絵&写真2:絵と写真の不思議
ぼくは写真を見るのが好き。
でも、写真を撮るのは嫌い。
まずは絵のお話。
ルノワールなんかの印象的な絵。
マネなんかの写実的な絵。
どちらがよりリアルかと言えば、実は印象画なんじゃないかと思う。
ものすごく好きな人がいて、その人を見つめるとき、背景なんて見えない。
背景の情報を含んだ光が網膜に届いていても、見えてない。
人間は写真みたいな映像を見ているわけではない。
むしろルノワールの絵のように、背景はぼんやりしたイメージなんだろう。
同じように、ルノワールなんかの印象画よりも、ミロなんかの抽象画の方がさらにリアルだ。
自分の思考というフィルターがかかる前の客観にとても近いものだから。
で、写真。
写真はとても客観的で写実的な表現方法と思われがちだけど、それは違う。
むしろ、マネやルノワールよりもさらに抽象的だ。
デジタル・カメラが流行して画像加工が一般的になると、それがよくわかる。
たとえば、色。
ネコを撮る。
デジタル・カメラは自動的に補正するし、それをPCに取り込むとさらに補正が加わり、モニターの種類によっても色が変わる。
「じゃあ、本物のネコの色に合わせよう」
こう思っても、ネコの健康状態なんかの条件はもちろん、光の状態、たとえば室内の電球の色や発熱方式、屋外だったら太陽の位置や天気、さらには見ている自分の気分や健康状態なんかでコロコロ変わる。
本物のネコの色なんていっても、そんなもの、あるようでない。
だからデジカメで撮った写真には、どの色が正しいとかなんとかという基準がまったくない。
自分が自分の印象で色を決めるしかない。
色には実体がない。
見ている瞬間瞬間の色がすべて。
実は、形にも同じことが言える。
相手の状態、自分の状態、取り巻く環境で相手の姿はコロコロ変わる。
見ている瞬間瞬間の形がすべて。
だから、客観的な写真など、実は存在しない。
でも。
コロコロ変わるけれども、自分の印象、たとえば小学校1年生のときに好きだったあの子の印象がいつまでも焼きついているように、印象はあまり変わらない……ように思える。
印象はとても生々しくてリアルだ。
写真家は、なんでもない壁にアートを見出し、なんでもない街角に美を発見する。
それは自分の印象をとても大切にしたもの。
写したものの形や意味が大切なのではなく、1枚の写真としての全体の印象を表現したいのだ。
だからアートとして撮られた写真はとても印象的で、裸で、エロティックなもの。
そう思う。