世界遺産と建築15 モダニズム建築
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」では世界遺産を通して世界の建築の基礎知識を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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第15回はモダニズム建築の基礎知識を紹介します。
モダニズム建築の特徴の一例は以下です。
- 鉄骨、鉄筋、コンクリート、ガラスを多用している
- 壁はカーテン・ウォールで、平面も立面も自由にデザインされている
- 柱とスラブで高層建築を実現している
プレ・モダニズム建築とポストモダン建築も簡単に紹介します。
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<プレ・モダニズム建築>
■鉄骨造
古代から近世まで、西洋石造建築の要諦は「屋根や天井の重みをどう処理するか」「壁に閉ざされた空間をいかに明るくするか」にありました。
そしてギリシア・ローマ建築から近代の建築まで、アーチ構造(アーチ、ヴォールト、ドーム)を利用して屋根を架け、柱を多用することで壁を減らすというアプローチで進化してきました。
しかし、産業革命を通じて高品質の鉄が大量生産されるようになると、これを根本的に変えてしまいます。
その記念碑的な構築物が1779年に完成したイギリスのアイアンブリッジ※です。
エイブラハム・ダービーはコークス(蒸し焼きした石炭)を使って鉄鉱石から炭素を除く技術を確立し、これにより鋳鉄(ちゅうてつ)と呼ばれる強力な鉄を大量に生産することが可能になりました。
アイアンブリッジは史上初の鉄骨造建築であり、鋳鉄による初の鉄橋です。
「鉄骨造(鉄骨構造)」とは、鉄材や鋼材(鋼は焼き鍛えた炭素濃度の低い強力な鉄、あるいは他の金属を加えた合金鋼)でフレームを作る骨組構造のこと。
鉄骨造では細長い鉄材や鋼材を組み合わせればよく、小さな素材を積み上げてアーチを築くような面倒な作業は必要ありません。
骨組であるため全体として非常に軽く、隙間が多いため光や風もよく通します。
強度についても鋳鉄・錬鉄・鋼鉄と進化し、またアーチ構造やトラス構造を駆使することで石造をはるかに凌駕しました。
※世界遺産「アイアンブリッジ峡谷(イギリス)」
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■鉄とガラスの建築
鉄骨造や後述する鉄筋コンクリート造のような強力な柱梁構造(架構式構造)が登場すると、建物の荷重は柱や梁(はり。垂直に立てる柱に対し、柱の上に水平に寝かせる横架材)だけで支えられるようになり、壁は完全に自由なスペースとなりました。
このように荷重のかからない壁を「カーテン・ウォール(帳壁)」といいます。
鉄骨造や鉄筋コンクリート造において、カーテン・ウォールには主としてガラスが採用されました。
外界との障壁となりつつ、色や形・大きさで光の量を調整できるガラスはカーテン・ウォールとして理想的で、19世紀に大量生産が実現すると建築素材として一気に普及しました。
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<モダニズム建築>
■鉄筋コンクリート造、スラブ、ドミノ・システム
19世紀後半、庭師ジョゼフ・モニエは細長い鉄筋の周囲をモルタル(石灰石や軽石・粘土などを粉状に砕いたセメントに水と砂を加えて練り混ぜたもの)で覆った植木鉢を発明します。
「鉄筋コンクリート」の誕生です。
鉄筋コンクリートは鉄筋を組んでコンクリートで覆った建材です。
引っ張りに強い鉄と圧縮に強いコンクリートを組み合わせることであらゆる方向からの圧力に対してきわめて高い強度を発揮します。
しかも鉄筋の組み方やコンクリートの覆い方でいくらでも形を変えることができ、防水性や遮音性にもすぐれ、貴重な鉄を多用しすぎることもないという理想的な建材で、またたく間に普及しました。
建築に与える影響は絶大で、特に石造建築最大の課題だった屋根と壁は不要になりました。
鉄筋コンクリートは軽いのでこれを板のように使って天井を組めばそのまま屋根になり、同時に床にもなりました。
こうした板構造を「スラブ」といいます。
スラブを支えるための壁も不要で、荷重は鉄筋コンクリートの柱だけで支えられるようになり、壁は負荷のかからないカーテン・ウォールとなりました。
柱とスラブを重ねれば何階建てにもできるため高さの制約はなくなり、屋根が必要ないため横の制約もなくなりました。
コンクリート専門の建築家としていち早くその名を轟かせたのが「コンクリート建築の父」「コンクリートの詩人」と謳われるオーギュスト・ペレです。
ペレは鉄筋コンクリートの柱とスラブ、あるいは柱と梁とスラブからなる基本構造を積み重ねる「ポト・ダル(柱スラブ)」「ポト・ポウト・ダル(柱梁スラブ)」システムを提唱しました。
ペレから学んだル・コルビュジエは鉄筋コンクリートの柱とスラブ、階段からなる構造をドミノのように積み重ねていくシステムを「ドミノ・システム」と呼びました。
建築家たちは鉄筋コンクリートによって形と大きさに関してほぼ完全な自由を手にしたのです。
■バウハウス
1919年、ドイツのワイマールに絵画・彫刻・写真・工芸・建築などを総合的に教える国立の美術工芸学校・バウハウスが創設されます。
初代校長ヴァルター・グロピウスは総合芸術を提唱したうえで、すべての芸術の基礎に建築を置き、建築では無駄をそぎ落として機能性を追究する機能主義を掲げました。
その美しい機能美はグロピウスが設計したバウハウス・デッサウ校①やファグスの靴型工場②によく表れています。
バウハウスの第3代校長に就いたのがミース・ファン・デル・ローエです。
ナチスの台頭によりまもなく閉校を余儀なくされますが、バウハウスの理念はかえってドイツを離れて世界中に拡散しました。
