哲学的探究12.思考実験2 ~水槽脳仮説~
■水槽脳仮説
「水槽脳仮説」とは、おおよそ以下のような仮説だ。
- 今、ぼくが見ているこの世界は、水槽の中で培養されているぼくの脳が創り出している幻想である――
あなたは今、PCやスマホの画面を見ている。
あなたが見ているPCやスマホの像は、PCやスマホから送られてきた光を目の網膜が捉え、その情報を脳に送り、脳が情報を分析・判断して創り上げたPC・スマホ像だ。
それなら実際にPCやスマホがなくても、その情報を脳に送って脳を同じ状態にしてやれば、あなたはPCやスマホを見ていることになる。
水槽の中で培養された脳に電極を刺して情報を送り、現在のあなたの脳と同じ状態にする。
そうすれば、水槽の脳は今あなたが感じ・考えていることとまったく同じことを感じ・考えるはずだ。
それならこうも言えるのではないか?
実はぼくたちが存在していると思っているこの世界は、ぼくたちの脳が創り出した幻であって、実在するものではないのではないか?
* * *
■水槽脳仮説の矛盾
実は、水槽脳仮説のように「この世界のすべては脳が創り出した幻である」という唯脳論(脳一元論)的な仮説は容易に反証される。
やってみよう。
- 脳は絶対的なもので、人が考えたり感じたりする情報は脳が生み出した相対的なものである(a.脳=絶対)。
- 脳という概念は、脳を観察したり実験したり、あるいは脳についての学説を本で読んだり、脳について学校で教わったりして学んだもので、人が考えたり感じたりして生まれた概念だ。
- 人が考えたり感じたりする情報は相対的なものであるから、脳は相対的なものである(b.脳=相対)。
- aとbは矛盾する。無矛盾律より本命題は「偽」である。
観察結果である脳という概念を利用して、人が観察する前の状態を証明する。
このように、結論を先に置いてから証明しようとする誤りを「論点先取の虚偽」という。
このため水槽脳仮説は「ぼくは存在しない」という文章と同じように自己言及的なパラドックスに陥っている。
あるいはこのように考えることもできるだろう。
- レントゲンを見ると、ぼくには頭がついていて、脳が入っているのを観察することができる。
- その脳はぼくの身体の中にあるのであって、水槽の中に入っているのではない。
- ということは、ぼくの身体の中にある脳と、水槽の中の脳は別のものということになる。
こうした水槽脳の自己言及的パラドックスは、この世界の中にあるぼくの脳と、水槽がある世界の中で浮かんでいる脳というふたつの世界・ふたつの脳を想定していることに起因する。
「水槽がある世界」では浮かんでいる脳を観察している第三者まで想定してしまっている。
「世界は脳が創り出した幻」と言いながら、脳が創り出した世界の外側に幻ではない別の世界を想定してしまっているのだ。
ここに矛盾が生じている。
「すべてが幻である」と主張するのであれば、身体や脳といった発想や概念も幻だと言うべきだろう。
そして目覚めた後の「真実の世界」が存在するのであれば、その世界はこの世界の人の思考を完全に超えているわけだから3次元空間・4次元時空である必要もない。
真実の世界の自分に身体や脳がついている必要はまったくないのだ。
さらに、水槽脳が事実だとしても、今度は水槽脳のある世界がまた夢や幻である可能性が生じてしまう。
何度目覚めてもその世界が夢幻である可能性がついてまわり、問題は循環してまったく解決しない。
* * *
水槽脳仮説のこうした矛盾はひとつの世界・ひとつの脳とふたつの世界・ふたつの脳の混乱に起因する。
それならいっそ、ふたつの世界があることにしてしまったらどうだろう?
脳が創り出した「幻の世界」と、幻の世界を創っている「真実の世界」だ。
次回はこのアイデアに該当する「シミュレーション仮説」と「デーモン仮説」を考えてみたい。