哲学的探究8.空間とは何か? ~物質と空間~
この世界に「赤」や「丸」が存在しているわけではない。
「色」や「形」は「存在」ではなく、人の「表現形式」にすぎない。
目・耳・鼻・舌・皮膚の五官を通して得られたセンスデータの内容を、色という質感に空間を占めさせて形を作り上げ、3Dスクリーン上に投影しているのだ。
だから色や形からなる物質は確たる存在ではなく、写像であり、ルールにすぎない。
目・耳・鼻・舌・皮膚はもちろん、脳でさえ写像にすぎない。
ぼくらは世界から影響を受けて世界を創造し、その創造された世界の中に住んでいる。
客体でありかつ主体なのだ。
そしてそうやって表現された現象世界を観察してさまざまな物理法則を発見する。
現象は「振る舞い」であり、振る舞いは「存在しつづける」ことや「動く」こと、つまり必ず「空間」と「時間」を伴って現れる。
こうした前回までの結論を前に進めて、今回はまず空間について考えてみたい。
* * *
■次元とは何か?
空間を考える前に、「次元」の意味を押さえておこう。
この世界は3次元空間であると言われる。
物理学の世界では超弦理論の10次元宇宙論のように3次元より多くの次元を想定することもある。
「次元」とはいったいなんだろう?
1つの謎がある。
これを変数xで表す。
これが1次元だ。
幾何学で表現すれば1次元とはx軸、すなわち直線。
よくわからない互いに干渉しない2つの謎がある。
これを変数xとyで表す。
2次元だ。
x軸とy軸で表される空間、すなわち平面。
同様に3次元はx、y、zで示される立体空間だ。
ぼくらが生きるこの世界のあらゆる点は、どこかに原点oをとればそこから(x、y、z)の座標で表すことができる。
2点間の距離、いわゆる距離空間が3次元で示されることから「この世界は3次元空間である」と言われることになる。
しかし、現実には(x、y、z)の場所といっても、昨日のその場所と今日のその場所といった具合に、同じ座標であっても時間によってその点の情報内容は変わってしまう。
このため、この世界の在り方を表現するためにはもう1つ軸を増やす必要がある。
時間軸tだ。
この世界は「空間(距離空間)」については(x、y、z)の3次元、空間と時間を含めた「時空」については(x、y、z、t)の4次元で表現することができる。
このように、次元というのは相互に不干渉な変数の数を表現しているにすぎない。
x、y、z、tのような変数をあと6つ使って数式を作れば10次元の空間(関数空間)が表現できる。
n次元宇宙論はこうした数学的な結論を引き出してきたもので、物理学者が実際にn次元の宇宙をイメージして提唱しているわけではない。
計算上の問題にすぎないのだ。
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■この世界は3次元空間なのか?
ここにリンゴがある。
赤くて丸いリンゴという存在が実際にそこにあるわけではない。
光を視覚が捉え、そこで得られたデータを人の思考が統合し、3次元のスクリーンに投影したものが、ぼくたちが見ているリンゴの像だ。
3次元空間は人の表現形式であり、色や形は表現方法にすぎない。
そして色や形は「どのように空間を占めているのか」を示しており、空間の占め方は3つの次元の距離で、つまり3次元空間で表現される。
人は生活空間として3次元以外の距離空間を想像することができない。
たとえば、あなたは2次元空間や4次元空間に生きる自分の姿を想像できるだろうか?
想像してみよう。
ここに2次元生物がいる。
x軸とy軸で表現される平面上に生きる生物だ。
紙に描いた生物が動くことなら想像できる。
丸く円を描き、その中に内臓を描くイメージだ。
しかし、これは3次元空間から見た2次元生物の姿にすぎない。
2次元空間に生きる自分を想像するのであるから、その生物の視点になる必要がある。
厚みのない相手はどのように見えるのだろう?
直線?
空間に浮かぶ直線ならなんとか想像できる。
でも、直線だけを想像できるだろうか?
それも厚みがない直線を。
到底無理だろう。
では、4次元の距離空間は想像できるだろうか?
こちらについてはどうやって軸を増やせばいいのか見当さえつかない。
無理を前提に少し論を進めてみよう。
3次元空間から2次元生物を見ている様子を想像してほしい。
紙の上に描かれた2次元生物を眺めるイメージだ。
いま、2次元生物が虫垂炎を発症したので盲腸を切除しなければならない。
このようなとき、2次元生物は切開手術を行って盲腸を摘出しなければならないが、3次元空間に生きるぼくたちから見ると内臓は丸見えなので、切開せずにいきなり盲腸を摘出することができる。
もし4次元以上の空間(距離空間)が存在するのであれば、彼らはぼくたち3次元空間に住む人間を切開なしで手術することができるかもしれない。
別の次元というのは、他の次元に住む知的生命体にとってそれほど意味不明な空間だ。
このように。
人がいくら平面=2次元空間を想像しても必ず厚みが出るし、切開なしで内臓を取り出すことができるような4次元以上の空間を想像することもできないのである。
そしてそれはあまりに当然だ。
人の表現形式は3次元の距離空間で表されるのであって、2次元以下、4次元以上の距離空間は人とは関係がない。
それは「この世界は3次元空間である」ということを意味しない。
人は3次元のスクリーン上に色や形という形式で、つまり物質という現象として世界を投影する。
そういうことなのだ。
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■この世界は4次元時空なのか?
人の表現形式は距離空間としては3次元であると言える。
しかし、実は純粋な3次元空間を想像することもできない。
赤いリンゴを頭の中に思い描いても、浮かんでくるのは「存在しつづける赤いリンゴ」だ。
だから「ありつづけるリンゴ」や「落ちていくリンゴ」は想像できても、「時間のないリンゴ」は想像することができない。
人のイメージ、物質という現象には必ず時間の概念を伴っている。
人は3次元の距離空間に時間を加えた4次元時空の表現形式を持っている。
この世界が4次元時空であるのではなく、人が4次元時空を用いて世界を表現しているのだ。
しかし、現実の人の表現形式を正確に表すためにはさらに次元を増やす必要がある。
たとえば「色」だ。
物質の形は色によって表されるが、(x、y、z、t)の4つの関数では色が表現できていない。
したがって色をcなどの数値で表せば、(c、x、y、z、t)という5次元の世界が設定できる。
同じように温度を「k」という変数で表せば6次元世界が表現できる(ただし、色や温度は現象として4次元時空で表すことができると考えることもできる)。
ここでは次元をどこまで増やすべきかはエポケーする。
ただ、3次元空間や4次元時空は人の表現形式の一部にすぎないという結論を示しておこう。
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■改めて、物質とは何か?
3次元の距離空間は空間の占め方を示す人の表現形式の一部だ。
そして空間の占め方は色や形によって表され、物質として表現される。
これが物質という現象の本質だ。
そしてそれは「空間の占め方」であって「何が空間を占めているか」を意味してはいない。
中身についてはまったく触れていない。
だから「最小の物質の中身は何か?」という問いは決して解答されない。
最初から物質という現象は中身と無関係であるからだ。
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次回は現象のもうひとつの要素、「時間」について掘り下げてみたい。