ヨーニは女性器を模したものでもあります。
女性器の中からそそり立つ男性器を描くことで、この世界が生命力あふれる神の胎内にあり、すべてが神から生まれていることを表現しています。
■ラタ、チャイティヤ・アーチ
「ラタ」はヴェーダ時代から存在する神々の乗り物で、日本でいう山車(だし)のこと。
聖山を模して山型で、祭日には車輪つきの山車に乗せられて町を練り歩いたといいます。
もともと木製でしたが、7~8世紀には石の彫刻として制作されるようになり、やがて石彫寺院になったようです。
マハーバリプラム①のラタはこの流れをくんで山車形です。
ダルマラジャ・ラタのように山型の屋根はカイラス山などの聖山を模したもので、ビーマ・ラタのような半筒形の屋根は石窟の形を持ち込んだものと考えられています。
仏教やヒンドゥー教建築において半円アーチや馬蹄形アーチ、半筒状のヴォールトは石窟寺院の入口や内部を模したもので「チャイティヤ・アーチ」と呼ばれます。
ラタの最高傑作といわれるのが13世紀に築かれたコナーラクの太陽神寺院②です。
太陽神スーリヤの馬車を模した寺院で、車輪の石造彫刻だけで直径3mを誇り、この巨大な車輪が12対24本も彫り込まれています。
※①世界遺産「マハーバリプラムの建造物群(インド)」
②世界遺産「コナーラクの太陽神寺院(インド)」
■多堂式、パンチャヤタナ、ゴープラム、ヴァーハナ堂
ヒンドゥー教寺院にはドーム建築がなかったため内部空間を大きくすることはできませんでした。
その代わり、さまざまな神を祀った祠堂や、僧院・中庭(プラカラ)・塔門を増やして伽藍(がらん。寺院のエリア)を拡大していきました。
基本となるのは本堂であるヴィマーナの四方に祠堂を置く五堂式(五堂伽藍)で、これを「パンチャヤタナ」といいます。
伽藍は四角形で、周囲はローマ建築の列柱廊庭園ペリスタイルを思わせる列柱廊で囲われています。
列柱廊には1~4基の塔門が備えられており、ドラヴィダ様式ではこれを「ゴープラム」と呼びます。
時代を下るにしたがって本堂ヴィマーナのピラミッドは小さくなりますが、その代わり寺院のエントランスとなるゴープラムが巨大化していきます。
写真のハンピのヴィルパークシャ寺院①ではヴィマーナよりゴープラムの方がはるかに大きく、高さ52mに及びます。
タンジャーヴールのブリハディーシュヴァラ寺院②ではシヴァを祀るヴィマーナの前に牛神の像を安置したナンディー堂が置かれています。
ナンディーはシヴァの乗り物(ヴァーハナ)となる雄牛の神で、このように本堂の前にはしばしば本尊の乗り物を祀る「ヴァーハナ堂」が設置されました。
シヴァに対してはナンディー堂、フラフマーに対しては神馬ハンサを祀ったハンサ堂、ヴィシュヌの場合は怪鳥ガルーダを祀ったガルーダ堂が対応します。
上のハンピのガルーダ堂のように、乗り物なので車輪をつけて山車とし、ラタとする場合もあります。
※①世界遺産「ハンピの建造物群(インド)」
②世界遺産「大チョーラ朝寺院群(インド)」
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シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」、第20回は東南アジアのヒンドゥー教建築を紹介します。