世界にはいろんな街があっていろんな人が暮らしています。
ぼくは静岡県の出身なんですが、「やっぱり静岡はいいな~」という人がいます。
「いやいや、やっぱり東京はいいよ、便利だし、なんでもあるし」という人もいます。
「もっと田舎で暮らしたいんだよね、山で自給自足するような」なんて人も。
実家で暮らし続ける人、東京や横浜・大阪・福岡のような都会でがんばる人、田舎に移住する人、海外に赴任する人、旅を続ける人……
もちろんどれが正解かなんて言えるはずはありません。
「世界のどこでも暮らせるな~」
世界を一周して思ったことです。
気温50度から-30度、海抜-300mから5,300m、都会の五つ星ホテルから無料の宗教施設まで、いろんな場所に泊まりました。
それぞれに魅力がありました。
もちろん、実際暮らしたら違うこともあるでしょう。
それは日本も海外も同じ。
たとえば世界のどこに行っても田舎に行くほど人はやさしくなります。
でも、そこで暮らしはじめると「郷にいっては郷に従え」を強いられます。
都会では異なる価値観も度を超さなければ無視されますが、田舎では異なる価値観は治療の対象です。
それはやさしさと表裏一体。
良し悪しの問題ではありません。
そうしたことを踏まえたうえで、今後どこで暮らそうかな~なんてことを漠然と考えることもありました。
地元を離れて以来、神奈川県横浜市→旅→静岡県→神奈川県川崎市→東京都練馬区→埼玉県浦和市→東京都葛飾区→千葉県松戸市→東京都新宿区と目まぐるしく拠点を移してきました。
外国人ハウスを試したり知り合いとシェアしたり普通に部屋を借りたり、その形態もさまざまでした。
で、これから先は?
これを言うとあまり信じてもらえません。
でも言い切れます。
ぼくは世界のどこに行ってもそこを実家だと思うことができます。
アフリカでもアマゾンでも違和感を感じたことはありません。
ただ空と大地と星があれば、ぼくはそこを懐かしく思えます。
人種差別のようなイヤな思いをしたことはたくさんあります。
それでも「人は同じだ」というのが旅の結論であり、いまも変わらぬ想いです。
哲学や芸術を探究しているとそれをますます強く感じます。
人が考えること、人が感じることは同じだと。
たかだか知れていると。
東京でなくてもいいかな~。
こう考えてしばらくたちました。
でもって決めました。
来春には拠点を海外に移そうと。
いやー、ワクワクするなー。
人生こうじゃなきゃいけない。
よっし。
楽しむぞーーーーーー。