ミース本人はアメリカに亡命し、鉄骨造による自由な空間・自由な設計を提唱しました。
明るさと機能性を実現したバウハウスのデザイン・アプローチは重苦しい印象を持つ工場にも採用されました。
一例がファグス靴型工場②やファン・ネレ工場③で、工場のイメージを一新しました。
※①世界遺産「ワイマール、デッサウ及びベルナウのバウハウスとその関連遺産群(ドイツ)」
②世界遺産「アルフェルトのファグス工場(ドイツ)」
③世界遺産「ファン・ネレ工場(オランダ)」
■近代建築の5原則
モダニズム建築の要諦は、ル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」でほとんど語られています。
- ピロティ:柱以外の要素を排除した1階の開放空間を示します。建物は土地を占有してしまうものですが、1階をピロティとして開放することで公共スペースとしても使用できるようになりました
- 屋上庭園:産業革命以降、緑は著しく減り、都市で公園を確保することは難しくなりました。しかし、それぞれの建物が屋上庭園を確保すれば、建物を増やしても緑の面積はあまり減りません
- 自由な平面:建物は少ない柱で支えることができるので壁は取り去られ、平面を自由に区切ることができるようになりました
- 水平連続窓:壁が必要ないので全面にガラス窓を並べ、十分な採光と眺望を実現しました
- 自由な立面(ファサード):壁や屋根といった構造的な制約から解放され、柱を建物の内部に入れ込むことで立面は絵を描くように自由になりました
近代建築の5原則はデザイン性や機能性・居住性や健康にこだわるだけでなく、ピロティと屋上庭園に見られるように都市全体の福祉や快適性をも追究したものとなっています。
■アール・デコ
パリでは装飾過多に陥ったアール・ヌーヴォー(パリ1900年式)に対する反動から、装飾を極力廃したアール・デコ(パリ1925年式)が生まれました。
アール・ヌーヴォーの曲線・曲面は鉄やガラス、コンクリートといった素材で可能になったものですが、アール・デコの直線は素材的な制約が解き放たれた中であえてシンプルで無機的な美を追究したものでした。
機能美にあふれながらもパターン化が可能で大量生産にも向くということで、特にニューヨークでヒットしてあらゆるデザインに採用されました。
ニューヨーク・マンハッタンの摩天楼群が有名です。
アール・デコは1929年の世界恐慌とともに去りますが、そのシンプルな思想はインターナショナル・スタイル(国際様式)として普及していきます。
■インターナショナル・スタイル
バウハウスが発展させた鉄骨造や鉄筋コンクリート造のモダニズム建築は強度・耐久性・耐震性・防水性・機密性・遮音性にすぐれ、文化や気候の差異を軽々と乗り越えて「インターナショナル・スタイル(国際様式)」として各地に普及しました。
一例がイスラエル・テルアビブのホワイト・シティ①です。
砂漠の中に数千もの高層住宅を並べた機能的な計画都市で、屋上庭園やピロティによって通気性を確保し、強い日差しを弾き返すために建物は白く塗装されました。
モダニズム建築は平面や立面が自由に展開できるため、各地の文化を取り入れることも難しくありませんでした。
メキシコシティのメキシコ国立自治大学②ではキャンパスの壁面にダビド・アルファロ・シケイロスやフアン・オゴルマンの壁画を配し、アステカや植民地時代、現代メキシコの文化を表現しています。
※①世界遺産「テルアビブのホワイト・シティ-近代化運動(イスラエル)」
②世界遺産「メキシコ国立自治大学[UNAM]の中央大学都市キャンパス(メキシコ)」
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<ポストモダン建築/ポスト・モダニズム建築>
■モダニズムからポストモダンへ
モダニズムは合理性や機能性を追求した思想ですが、世の中には合理や機能では解決できない問題もたくさん存在します。
哲学や科学において、全体は細部の集合であり、細部を観察すれば全体が理解できるという古典的な考え方(還元主義)に限界が訪れ、個人の生活においても無駄のない規則正しく健康的な生活が必ずしも幸せにはつながらないことが実感されるようになりました。
こうした合理性や機能性からの逸脱、あるいは否定によって生まれたスタイルが「ポストモダン(ポスト・モダニズム)」です。
といってもポストモダンには定まったスタイルがあるわけではなく(それがポストモダンです)、モダニズムに近いものからあえて古典的に仕上げたものまで多彩です。
近代建築の5原則を提唱したル・コルビュジエも晩年はモダニズムを脱却した作品を制作しています。
一例がロンシャン礼拝堂(ノートル=ダム・デュ・オー礼拝堂)①で、湾曲した分厚い屋根と厚い壁、ランダムに開いた大きさも形も異なる窓、それでいて曲がりのない垂直線と、捉え所のない造形です。
科学技術の進歩によって生まれた最新の建材とその特性を活かして生まれたハイテク建築もしばしばポストモダンに含まれます。
オーストリア・グラーツ②の美術館・クンストハウスは軟体動物のような造形で、アクリル板の下に約600本の蛍光管を配してCG画像を浮き出させています。
※①世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献(スイス/ドイツ/フランス/ベルギー/インド/日本/アルゼンチン共通)」
②世界遺産「グラーツ市-歴史地区とエッゲンベルグ城(オーストリア)」資産内
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シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の建築」、第16回以降は非公開です。
電子書籍にてご参照ください。
■世界遺産と建築16 イスラム建築1:イスラム教とモスクの基礎知識(以下非公開。電子書籍にてご参照を)