高野山の仏塔、懐かしかった-!
アジア各地を旅したことがある人なら高野山の仏塔はとても身近に感じられるんじゃないかな。
たとえば上の根本大塔や右の東塔、西塔なんかは宝形(正方形)の屋根に円形・まんじゅう状の塔身を持つ。
こういう仏塔を「多宝塔」とか「宝塔」というんだけど、これ、木造部分を外すとまんまストゥーパだ。
ストゥーパってのはブッダの遺灰である仏舎利(ぶっしゃり)を収めるための塚。
簡単に言えばまんじゅう状に造られた「円墳」だ。
仏像やお寺なんてなかった時代にはこのストゥーパが仏教のシンボルで、やがてストゥーパそのものが祀られるようになった。
で、世界最古のストゥーパといわれるのがインドの世界遺産「サーンチーの仏教建造物群」にあるものだ。
なんて見事なおまんじゅう!
なんでそんなにたくさん遺灰があんのよ?
って話になるのだが、それをやったのが紀元前2世紀、マウリヤ朝のアショーカ王。
この王様がブッダの墓を掘り起こし、84,000に分割して各地にストゥーパを造って奉納したってことになっている。
サーンチーに建てた8つのストゥーパもその一部だ。
この影響で仏教徒たちは各地にストゥーパを造るようになり、やがて南アジア~東アジアに広く伝播した。
一例が、タイの世界遺産「古都アユタヤ」のワット・プラ・シー・サンペット(右)や、ネパールの世界遺産「カトマンズの谷」のボダナートのストゥーパ(下)だ。
まんじゅうも随分シャレてきたね。
インドやネパールのストゥーパはまんじゅう状のものが多い。
でも、タイのストゥーパやミャンマーのパゴダ(ストゥーパとほぼ同意)はトゲトゲしている。
この辺りの違いがおもしろい。
日本にはトゲトゲした仏塔はあまりないんだけど、これは日本仏教が「インド→中央アジア→中国→日本」、あるいは「インド→ネパール→チベット→中国→日本」という具合に伝わったからだと思う。
東南アジアの影響が少ないんだろうな-。
それでもってストゥーパは中国で木造の塔=仏塔になる。
仏塔は層を重ねてどんどん高くなっていって、多重塔が当たり前になる。
三重塔や五重塔ってのはそのバリエーションの一種なわけだ。
これが日本に伝わる仏塔の歴史だ。
でもって高野山ですよ。
世界最古の木造建築物である世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」、法隆寺の五重塔や法起寺の三重塔は7世紀の建築だけど、まんじゅうがない。
でも、空海が8世紀に建てた高野山の多宝塔にはまんじゅうがある。
これは空海の仏教思想、いわゆる真言宗が密教の影響を強く受けているからだろう。
密教というのはインド・ネパール・チベットの影響を強く受けているので、インド・ネパール式のまんじゅうをそのまま受け入れたのだと思う。
そうは言っても真言宗以外のお寺でまんじゅうを見かけることもある。
右は奈良の唐招提寺の戒壇だが、この宝塔はまさしくサーンチーのストゥーパ。
実際それを象っていると案内板に書かれていた。
これを見つけたときは興奮したね。
「お、まんじゅう発見!」ってなもんで。
もっとも先述の蘇我入鹿の首塚のような石造の宝塔・多宝塔はどこでも見かけるし、お墓につきものの卒塔婆だってストゥーパに由来するんだけどね。
今回はじめて高野山を訪ね、そのあと久しぶりに奈良に行った。
こんな風に過去のいろんな旅が折り重なって、とてもおもしろい旅になった。
いやー、いろんなことを思い出したな-。
やっぱり旅っておもしろい!
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